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	<title>トンイ</title>
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	<item>
		<title>トンイとチャングムどっちが面白い？【作品を徹底比較】</title>
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		<dc:creator><![CDATA[yoshis]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 13 Jun 2025 09:00:14 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[韓国時代劇ドラマ]]></category>
		<category><![CDATA[チャングム]]></category>
		<category><![CDATA[トンイ]]></category>
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					<description><![CDATA[どっちが面白いのか？ファンの間でよく話題に上がる問題です。 この記事では、両作品の視聴率や時代背景、共通点などをわかりやすく解説、「どっちから見るべきか？」のヒントをお届けします。 作品の基本情報を比較 「宮廷女官チャン [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>どっちが面白いのか？ファンの間でよく話題に上がる問題です。</p>
<p>この記事では、両作品の視聴率や時代背景、共通点などをわかりやすく解説、「どっちから見るべきか？」のヒントをお届けします。</p>
<h2>作品の基本情報を比較</h2>
<p>「宮廷女官チャングムの誓い」は、世界で韓国ドラマブームの火付け役となった大ヒット作品です。</p>
<p>一方、「トンイ」は、日本で人気が高く、常に視聴ランキングの上位にあがる定番作品です。</p>
<p><strong>＜作品の基本情報比較＞</strong></p>
<table>
<tbody>
<tr>
<td style="width: 30%;">作品名</td>
<td style="width: 35%;">トンイ</td>
<td style="width: 35%;">宮廷女官チャングムの誓い</td>
</tr>
<tr>
<td>製作年</td>
<td>2010年</td>
<td>2003年</td>
</tr>
<tr>
<td style="text-align: left;">制作会社</td>
<td style="text-align: center;" colspan="2">MBC</td>
</tr>
<tr>
<td>監督</td>
<td style="text-align: center;" colspan="2">イ・ビョンフン</td>
</tr>
<tr>
<td>脚本家</td>
<td>キム・イヨン</td>
<td>キム・ヨンヒョン</td>
</tr>
<tr>
<td>音楽</td>
<td style="text-align: center;" colspan="2">イム・セヒョン</td>
</tr>
<tr>
<td>作品話数</td>
<td>60話</td>
<td>54話</td>
</tr>
<tr>
<td>主演女優</td>
<td>ハン・ヒョジュ</td>
<td>イ・ヨンエ</td>
</tr>
<tr>
<td>時代</td>
<td>第19代王・肅宗の時代</td>
<td>第11代王の中宗の時代</td>
</tr>
<tr>
<td>登場する部署</td>
<td>掌楽院（宮廷の音楽担当の部署）<br />
監察府（女官を取り締まる部署）</td>
<td>水剌間（王室の料理を担当）<br />
内医院（王室の医療を担当）</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>共通点は、 MBC制作のイ・ビョンフン監督による時代劇作品であること、相違点は、脚本家、時代、ヒロインの職務内容などです。</p>
<h2>視聴率と人気の違い</h2>
<p>チャングムは世界で放映され、韓国での最高視聴率は57.8%を記録した大ヒット時代劇です。</p>
<p>トンイも最高視聴率33.1％を記録しています。</p>
<table width="100%">
<tbody>
<tr>
<td width="30%">作品名</td>
<td width="35%">トンイ</td>
<td width="35%">チャングムの誓い</td>
</tr>
<tr>
<td>平均視聴率</td>
<td>23.0%</td>
<td>46.3%</td>
</tr>
<tr>
<td>最高視聴率</td>
<td>33.1％</td>
<td>57.8%</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>トンイは韓国での視聴率では負けますが、日本人が好きな韓国時代劇で1位になるなど、日本では圧倒的な支持を得ています。</p>
<p>ハン・ヒョジュさん演じるトンイの明るく、前向きな姿が、日本人の好みにマッチしているようです。</p>
<h2>ストーリーと時代背景の違い</h2>
<p>二人が生きた時代はおよそ170年も離れた時代でした。</p>
<p>「トンイ」の舞台は、第19代王・肅宗（在位1674年〜1720年）の時代で、党派間の争いが激しい時代でした。</p>
<p>宮廷内の権力闘争（張禧嬪VS仁顕王后）を背景に、奴婢出身のトンイが側室の最高位まで上り詰める物語です。</p>
<p>一方、「チャングムの誓い」は、第11代王・中宗（在位1506年〜1544年）の時代です。</p>
<p>暴君・燕山君がクーデターで失脚、動乱の中でチャングムが医女として王の主治医になるまでの成長物語です。</p>
<p>どちらも、実在した人物をモチーフに、史実に大幅な創作を加えたヒューマンドラマです。</p>
<h2>作品の共通点｜身分の低い女性の成長物語</h2>
<p>ドラマ「トンイ」と「チャングムの誓い」の大きな共通点は次の2点です。</p>
<div class="secondary-box">・歴史上、目立たなかった女性に注目<br />
・身分の低い女性の成長物語</div>
<p>トンイもチャングムも史料の記録が極端に少ない女性でした。</p>
<p>しかし、女性の社会的地位が低かった朝鮮王朝時代において、特出した地位に上り詰めた女性の成長物語です。</p>
<p>信念と努力で道を切り開く姿は多くの視聴者に感動を与えました。</p>
<h2>どっちから見るべきか？</h2>
<p>もし、あなたが、初めて韓国時代劇を観るなら、「トンイ」がおすすめです。</p>
<p>テンポがよく、登場人物も親しみやすいため、初心者向けです。私もトンイを観て、韓国時代劇の虜になりました。</p>
<p>また、感動重視で、韓国料理好きなら、「チャングムの誓い」がおすすめです。</p>
<p>医療・料理・母との絆など、人生の深いテーマに迫る名作です。</p>
<h2>トンイとチャングムは同じ監督｜巨匠・イ・ビョンフン</h2>
<p>「トンイ」と「チャングムの誓い」の監督は韓国時代劇の巨匠・イ・ビョンフン監督です。</p>
<p>イ・ビョンフン監督はホジュンで時代劇の人気を高めると、次々とヒット作品を生み出していきます。</p>
<p>若者が時代劇を楽しめるように、テンポの良いストーリー展開、カラフルな衣装、若者が好む音楽などを取り込むなど、従来の時代劇の常識を覆す作品を生み、時代劇を復活させました。</p>
<p>イ・ビョンフン監督は他にも多くの時代劇を手掛けています。</p>
<p>おすすめの作品はこちら＞＞<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/lee-byung-hoon-director-osusume2122/">イ・ビョンフン監督おすすめの作品はこちら</a></p>
<h2>まとめ</h2>
<p>「宮廷女官チャングムの誓い」は韓国国内外で大反響を呼び、「トンイ」は特に日本で人気を集めました。</p>
<p>時代や設定は異なりますが、いずれも「身分の低い女性の成長物語」という共通点があり、史実であまり注目されなかった女性にスポットを当てた点も魅力です。</p>
<p>どちらが面白いかは好みによりますが、どちらも見る価値のある名作です。ぜひ見比べてみてください。</p>
]]></content:encoded>
					
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			</item>
		<item>
		<title>トンイの兄は実在した｜史実でたどる崔垕の実像と生涯</title>
		<link>https://justarandomnote.com/toni-ani-jitsuzai2430/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[yoshis]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 10 Jun 2024 14:07:35 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[韓国時代劇ドラマ]]></category>
		<category><![CDATA[トンイ]]></category>
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					<description><![CDATA[トンイ（淑嬪崔氏）の兄は実在していました。兄・崔垕（チェフ）はどんな人物だったのか？ この記事では、史料に基づき崔垕の実像、家族構成、生涯について詳しく解説します。 実在したトンイの兄・崔垕とは？ トンイのモデルとなった [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>トンイ（淑嬪崔氏）の兄は実在していました。兄・崔垕（チェフ）はどんな人物だったのか？</p>
<p>この記事では、史料に基づき崔垕の実像、家族構成、生涯について詳しく解説します。</p>
<h2>実在したトンイの兄・崔垕とは？</h2>
<p>トンイのモデルとなった淑嬪崔氏には兄・崔垕（チェフ）が実在していました。ドラマで、兄は序盤で殺害され命を落としますが、史実の崔垕（チェ・フ）は75歳まで長寿を全うしました。</p>
<p>崔垕は父・崔孝元と母・洪氏（洪継南の娘）との間に長男として生まれました。通政大夫だった安俊榮の娘・安氏と結婚。1男1女の子供をもうけています。</p>
<div class="primary-box"><strong>＜崔垕のプロフィール＞</strong><br />
崔垕（チェフ）<br />
生年：1657年<br />
没年：1731年<br />
享年：75歳</div>
<p>このように、ドラマとは異なり、崔垕は家庭を築き、安定した生涯を送っていたことが分かります。</p>
<h2>英祖による厚遇と追贈</h2>
<p>史実の崔垕（チェ・フ）は<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/yoningun-kakeizu2162/">英祖</a>から大事にされました。死後、英祖より高官の官職を追贈されたことが英祖実録に記録されています。</p>
<blockquote><p>命特贈贈參議崔垕二品職, 垕於和敬淑嬪爲同氣也。<br />
＜英祖実録1765年11月14日条より＞</p></blockquote>
<div class="secondary-box">＜訳＞崔垕（チェ・フ）に対して参議（二品官職）を特別に追贈するよう命じた。崔垕は和敬淑嬪（淑嬪崔氏）と同じ家系の出自である</div>
<p>王の母の親族ということで、崔垕の家族が厚遇されていたことは確かです。崔垕の子や孫も正祖に徴用されたとされます。</p>
<h2>崔垕の家族｜両親と兄弟姉妹</h2>
<p>崔垕の父は万戸を務めた崔孝元です。崔垕は16歳のときに父を亡くし、2年後の18歳のときに母を亡くしています。このとき、トンイ（淑嬪崔氏）はまだ5歳でした。</p>
<h3>崔垕の兄弟姉妹</h3>
<p>崔垕には2人の姉妹がいました。長女の崔氏は府使（地方官）の徐專に嫁ぎ、娘を一人もうけています。次女は後に粛宗の側室となる<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/toni-kakeizu2429/">淑嬪崔氏（トンイ）</a>です。</p>
<p><strong>＜崔垕の家族＞</strong></p>
<table width="100%">
<tbody>
<tr>
<td width="15%">関係</td>
<td width="20%">名前</td>
<td width="25%">生年-没年</td>
<td width="40%">備考</td>
</tr>
<tr>
<td>父</td>
<td>崔孝元</td>
<td>1638-1672</td>
<td></td>
</tr>
<tr>
<td>母</td>
<td>洪氏</td>
<td>1639-1673</td>
<td>南陽洪氏、洪継南の娘</td>
</tr>
<tr>
<td>長女</td>
<td>崔氏</td>
<td>不詳</td>
<td>府使の徐專の妻、1女</td>
</tr>
<tr>
<td>次女</td>
<td>淑嬪崔氏</td>
<td>1670-1718</td>
<td>粛宗の側室、トンイ</td>
</tr>
<tr>
<td>長男</td>
<td>崔垕</td>
<td>1657-1731</td>
<td></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<h2>崔垕の妻子</h2>
<p>崔垕は妻の安氏との間に、1男1女をもうけています。</p>
<p>息子の崔壽崗（チェ・スガン）は武科に及第し、万戸の職を務めました。金熙潤の娘・金氏を妻に迎え、二人の息子をもうけています。一方、娘は趙泰恒（チョ・テヒョン）に嫁ぎ、1男3女に恵まれました。</p>
<p><strong>＜妻と子孫関係＞</strong></p>
<table width="100%">
<tbody>
<tr>
<td width="13%">関係</td>
<td width="13%">（孫）</td>
<td width="18%">名前</td>
<td width="27%">生年-没年</td>
<td width="29%">備考</td>
</tr>
<tr>
<td>妻</td>
<td>ー</td>
<td>順興安氏</td>
<td>不詳</td>
<td>安俊榮の娘</td>
</tr>
<tr>
<td>長男</td>
<td>ー</td>
<td>崔壽崗</td>
<td>不詳-1749</td>
<td>妻は金熙潤の娘</td>
</tr>
<tr>
<td>孫</td>
<td>長男</td>
<td>崔鎭海</td>
<td>不詳</td>
<td>妻は斗杓の娘</td>
</tr>
<tr>
<td>孫</td>
<td>次男</td>
<td>崔鎭衡</td>
<td>不詳</td>
<td>妻は安瑞莢の娘</td>
</tr>
<tr>
<td>長女</td>
<td>ー</td>
<td>崔氏</td>
<td>不詳</td>
<td>趙泰恒の妻</td>
</tr>
<tr>
<td>孫</td>
<td>長男</td>
<td>趙慶祥</td>
<td>不詳</td>
<td>武科合格、折衝</td>
</tr>
<tr>
<td>孫</td>
<td>長女</td>
<td>趙氏</td>
<td>不詳</td>
<td>李世寬に妻</td>
</tr>
<tr>
<td>孫</td>
<td>次女</td>
<td>趙氏</td>
<td>不詳</td>
<td>權繼重の妻</td>
</tr>
<tr>
<td>孫</td>
<td>三女</td>
<td>趙氏</td>
<td>不詳</td>
<td>金胤宗の妻</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>崔垕の子孫は後に英祖・正祖にも仕えたと伝わり、王室とのつながりを保ち続けました。</p>
<h2>崔垕の家系図</h2>
<p>崔垕は海州崔氏の出身とされています。しかし、崔垕や父・崔孝元、祖父・崔泰逸らの名は現存する族譜には見あたらず、父の墓碑銘にのみその家系が刻まれています。</p>
<p>そのため、「崔垕が本当に海州崔氏の直系だったのか」については、解釈に諸説があります。</p>
<div id="attachment_16170" style="width: 810px" class="wp-caption alignnone"><img fetchpriority="high" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-16170" class="wp-image-16170 size-full" src="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2024/06/74a50474a916ad8fcefe1d80d7eb1d78.avif" alt="崔垕の家系図" width="800" height="538" srcset="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2024/06/74a50474a916ad8fcefe1d80d7eb1d78.avif 800w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2024/06/74a50474a916ad8fcefe1d80d7eb1d78-500x336.avif 500w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2024/06/74a50474a916ad8fcefe1d80d7eb1d78-300x202.avif 300w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2024/06/74a50474a916ad8fcefe1d80d7eb1d78-768x516.avif 768w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /><p id="caption-attachment-16170" class="wp-caption-text">当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した家系図</p></div>
<p style="text-align: center;"><strong>＜崔垕の家系図＞</strong></p>
<p>祖父の崔泰逸は儒生として科挙を志した人物とされます。父の崔孝元は下級役人から昇進し、死後に英祖から「大匡輔國崇祿大夫・議政府領議政」などの官職を追贈されています。</p>
<p>これらの事実は崔孝元の墓碑銘に刻まれており、王の母の親族である崔家が王室から高く評価されていたことを裏付けます。</p>
<h2>まとめ</h2>
<p>トンイ（淑嬪崔氏）の兄・崔垕は、実在の人物でした。史料によれば、75歳まで長寿を全うし、生涯にわたり英祖から厚遇を受けたとされています。</p>
<p>ドラマ「トンイ」では悲劇の兄として描かれましたが、史実の崔垕は堅実に家を守り、王朝から信頼を得た人物でした。</p>
<p>彼の子孫は正祖の代まで官職に就いており、淑嬪崔氏の家が王室と関わりを持ち続けたことがうかがえます。</p>
]]></content:encoded>
					
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			</item>
		<item>
		<title>淑嬪崔氏の家系図｜トンイのモデルで英祖の母を史実でたどる</title>
		<link>https://justarandomnote.com/toni-kakeizu2429/</link>
					<comments>https://justarandomnote.com/toni-kakeizu2429/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[yoshis]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 08 Jun 2024 07:18:26 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[家系図]]></category>
		<category><![CDATA[トンイ]]></category>
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					<description><![CDATA[英祖の母であり、ドラマ「トンイ」のモデルとして知られる淑嬪崔氏（スクピンチェシ）です。史実の彼女はどんな女性だったのか。 この記事では、淑嬪崔氏の家系図から人柄、家族関係、生涯について詳しく解説します。 淑嬪崔氏の家系図 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>英祖の母であり、ドラマ「トンイ」のモデルとして知られる淑嬪崔氏（スクピンチェシ）です。史実の彼女はどんな女性だったのか。</p>
<p>この記事では、淑嬪崔氏の家系図から人柄、家族関係、生涯について詳しく解説します。</p>
<h2>淑嬪崔氏の家系図</h2>
<p>淑嬪崔氏（スクピンチェシ）は崔温を始祖とする海州崔氏一族の出身とされています。ただし、父・崔孝元は海州崔氏の系図には記載がなく、彼の墓碑から家系を確認すると次のとおりです。</p>
<div id="attachment_10762" style="width: 443px" class="wp-caption aligncenter"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-10762" class="wp-image-10762" src="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2024/06/79d8bba2f20c6acdae182b13c1ff1c0c.jpg" alt="淑嬪崔氏の家系図" width="433" height="337" srcset="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2024/06/79d8bba2f20c6acdae182b13c1ff1c0c.jpg 634w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2024/06/79d8bba2f20c6acdae182b13c1ff1c0c-500x389.jpg 500w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2024/06/79d8bba2f20c6acdae182b13c1ff1c0c-300x233.jpg 300w" sizes="(max-width: 433px) 100vw, 433px" /><p id="caption-attachment-10762" class="wp-caption-text">当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した家系図</p></div>
<p style="text-align: center;"><strong>＜淑嬪崔氏の家系図＞</strong></p>
<p>母は洪継南の娘の南陽洪氏です。父・崔孝元は武官で宣略将軍行忠武衛の副司果（正六品）でしたが、1734年に英祖から議政府領議政（正一品）に追贈されています。</p>
<p>祖父は崔泰逸、曽祖父は崔末貞、高祖父は崔億之ですが、生前の官職は不明です。英祖の時代に祖父の崔泰逸と曾祖父の崔末貞には官職が追贈されています。</p>
<p>また、淑嬪崔氏の血筋は、英祖、正祖、純祖と続きますが、純祖の孫・<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/kenso-kakeizu2360/">第24代王・憲宗</a>に王子が生まれず血筋は途絶えています。</p>
<h3>淑嬪崔氏の兄弟姉妹</h3>
<p>淑嬪崔氏（スクピンチェシ）は1男2女の次女として生まれました。姉は府使の徐專に嫁ぎ、兄の崔垕（チェ・フ）は萬戸を務め、安俊榮の娘の順興安氏を妻に迎えています。</p>
<p>崔垕は英祖に大事にされ75歳まで長生きしました。彼の子孫は正祖に可愛がられ官職に就いたとされています。</p>
<p>兄・崔垕について詳しくはこちら＞＞<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/toni-ani-jitsuzai2430/">トンイ（淑嬪崔氏）の兄は実在した【崔垕の史実に迫る】</a></p>
<table width="100%">
<tbody>
<tr>
<td width="13%">関係</td>
<td width="22%">名前</td>
<td width="25%">生年-没年</td>
<td width="40%">備考</td>
</tr>
<tr>
<td>姉</td>
<td>崔氏</td>
<td>不詳</td>
<td></td>
</tr>
<tr>
<td>兄</td>
<td>崔垕</td>
<td>1657-1731</td>
<td></td>
</tr>
<tr>
<td>本人</td>
<td>淑嬪崔氏</td>
<td>1670-1718</td>
<td>粛宗の側室</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<h2>淑嬪崔氏はどんな人物だったのか？</h2>
<p>ドラマのトンイは行動力がある明るい性格の女性でしたが、史実の淑嬪崔氏はどんな女性だったのでしょうか。</p>
<h3>淑嬪崔氏の人柄</h3>
<p>1725年、英祖が建立した「淑嬪崔氏神道碑」には、淑嬪崔氏の人柄を伝える碑文が刻まれています。</p>
<blockquote><p><strong>嬪天姿沈凝簡默喜怒不形於色</strong><br />
（引用元：淑嬪崔氏神道碑銘より）</p></blockquote>
<div class="secondary-box">＜訳＞冷静で沈着、あまり喋らず。喜怒を顔に出すこともなく、謙虚で控えめだった</div>
<p>この碑文は、英祖の命で編集されたものであり、彼の母への思いが込められた信頼性の高い史料といえます。しかし、驚くことに史実の淑嬪崔氏の性格は、ドラマ「トンイ」で描かれる行動的で明るい性格とは正反対でした。</p>
<p>なお、この碑文は英祖時代に編纂されたことから、後付けや修正があった可能性も指摘されています。</p>
<h3>淑嬪崔氏のプロフィール</h3>
<p>淑嬪崔氏（スクピンチェシ）が生まれたころの状況については、僅かなことしか分かっていません。</p>
<div class="primary-box"><strong>＜淑嬪崔氏のプロフィール＞</strong><br />
生年：1670年11月6日<br />
没年：1718年3月9日<br />
氏族：海州崔氏<br />
父：崔孝元<br />
母：南陽洪氏（洪継南の娘）<br />
陵墓：昭寧園</div>
<h2>粛宗との家族関係</h2>
<p>淑嬪崔氏は粛宗との間に3人の男の子をもうけましたが、長男の永壽は赤ん坊のうちに亡くなり、3人目の男の子も幼くして世を去っています。</p>
<p>次男のクムのみ成人して第21代王・英祖として即位しました。</p>
<table width="100%">
<tbody>
<tr>
<td width="13%">関係</td>
<td width="29%">名前</td>
<td width="25%">生年-没年</td>
<td width="33%">備考</td>
</tr>
<tr>
<td>夫</td>
<td>粛宗</td>
<td>1661-1720</td>
<td>第19代王</td>
</tr>
<tr>
<td>長男</td>
<td>永壽（ヨンス）</td>
<td>1693-1693</td>
<td>早世</td>
</tr>
<tr>
<td>次男</td>
<td>昑（クム）</td>
<td>1694-1776</td>
<td>第21代王・英祖</td>
</tr>
<tr>
<td>三男</td>
<td>不詳</td>
<td>1698-1698</td>
<td>早世</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<h2>淑嬪崔氏の生涯</h2>
<p>両親をなくした淑嬪崔氏（スクピンチェシ）は見習い女官として入宮。粛宗の寵愛を受けて側室となりますが、党争で乱れる宮廷の中で波乱万丈の生涯を送っています。</p>
<h3>両親の死</h3>
<p>1670年に崔孝元と南陽洪氏の次女として生まれた淑嬪崔氏は、姉と13歳年上の兄がいました。彼女は3歳で父、5歳で母を相次いで亡くし、幼くして孤児となりました。</p>
<h3>見習い女官として入宮</h3>
<p>両親を亡くした淑嬪崔氏は、仁顕王后の父・閔維重に引き取られ、当時8歳の仁顕王后と共に育てられました。</p>
<p>1676年、7歳で針房の見習い女官として入宮していますが、その後、仁顕王后が王妃になると彼女はお付きの女官となりました。</p>
<h3>粛宗の寵愛を受ける</h3>
<p>1692年、淑嬪崔氏（スクピンチェシ）は粛宗の寵愛を受け、承恩尚宮となっています。</p>
<p>儒生・李聞政の著書「隨聞録」に書かれている逸話によると、廃位となった仁顕王后の誕生日を一人祝っている淑嬪崔氏を粛宗が偶然見つけ、見初めたとされています。</p>
<h3>永壽・昑・三男の誕生と淑嬪への昇格</h3>
<p>1693年10月、淑嬪崔氏（スクピンチェシ）は最初の息子・永壽（ヨンス）を出産しますが、わずか2か月で亡くしています。翌1694年9月には、後の第21代王・英祖となる昑（クム）が誕生し、彼女は貴人（従一品）に昇格しました。</p>
<p>1698年7月には3人目の男児が生まれますが、誕生からわずか3日で世を去っています。しかし、翌年、昑には延礽君の称号が与えられ、彼女は淑嬪（正一品）となります。</p>
<h3>王妃になれず</h3>
<p>1701年、仁顕王后が亡くなると誰もが次の王妃は淑嬪崔氏と思われました。しかし、粛宗が側室は王妃になれない法を制定したため、王妃の道は閉ざされてしまいます。</p>
<h3>淑嬪崔氏の最後</h3>
<p>1701年10月、淑嬪崔氏（スクピンチェシ）は昌徳宮から梨峴宮に移り、以降この宮は淑嬪房と呼ばれました。</p>
<p>1711年には息子・延礽君の居所へ転居し、しばらく共に暮らしますが、1716年に体調を崩し、1718年3月9日、延礽君の私邸で49歳で亡くなりました。粛宗実録には次のように記録されています。</p>
<blockquote><p>淑嬪 崔氏卒。 上命禮葬等事, 依例擧行。<br />
＜引用元：粛宗実録1718年3月9日＞</p></blockquote>
<div class="secondary-box">＜訳＞淑嬪崔氏が亡くなった。王は慣例に従って葬儀を行うよう命じた。</div>
<p>英祖は即位後、母・淑嬪崔氏を敬い、神道碑を建てて祠堂（後の七宮）に祀るなど、母への思いを後世に伝えました。</p>
<p>現在は京畿道坡州市の昭寧園に静かに眠っています。</p>
<p>昭寧園及び七宮についてはこちら＞＞<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/toni-ohaka2150/">トンイのお墓はどこにあるのか？【一人で眠る広大な昭寧園】</a></p>
<h2>まとめ</h2>
<p>幼少期に両親を失っ淑嬪崔氏（スクピンチェシ）は見習い女官として入宮。粛宗に寵愛され、側室として出世階段を登っていきました。</p>
<p>史実の彼女は控えめで大人しい性格であり、息子・英祖との母子関係は信頼に満ちたものであったと推測されます。</p>
<p>粛宗が定めた法により、王妃の道は閉ざされてしまいましたが、息子の英祖が偉大な名君として歴史に名を残しました。</p>
]]></content:encoded>
					
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			</item>
		<item>
		<title>粛宗の4人の王妃【政争に利用された悲劇の王妃たち】</title>
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		<dc:creator><![CDATA[yoshis]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 21 Sep 2023 03:07:20 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[朝鮮王朝時代]]></category>
		<category><![CDATA[トンイ]]></category>
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					<description><![CDATA[ドラマ「トンイ」には３人の王妃が登場しますが、史実の粛宗には４人の王妃がいました。いずれの王妃も激しい政争の渦中で波乱の生涯を送りました。 この記事では、粛宗の４人の王妃の人物像や政争との関わり、さらにドラマとの違いを詳 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>ドラマ「トンイ」には３人の王妃が登場しますが、史実の粛宗には４人の王妃がいました。いずれの王妃も激しい政争の渦中で波乱の生涯を送りました。</p>
<p>この記事では、粛宗の４人の王妃の人物像や政争との関わり、さらにドラマとの違いを詳しく解説します。</p>
<h2>粛宗の4人の王妃</h2>
<p>４人の王妃は、粛宗の時代に起きた派閥抗争（西人派と南人派の争い）や王位継承問題に巻き込まれ波乱の人生を送っています。</p>
<div class="primary-box"><strong>＜４人の王妃＞</strong><br />
・仁敬王后（インギョンワンフ）<br />
・仁顕王后（イニョンワンフ）<br />
・張禧嬪（チャンヒビン）<br />
・仁元王后（イヌォンワンフ）</div>
<p>以下で一人ずつご紹介していきます。</p>
<h2>政略結婚の最初の王妃・仁敬王后</h2>
<p>仁敬王后は粛宗の最初の王妃でしたが、20歳の若さで亡くなっています。ドラマには登場していません。</p>
<div class="primary-box"><strong>＜プロフィール＞</strong><br />
仁敬王后（インギョンワンフ）<br />
生年：1661年9月3日<br />
没年：1680年10月26日（享年20歳）<br />
子女：2人<br />
氏族：光山金氏<br />
父親：金萬基<br />
母親：西原府夫人</div>
<p>仁敬王后は名門・光山金氏一族の出身で、11歳の時に世子だった粛宗と政略結婚しました。二人の子を生みますが、いずれも幼くして亡くしています。</p>
<p>ドラマ「トンイ」に登場する甥の金春沢は仁顕王后復位に尽力し、後の政治に大きな役割を果たしました。</p>
<p>詳しくはこちら＞＞<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/queen-ingyung-kakeizu2262/">仁敬王后の家系図【甥は仁顕王后の復位に貢献した金春沢】</a></p>
<h2>復位を果たした悲運の王妃・仁顕王后</h2>
<p>ドラマ「トンイ」では最後までトンイを応援した仁顕王后。朝鮮王朝で唯一生前に復位した王妃です。</p>
<div class="primary-box"><strong>＜プロフィール＞</strong><br />
仁顕王后（イニョンワンフ）<br />
生年：1667年4月23日<br />
没年：1701年8月14日（享年35歳）<br />
子女：なし<br />
氏族：驪興閔氏<br />
父親：閔維重<br />
母親：恩城府夫人（側室）</div>
<p>仁顕王后は名門・驪興閔氏の出身で、<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/myeongseong-kakeizu2343/">明聖王后（粛宗の母）</a>と宋時烈の推薦により、15歳で王妃となりました。しかし南人派と西人派の激しい政争に巻き込まれて廃位され、その後復位を果たします。</p>
<p>ところが、６年に及ぶ廃位生活で心身をすり減らし、わずか35歳でこの世を去りました。生涯を通じて粛宗から寵愛を受けることはなかったとも伝えられています。</p>
<p>詳しくはこちら＞＞<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/inyon-kakeizu2256/">仁顕王后の家系図【４人の妃を輩出した驪興閔氏の系図を徹底調査】</a></p>
<h2>中人出身で唯一の王妃・張禧嬪</h2>
<div class="primary-box"><strong>＜プロフィール＞</strong><br />
張禧嬪（チャンヒビン）<br />
出生：1659年9月19日<br />
死去：1701年10月10日（享年43歳）<br />
子女：景宗<br />
氏族：仁同張氏<br />
父親：張炯<br />
母親：坡山府夫人</div>
<p>張禧嬪は高麗の名門・仁同張氏の出身で、通訳官の娘として生まれました。<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/queen-jangnyeo-kakeizu2265/">荘烈大妃</a>の針房内人として入宮し、その美貌は「実録」にも記されるほどで、やがて粛宗の寵愛を受けます。</p>
<p>一度は粛宗の母・明聖王后に嫌われて追放されましたが、王后の死後に復帰。王妃に昇格して世子（景宗）を出産しました。しかし派閥争いに翻弄され、最終的には廃妃となり処刑されています。</p>
<p>詳しくはこちら＞＞<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/chanhibin-kakeizu2319/">張禧嬪の家系図【朝鮮王朝で唯一、中人出身で王妃なった女性】</a></p>
<h2>延礽君を養子に迎えた王妃・仁元王后</h2>
<p>仁元王后はドラマで最後にトンイを信用して、大逆転劇の立役者のなった王妃です。</p>
<div class="primary-box"><strong>＜プロフィール＞</strong><br />
仁元王后（イヌォンワンフ）<br />
生年：1687年9月28日<br />
没年：1757年3月26日（享年71歳）<br />
子女：なし<br />
氏族：慶州金氏<br />
父親：金柱臣<br />
母親：嘉林府夫人</div>
<p>仁元王后は新羅の金閼智を始祖とする慶州金氏の出身で、揀択により粛宗の四番目の王妃となりました。厳格で意志が強く、文学にも秀でていたと伝えられます。</p>
<p>粛宗の死後は大妃として延礽君（後の英祖）を養子に迎え、その即位を支援しました。子のなかった仁元王后にとって、延礽君を王に立てることは宮廷で生き残る道でもありました。淑嬪崔氏（トンイ）とは親しく、英祖も生涯彼女を敬ったといいます。</p>
<p>詳しくはこちら＞＞<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/queen-inwon-kakeizu2258/">仁元王后の家系図【延礽君（英祖）を救った王妃とは】</a></p>
<h2>粛宗の王妃と側室の相関図</h2>
<p>粛宗には生涯４人の王妃と５人の側室がいました。側室として注目すべきは、一人が<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/toni-kakeizu2429/">淑嬪崔氏（トンイ）</a>であり、もう一人がドラマ「ヘチ王座への道」に登場した延齢君（フォン）の母・<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/myonbinpakushi-kakeizu2431/">榠嬪朴氏</a>です。</p>
<div id="attachment_7770" style="width: 614px" class="wp-caption aligncenter"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-7770" class="wp-image-7770" src="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2023/09/8cbba2cc7edc2918ac8cf677b2b7fb43.jpg" alt="粛宗の王妃と側室の相関図" width="604" height="405" srcset="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2023/09/8cbba2cc7edc2918ac8cf677b2b7fb43.jpg 950w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2023/09/8cbba2cc7edc2918ac8cf677b2b7fb43-300x201.jpg 300w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2023/09/8cbba2cc7edc2918ac8cf677b2b7fb43-768x516.jpg 768w" sizes="(max-width: 604px) 100vw, 604px" /><p id="caption-attachment-7770" class="wp-caption-text">当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した家系図</p></div>
<p style="text-align: center;"><strong>＜粛宗の王妃と側室の相関図＞</strong></p>
<p>粛宗の王妃と側室の関係は、政争や王位継承に大きく影響しました。</p>
<p><strong>仁顕王后と張禧嬪の対立</strong><br />
政争で敵対し、仁顕王后は一度廃位され、その間に張禧嬪が王妃に昇格。後に仁顕王后が復位すると張禧嬪は降格され最終的に処刑されました。</p>
<p><strong>仁元王后と延礽君（英祖）の関係</strong><br />
子がいなかった仁元王后は延礽君を養子として支援。英祖即位後は大妃として権力を確立しました。</p>
<p><strong>淑嬪崔氏（トンイ）と王妃たちの関係</strong><br />
仁元王后や仁顕王后と親しく、宮廷内での信頼を得て、王室の勢力バランスを支える役割を果たしました。</p>
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</div>

<h2>史実で見る王妃の年表</h2>
<p>粛宗の４人の王妃に関する出来事を年表で整理しました。政争の時系列もわかりやすく把握できます。</p>
<table>
<tbody>
<tr>
<td width="14%">年</td>
<td width="86%">出来事</td>
</tr>
<tr>
<td>1659</td>
<td>張禧嬪が張烱の次女として生まれる</td>
</tr>
<tr>
<td>1661</td>
<td>仁敬王后が金萬基の長女として生まれる</td>
</tr>
<tr>
<td>1667</td>
<td>仁顕王后が閔維重の次女として生まれる</td>
</tr>
<tr>
<td>1671</td>
<td>仁敬王后は世子だった粛宗と政略結婚する</td>
</tr>
<tr>
<td>1674</td>
<td>粛宗が即位、仁敬王后は王妃となる</td>
</tr>
<tr>
<td>1677</td>
<td>仁敬王后が長女を出産するが早世</td>
</tr>
<tr>
<td>1679</td>
<td>仁敬王后が次女を出産するが早世</td>
</tr>
<tr>
<td>1680</td>
<td>仁敬王后は天然痘で亡くなる。享年20歳</td>
</tr>
<tr>
<td>不詳</td>
<td>張禧嬪は荘烈大王大妃の針房内人として入宮する</td>
</tr>
<tr>
<td></td>
<td>張禧嬪が粛宗の寵愛を受けるようになる</td>
</tr>
<tr>
<td>1680</td>
<td>張禧嬪が明聖王后により宮廷外に追放される</td>
</tr>
<tr>
<td>1681</td>
<td>仁顕王后が粛宗の王妃となる（15歳）</td>
</tr>
<tr>
<td>1684</td>
<td>粛宗の母の明聖王后が亡くなる</td>
</tr>
<tr>
<td>1686</td>
<td>張禧嬪が承恩尚宮として宮廷に戻る</td>
</tr>
<tr>
<td>1687</td>
<td>仁元王后が金柱臣の娘として生まれる</td>
</tr>
<tr>
<td>1688</td>
<td>張禧嬪が李昀（景宗）を生む</td>
</tr>
<tr>
<td>1689</td>
<td>張禧嬪が側室の最高位である嬪（正一品）に昇進する</td>
</tr>
<tr>
<td></td>
<td>李昀は元子に冊封される</td>
</tr>
<tr>
<td>1689</td>
<td>己巳換局で西人派は一掃、仁顕王后が廃位となる</td>
</tr>
<tr>
<td></td>
<td>張禧嬪が王妃になる</td>
</tr>
<tr>
<td>1694</td>
<td>甲戌換局で南人派を一掃、張禧嬪は嬪に格下する</td>
</tr>
<tr>
<td></td>
<td>仁顕王后が復位する</td>
</tr>
<tr>
<td>1701</td>
<td>8月、仁顕王后は昌慶宮の景春殿で病死する。享年35歳</td>
</tr>
<tr>
<td></td>
<td>11月、張禧嬪が粛宗からの賜薬により処刑される。享年43歳</td>
</tr>
<tr>
<td>1702</td>
<td>仁元王后が揀択で選ばれ、王妃に冊封される</td>
</tr>
<tr>
<td>1711</td>
<td>仁元王后は天然痘を患うが回復</td>
</tr>
<tr>
<td>1720</td>
<td>粛宗が亡くなり、景宗が即位する</td>
</tr>
<tr>
<td></td>
<td>仁元王后は王大妃になる</td>
</tr>
<tr>
<td>1721</td>
<td>仁元王后が延礽君を養子にする</td>
</tr>
<tr>
<td></td>
<td>景宗が延礽君を王世弟に冊封する</td>
</tr>
<tr>
<td>1724</td>
<td>景宗が亡くなり、延礽君が第21代王・英祖として即位する</td>
</tr>
<tr>
<td></td>
<td>仁元王后は大王大妃になる</td>
</tr>
<tr>
<td>1757</td>
<td>仁元王后が宮殿・昌徳宮で亡くなる。享年71歳</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<h2>トンイで王妃を演じた女優たち</h2>
<p>ドラマ「トンイ」では、仁顕王后・張禧嬪・仁元王后の３人が登場します。</p>
<h3>仁顕王后役：パク・ハソン</h3>
<p>仁顕王后を演じた女優さんはパク・ハソンさんです。パク・ハソンさんは高校時代に街でスカウトされて芸能界に入っています。</p>
<div class="primary-box"><strong>＜パク・ハソンさんのプロフィール＞</strong><br />
生年月日：1987年10月22日<br />
（2026年04月27日現在、38歳）<br />
出生地：ソウル特別市<br />
身長：165cm<br />
学 歴：東国大学演劇映画学科<br />
配偶者：リュ・スヨン</div>
<h3>張禧嬪役：イ・ソヨン</h3>
<p>張禧嬪を演じた女優さんはイ・ソヨンさんです。イ・ソヨンさんは、2003年、演技を学んでいるときに、映画「スキャンダル」で芸能界デビューしています。</p>
<div class="primary-box"><strong>＜イ・ソヨンさんのプロフィール＞</strong><br />
生年月日：1982年4月16日<br />
（2026年04月27日現在、44歳）<br />
出生地：ソウル特別市<br />
身長：169cm<br />
学 歴：韓国芸術総合学校演劇院中退<br />
配偶者：2018年5月に離婚</div>
<h3>仁元王后役：オ・ヨンソ</h3>
<p>仁元王后を演じた女優さんはオ・ヨンソさんです。オ・ヨンソさんは、ガールズグループ・LUV（ラブ）でデビューしていますが、グループはすぐに解散、その後は女優として活動を始めました。</p>
<div class="primary-box"><strong>＜イ・ソヨンさんのプロフィール＞</strong><br />
生年月日：1987年06月22日<br />
（2026年04月27日現在、38歳）<br />
出生地：韓国・慶尚南道 晋州市<br />
身長：170cm<br />
学 歴：東国大学演劇映像学科<br />
配偶者：未婚</div>
<h2>まとめ</h2>
<p>粛宗の４人の王妃は、それぞれが派閥抗争や王位継承問題に翻弄されながらも、朝鮮王朝史に大きな足跡を残しました。</p>
<p>ドラマ「トンイ」で親しんだ王妃たちの史実でたどると、愛憎劇の背後にあった実際の政争や王室の思惑が浮かび上がります。史実とドラマを合わせて知ることで、朝鮮王朝の歴史をより深く理解することができます。</p>
]]></content:encoded>
					
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			</item>
		<item>
		<title>張禧嬪の家系図【中人出身で唯一王妃となった女性】</title>
		<link>https://justarandomnote.com/chanhibin-kakeizu2319/</link>
					<comments>https://justarandomnote.com/chanhibin-kakeizu2319/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[yoshis]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 26 May 2023 01:27:11 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[家系図]]></category>
		<category><![CDATA[トンイ]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://justarandomnote.com/?p=6413</guid>

					<description><![CDATA[張禧嬪（チャン・ヒビン）は、朝鮮王朝で唯一、中人の身分から王妃にまで上り詰めた女性でした。 この記事では、家系図を中心に両親や兄弟、通訳官としての家柄、さらに大商人による支援まで詳しく解説します。 張禧嬪の家系図 張禧嬪 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>張禧嬪（チャン・ヒビン）は、朝鮮王朝で唯一、中人の身分から王妃にまで上り詰めた女性でした。</p>
<p>この記事では、家系図を中心に両親や兄弟、通訳官としての家柄、さらに大商人による支援まで詳しく解説します。</p>
<h2>張禧嬪の家系図</h2>
<p>張禧嬪は仁同張氏の出身です。仁同張氏の始祖は高麗の功臣・張金用と伝わります。</p>
<p>祖父の張應仁は宣祖から仁祖にかけて活躍した通訳官で、その功績は外交記録書「通文館志」に記録されています。父の張烱（または張炯）も司訳院（サヨクウォン）の通訳官でした。</p>
<div id="attachment_6417" style="width: 673px" class="wp-caption aligncenter"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-6417" class="wp-image-6417" src="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2023/05/136f882f91e02b547a81e766613aad8e.jpg" alt="張禧嬪の家系図" width="663" height="425" srcset="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2023/05/136f882f91e02b547a81e766613aad8e.jpg 1039w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2023/05/136f882f91e02b547a81e766613aad8e-300x192.jpg 300w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2023/05/136f882f91e02b547a81e766613aad8e-1024x655.jpg 1024w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2023/05/136f882f91e02b547a81e766613aad8e-768x492.jpg 768w" sizes="(max-width: 663px) 100vw, 663px" /><p id="caption-attachment-6417" class="wp-caption-text">当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した家系図</p></div>
<p style="text-align: center;"><strong style="font-family: var(--cocoon-default-font);">＜張禧嬪の家系図＞</strong></p>
<h2>張禧嬪を支えた大商人・張炫</h2>
<p>父親の従兄弟にあたる張炫（チャン・ヒョン）は当時、朝鮮随一の大商人でした。</p>
<p>張炫は、1637年に清の人質となった昭顯世子と孝宗に随行。瀋陽で6年間過ごす間に、密かに清国の事情を把握、清の主要人物と人脈を構築しました。</p>
<p>張炫は清から帰国すると、この人脈を利用して、清と朝鮮の交易で巨万の富を築きました。この財力が張禧嬪が王妃になるための資金として貢献したと考えられます。</p>
<h2>張禧嬪の人物像｜実録に残る美貌</h2>
<p>張禧嬪は、その美しさが朝鮮王朝実録に記されるほどの女性でした。実録に容姿が記録される例はきわめて稀であることからも、彼女の美貌がいかに際立っていたかがうかがえます。</p>
<div class="primary-box"><strong>＜プロフィール＞</strong><br />
本名：張玉貞（チャン・オクチョン）<br />
出生：1659年9月19日<br />
死去：1701年10月10日（享年43歳）<br />
王妃の在位期間：1690年-1694年<br />
子女：景宗<br />
お墓：西五陵大嬪墓（禧嬪張氏墓）</div>
<h2>張禧嬪の家族</h2>
<p>張禧嬪は先妻の長男を入れて、2男2女の次女として生まれました。</p>
<table width="100%">
<tbody>
<tr>
<td width="18%">関係</td>
<td width="22%">名前</td>
<td width="25%">生年-没年</td>
<td width="35%">備考</td>
</tr>
<tr>
<td>父</td>
<td>張烱</td>
<td>1623-1669</td>
<td>司訳院の通訳官</td>
</tr>
<tr>
<td>義母</td>
<td>済州高氏</td>
<td>不詳-1645</td>
<td></td>
</tr>
<tr>
<td>実母</td>
<td>坡平尹氏</td>
<td>1626-1698</td>
<td>趙師錫の元奴婢</td>
</tr>
<tr>
<td>異母兄</td>
<td>張希栻</td>
<td>1640-不詳</td>
<td>通訳官</td>
</tr>
<tr>
<td>同母兄</td>
<td>張希載</td>
<td>1651-1701</td>
<td></td>
</tr>
<tr>
<td>長女</td>
<td>張氏</td>
<td>不詳</td>
<td></td>
</tr>
<tr>
<td>次女</td>
<td>張禧嬪</td>
<td>1659-1701</td>
<td></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>父は病気のため早く官職を退き、家では玄琴を楽しみながら余生を過ごしていましたが、張禧嬪が11歳のときに亡くなりました。</p>
<p>兄弟のうち、ドラマでよく描かれるのは同母兄の張希載（チャン・ヒジェ）ですが、先妻の子として張希栻もいました。張希栻は1657年、通訳を選抜する雑科試験に首席で合格し、通訳官として仕えています。</p>
<h2>朝鮮王朝唯一の中人出身の王妃</h2>
<p>母・尹氏はもとは南人派の重臣・趙師錫（張禧嬪を宮廷に送り込んだ人物）の奴婢でしたが、後に張烱の後妻（正室）となり免賤されました。</p>
<p>これにより張禧嬪は中人出身とみなされ、朝鮮王朝史上、唯一中人の身分から王妃となった女性となったのです。</p>
<h2>張禧嬪の波乱の生涯</h2>
<p>4年間で承恩尚宮から王妃まで一気に駆け上がった前例のない出世でした。</p>
<table width="100%">
<tbody>
<tr>
<td width="17%">年</td>
<td width="83%">出来事</td>
</tr>
<tr>
<td>1659</td>
<td>張烱と後妻・尹氏の次女として生まれる</td>
</tr>
<tr>
<td>1669</td>
<td>父が亡くなる（11歳）</td>
</tr>
<tr>
<td>不明</td>
<td>荘烈大妃の針房内人として入宮。粛宗の寵愛</td>
</tr>
<tr>
<td>1680</td>
<td>宮廷から追放</td>
</tr>
<tr>
<td>1684</td>
<td>明聖王后が逝去。側室として再入宮</td>
</tr>
<tr>
<td>1686</td>
<td>承恩尚宮から淑媛（スグォン）に昇進</td>
</tr>
<tr>
<td>1688</td>
<td>李昀（後の景宗）を出産</td>
</tr>
<tr>
<td>1689</td>
<td>嬪（正一品）に昇進。李昀は元子に冊封</td>
</tr>
<tr>
<td>1690</td>
<td>己巳換局で仁顕王后が廃位。張禧嬪が王妃になる</td>
</tr>
<tr>
<td>1694</td>
<td>甲戌換局で仁顕王后が復位。張禧嬪が嬪に降格</td>
</tr>
<tr>
<td>1701</td>
<td>仁顕王后が病死。呪詛の罪で張禧嬪が賜死</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<h2>明聖大妃との激しい嫁姑対決は事実か？</h2>
<p>明聖大妃が張禧嬪をよく思っていなかったのは事実ですが、ドラマのような明聖大妃と張禧嬪の対決はありませんでした。</p>
<p>ドラマ「トンイ」では宮廷に戻ってからも、二人の争いは激化していましたが、史実では明聖大妃が亡くなってから、張禧嬪は宮廷に戻っています。従って、ドラマのような明聖大妃と張禧嬪の対決はありませんでした。</p>
<h2>まとめ</h2>
<p>張禧嬪は通訳官の家系に生まれ、中人出身ながら王妃にまで昇りつめた唯一の女性です。</p>
<p>美貌だけでなく、王室に仕える通訳官の血筋、親族の大商人、母の出自や政治派閥の後押しなど複合的な背景が力となりました。</p>
<p>しかし、最後は党争に翻弄され、波乱の生涯を閉じています。</p>
]]></content:encoded>
					
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			</item>
		<item>
		<title>イ・ビョンフン監督がドラマ「トンイ」に込めた思いとは？</title>
		<link>https://justarandomnote.com/lee-byung-hoon-director-omoi2294/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[yoshis]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 12 Mar 2023 02:14:35 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[韓国時代劇ドラマ]]></category>
		<category><![CDATA[トンイ]]></category>
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					<description><![CDATA[韓国時代劇の巨匠イ・ビョンフン監督が大ヒット作「トンイ」に込めた思いをご紹介します。 イ・ビョンフン監督の思いが詰まった創作部分 トンイを制作するにあたり、イ・ビョンフン監督がトンイに込めた思いは次の2点です。 ・朝鮮最 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>韓国時代劇の巨匠イ・ビョンフン監督が大ヒット作「トンイ」に込めた思いをご紹介します。</p>
<h2>イ・ビョンフン監督の思いが詰まった創作部分</h2>
<p>トンイを制作するにあたり、イ・ビョンフン監督がトンイに込めた思いは次の2点です。</p>
<p>・朝鮮最高の聖君・英祖を育てた淑嬪崔氏を教育者として描くこと<br />
・朝鮮伝統の音楽を現代に伝えること</p>
<p>詳しく説明していきますね。</p>
<h3>淑嬪崔氏（トンイ）を教育者として描く</h3>
<p>賤民出身の女性が朝鮮で最長の在任期間を誇る聖君の母となるには、自分自身が相当の努力をしたはずです。</p>
<p>また、英祖が子供の頃には、母親が賤民出身ということもあり、世子として教育もろくに受けられず冷遇されたといいます。</p>
<div style= height:10px aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>だからこそ、淑嬪崔氏は延礽君を命がけで教育したと考えられます。</p>
<p>実際、その事実は資料にも頻繁に登場しています。</p>
<div style= height:10px aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>ドラマにおいてもトンイがクムを命がけで守り、教育する母としての姿が描かれています。</p>
<p>例えば、クムが初めて登場する場面での国母なる母としての凛とした態度です。</p>
<div style= height:10px aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>また、クムに本当の教育を受けさせるための先生探しに懸命になる姿を通して「教育に命をかける母」を感じることができます。</p>
<p>ドラマでの教育のストーリーは、フィクションでもその思いは事実であると想像できます。</p>
<h3>朝鮮の伝統音楽を現代に伝える</h3>
<p>イ・ビョンフン監督は作品を通して、朝鮮の伝統や文化を伝えることを使命と考えています。</p>
<p>チャングムでは「宮廷料理」、イ・サンでは「美術」、ホジュンでは「漢医学」を取り上げたように、トンイでは「朝鮮音楽」を取り上げています。</p>
<div style= height:10px aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>トンイは水汲みのムスリ（雑事を担当する下女）とされる説と針房（チムバン）に所属していた宮女であるという説があります。</p>
<p>いずれにしても、宮廷音楽を担当する掌楽院（チャンアグォン）の奴婢であったことは事実ではありません。</p>
<div style= height:10px aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>しかし、イ・ビョンフン監督の思いとは裏腹に、視聴者の反応は思わしくなく、音楽部分を大きくカットしたようです。</p>
<p>現代の若者にとって、クラッシク音楽はやはり退屈な音楽なのでしょうね。</p>
<h2>イ・ビョンフン監督はどんな人</h2>
<h3>イ・ビョンフン監督のプロフィール</h3>
<p>生年：1944年10月14日<br />
学歴：ソウル大学農学部林学科<br />
漢陽大学院マスコミ情報学部</p>
<p>ホジュン 宮廷医官への道では、最高の視聴率63.7%を記録して時代劇ブームを作りました。</p>
<p>従来の時代劇は地味でテンポのない物語でした。</p>
<div style= height:10px aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>そこで、イ・ビョンフン監督は作品をカラフルに、テンポよく、若者にも受け入れられるような数々の工夫を盛り込みました。</p>
<p>宮廷女官チャングムの誓いは、韓国だけでなく日本を始めとしたアジア各国で大ヒット。</p>
<p>主演のイ・ヨンエとともにアジア各国で一躍有名になりました。</p>
<p>イ・ビョンフン監督は韓国時代劇の新時代を切り開いたとして、時代劇の巨匠と呼ばれています。</p>
<h3>イ・ビョンフン監督の経歴</h3>
<p>1970年：MBC入社（ドラマ監督）<br />
1999年：ホジュン 宮廷医官への道を制作<br />
2001年：商道を制作<br />
2003年：宮廷女官チャングムの誓いを制作<br />
2005年：薯童謠を制作<br />
2007年：イ・サンを制作<br />
2010年：トンイを制作<br />
2012年：馬医を制作<br />
2016年：オクニョ 運命の女を制作</p>
<h2>まとめ</h2>
<p>イ・ビョンフン監督は作品を作るにあたって、史実に忠実であること。</p>
<p>そして、古い文化や芸能を若い世代に伝えることを心がけているそうです。</p>
<div style= height:10px aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>そんな思いから、イ・ビョンフン監督の作品には古き文化や芸能が物語に溶け込んで登場しています。</p>
<p>イ・ビョンフン監督作品が若者からお年寄りまで広く愛されている理由かもしれません。</p>
]]></content:encoded>
					
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		<item>
		<title>仁元王后の家系図と生涯【英祖を守った政治的決断とは】</title>
		<link>https://justarandomnote.com/queen-inwon-kakeizu2258/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[yoshis]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 28 Oct 2022 02:14:48 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[家系図]]></category>
		<category><![CDATA[トンイ]]></category>
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					<description><![CDATA[「トンイ」や「ヘチ王座への道」に登場する仁元王后（イヌォンワンフ）は、延礽君（後の英祖）を政治的に守り抜いた王妃として知られています。 この記事では、仁元王后の家系図から延礽君を救った政治的な決断の背景、および発見された [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>「トンイ」や「ヘチ王座への道」に登場する仁元王后（イヌォンワンフ）は、延礽君（後の英祖）を政治的に守り抜いた王妃として知られています。</p>
<p>この記事では、仁元王后の家系図から延礽君を救った政治的な決断の背景、および発見されたハングル文集の意義まで詳しく解説します。</p>
<h2>仁元王后の家系図</h2>
<p>仁元王后は新羅の金閼智を始祖とする名門・慶州金氏一族の出身です。慶州金氏は古代から続く由緒ある一族で、朝鮮王朝でも多くの高官を輩出しました。</p>
<p>慶州金氏からは多くの氏族が分かれし、その氏族の中には旧安東金氏や全州金氏があります。</p>
<div id="attachment_4653" style="width: 586px" class="wp-caption aligncenter"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-4653" class="wp-image-4653" src="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/10/54614c7a92a53d82ec6b5f5558c84ff8.jpg" alt="仁元王后の家系図" width="576" height="465" srcset="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/10/54614c7a92a53d82ec6b5f5558c84ff8.jpg 893w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/10/54614c7a92a53d82ec6b5f5558c84ff8-300x242.jpg 300w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/10/54614c7a92a53d82ec6b5f5558c84ff8-768x620.jpg 768w" sizes="(max-width: 576px) 100vw, 576px" /><p id="caption-attachment-4653" class="wp-caption-text">当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した家系図</p></div>
<p style="text-align: center;"><strong>＜仁元王后の家系図＞</strong></p>
<p>仁元王后の先祖には、大司憲・金萬均や慶林府院君・金命元など、政界で高い地位に就いた人物が名を連ねます。父・金柱臣は地方官でしたが、娘の入宮後に護衛大将へ出世しています。</p>
<p><strong>＜仁元王后の先祖＞</strong></p>
<table width="100%">
<tbody>
<tr>
<td width="33%">代</td>
<td width="33%">名前</td>
<td width="34%">備考</td>
</tr>
<tr>
<td>始祖</td>
<td>金閼智</td>
<td></td>
</tr>
<tr>
<td>ー</td>
<td>ー</td>
<td></td>
</tr>
<tr>
<td>七代祖</td>
<td>金引齡</td>
<td>持平</td>
</tr>
<tr>
<td>六代祖</td>
<td>金萬均</td>
<td>大司憲</td>
</tr>
<tr>
<td>五代祖</td>
<td>金命元</td>
<td>慶林府院君</td>
</tr>
<tr>
<td>高祖父</td>
<td>金守廉</td>
<td>僉知中樞府事</td>
</tr>
<tr>
<td>曾祖父</td>
<td>金南重</td>
<td>判書（耆老所）</td>
</tr>
<tr>
<td>祖父</td>
<td>金一振</td>
<td></td>
</tr>
<tr>
<td>父</td>
<td>金柱臣</td>
<td>護衛大将</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<h2>仁元王后はどんな王妃だったのか？</h2>
<p>厳格で意志が強く、王室の法を厳しく守った人でした。義理の息子の英祖とその妃、そして、英祖の息子の荘献世子（思悼世子）を大切にしたと言われています。</p>
<div class="primary-box"><strong>＜仁元王后のプロフィール＞</strong><br />
生年：1687年9月28日<br />
没年：1757年3月26日（享年71歳）<br />
在位期間：1702年〜1720年<br />
配偶者：粛宗<br />
子女：なし<br />
墓：明陵</div>
<h2>王妃となるまでの背景</h2>
<p>仁元王后は仁顕王后が亡くなると、揀択により選ばれて第19代国王・粛宗の3番目の王妃となりました。このとき、仁元王后は16歳、粛宗57歳、景宗15歳、英祖9歳、そして、淑嬪崔氏は33歳でした。</p>
<div class="information-box common-icon-box"><strong>＜豆知識＞揀択（カンテク）とは</strong><br />
王妃を公的に選ぶ制度。複数の候補から最終的に３人の候補に絞られ、最終選考で王妃が選ばれます。</div>
<p>当時の王室は、西人派が少論派と老論派に分裂し、政治抗争が激化していました。現代で言えば政党で、王位継承が最大の関心事でした。</p>
<p>少論派…世子・景宗を支持<br />
老論派…延礽君を支持</p>
<h2>英祖（延礽君）を守った政治的決断</h2>
<p>仁元王后の実家は少論派でしたが、彼女は延礽君を守るために老論派へ立場を変えます。この政治的決断が、後に英祖の即位を可能にしました。</p>
<p>仁元王后は実子がいなかったため、延礽君を自らの養子とすることで宮廷内で少論派の攻勢から延礽君を守り抜きます。この養子化の決断は、英祖が後に即位する道を開いた重要な一手であり、英祖が生涯にわたり仁元王后を厚遇した理由でもあります。</p>
<h2>仁元王后の生涯年表（抜粋）</h2>
<p>年表は事実のみを簡潔に示し、詳細は上の本文で補足しています。</p>
<table>
<tbody>
<tr>
<td width="10%">年</td>
<td width="90%">出来事</td>
</tr>
<tr>
<td>1687</td>
<td>金柱臣と嘉林府夫人の長女として生まれる</td>
</tr>
<tr>
<td>1702</td>
<td>粛宗の王妃に冊封される</td>
</tr>
<tr>
<td>1718</td>
<td>淑嬪崔氏が亡くなる</td>
</tr>
<tr>
<td>1720</td>
<td>粛宗が亡くなって景宗が即位する</td>
</tr>
<tr>
<td>1721</td>
<td>延礽君を養子に迎え、王世弟に冊封させる</td>
</tr>
<tr>
<td>1724</td>
<td>景宗崩御、延礽君が英祖として即位する</td>
</tr>
<tr>
<td>1757</td>
<td>71歳で昌徳宮にて死去</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<h2>仁元王后の家族</h2>
<p>仁元王后は父・金柱臣と母・嘉林府夫人の間に生まれた長女でした。</p>
<table>
<tbody>
<tr>
<td width="33%"></td>
<td width="33%"></td>
<td width="34%"></td>
</tr>
<tr>
<td>父親</td>
<td>金柱臣</td>
<td>領敦寧府事</td>
</tr>
<tr>
<td>母親</td>
<td>嘉林府夫人</td>
<td>本貫：林川趙氏</td>
</tr>
<tr>
<td>兄</td>
<td>金後衍</td>
<td>參議</td>
</tr>
<tr>
<td>兄</td>
<td>金九衍</td>
<td>金介臣の養子</td>
</tr>
<tr>
<td>本人</td>
<td>仁元王后</td>
<td></td>
</tr>
<tr>
<td>妹</td>
<td>不明</td>
<td>李德鄰の妻</td>
</tr>
<tr>
<td>妹</td>
<td>不明</td>
<td>尹勉敎の妻</td>
</tr>
<tr>
<td>弟（庶子）</td>
<td>金亨</td>
<td>郡守</td>
</tr>
<tr>
<td>弟（庶子）</td>
<td>金可衍</td>
<td>縣監</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<h2>仁元王后が書いたハングル文集</h2>
<p>2006年、仁元王后のハングル文集3冊が発見された。2冊は王妃時代の両親との交流を詳細に記録したもの、もう1冊は愛読した文学作品をまとめたものでした。</p>
<p>宮廷女性の自筆文集は希少で、仁穆大妃の「癸丑日記」、恵慶宮洪の「閑中録」と並び、宮廷生活・礼法・女性の教養を知る貴重な一次史料と評価されています。</p>
<p>特に、文集の具体的エピソード（父が差し出した茶菓を断る場面など）は、当時の礼儀意識や王妃の品格を示す生きた証言です。</p>
<h2>仁元王后が登場するドラマ</h2>
<p>仁元王后が出るドラマはそれほど多くはありませんが、トンイやヘチ 王座への道は日本でも大人気のドラマです。</p>
<p>「トンイ」では仁元王后は宮廷秩序を重んじる堅実な女性として描かれ、「ヘチ 王座への道」では、政治的判断を下す重みある存在としての側面が強調されています。いずれのドラマにおいても、仁元王后は重要な役割を担っています。</p>
<div class="primary-box"><strong>＜代表的なドラマ＞</strong><br />
大王の道（1998年、キム・ヨンリム）<br />
トンイ（2010年、オ・ヨンソ）<br />
ヘチ 王座への道（2019年、ナム・ギエ）</div>
<h2> まとめ</h2>
<p>仁元王后は厳格で意志が強く、王室の法を厳しく守った人でした。</p>
<p>彼女の家は少論派でしたが、彼女自身は老論派に鞍替えしてまで延礽君を守り、英祖の即位を実現させました。</p>
<p>名門・慶州金氏の血筋と強い意志、そして老論派への転身が、王朝の歴史を大きく動かしたのです。</p>
]]></content:encoded>
					
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			</item>
		<item>
		<title>仁顕王后の家系図【太宗が粛清した驪興閔氏の出自】</title>
		<link>https://justarandomnote.com/inyon-kakeizu2256/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[yoshis]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 14 Oct 2022 09:12:23 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[家系図]]></category>
		<category><![CDATA[トンイ]]></category>
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					<description><![CDATA[仁顕王后は太宗（李芳遠）が粛清した驪興閔氏の出自ですが、その後、4人の王妃・皇后を送り出すなど名門氏族を維持しました。 この記事では、仁顕王后の家系図をもとに、驪興閔氏の歴史、仁顕王后の人物像、家族関係から生涯まで詳しく [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>仁顕王后は太宗（李芳遠）が粛清した驪興閔氏の出自ですが、その後、4人の王妃・皇后を送り出すなど名門氏族を維持しました。</p>
<p>この記事では、仁顕王后の家系図をもとに、驪興閔氏の歴史、仁顕王后の人物像、家族関係から生涯まで詳しく解説します。</p>
<h2>仁顕王后の家系図</h2>
<p>驪興閔氏（ヨフンミンシ）は、高麗時代に中国から帰化した閔称道を始祖とし、孔子の10人弟子の1人であった閔子騫の末裔とされています。</p>
<div id="attachment_4515" style="width: 546px" class="wp-caption aligncenter"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-4515" class="wp-image-4515" src="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/10/c21fb28f9d0d46cc5964bcf93b0d12ec.jpg" alt="仁顕王后の家系図" width="536" height="644" srcset="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/10/c21fb28f9d0d46cc5964bcf93b0d12ec.jpg 674w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/10/c21fb28f9d0d46cc5964bcf93b0d12ec-250x300.jpg 250w" sizes="(max-width: 536px) 100vw, 536px" /><p id="caption-attachment-4515" class="wp-caption-text">当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した家系図</p></div>
<p style="text-align: center;"><strong>＜仁顕王后の家系図＞</strong></p>
<p>朝鮮王朝初期には太宗（李芳遠）の王妃・元敬王后を輩出しましたが、閔氏一族の権勢を恐れた太宗により、兄弟が粛清され、しばらくは表舞台から姿を消しました。</p>
<p>しかし、その後、仁顕王后の登場とともに、閔氏は再び名門氏族として注目されるようになりました。</p>
<h2>4人の妃を出した由緒ある一族</h2>
<p>驪興閔氏からは、以下の4人が王妃・皇后として歴史に名を残しています。</p>
<div class="secondary-box">元敬王后（太宗の王妃）<br />
仁顕王后（粛宗の継妃）<br />
明成皇后（高宗の王妃）<br />
純明孝皇后（純宗の妃）</div>
<p>また、仁顕王后の異母弟・閔鎭永の子孫には高宗の生母である驪興府大夫人がいます。仁顕王后の家系が代々王室と深く結びついていたことがわかります。</p>
<div id="attachment_4516" style="width: 611px" class="wp-caption aligncenter"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-4516" class="wp-image-4516" src="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/10/f1ae8345bf263e4ebdf7f1edb0d24e28.jpg" alt="驪興閔氏の系図" width="601" height="602" srcset="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/10/f1ae8345bf263e4ebdf7f1edb0d24e28.jpg 806w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/10/f1ae8345bf263e4ebdf7f1edb0d24e28-300x300.jpg 300w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/10/f1ae8345bf263e4ebdf7f1edb0d24e28-150x150.jpg 150w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/10/f1ae8345bf263e4ebdf7f1edb0d24e28-768x770.jpg 768w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/10/f1ae8345bf263e4ebdf7f1edb0d24e28-100x100.jpg 100w" sizes="(max-width: 601px) 100vw, 601px" /><p id="caption-attachment-4516" class="wp-caption-text">当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した家系図</p></div>
<p style="text-align: center;"><strong>＜驪興閔氏の系図＞</strong></p>
<h2>宋時烈との関係と仁顕王后の擁立</h2>
<p>仁顕王后の王妃就任には、儒学者であり西人派の実力者だった宋時烈（ソン・シヨル）の推薦が大きく影響しました。宋時烈は仁顕王后の母方の親族であり、粛宗の母・明聖王后とともに、仁顕王后を王妃に推挙しました。</p>
<div id="attachment_4517" style="width: 451px" class="wp-caption aligncenter"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-4517" class="wp-image-4517" src="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/10/d60b7852e3f4529143e369cc7b27f200.jpg" alt="宋時烈と仁顕王后の関係" width="441" height="563" srcset="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/10/d60b7852e3f4529143e369cc7b27f200.jpg 626w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/10/d60b7852e3f4529143e369cc7b27f200-235x300.jpg 235w" sizes="(max-width: 441px) 100vw, 441px" /><p id="caption-attachment-4517" class="wp-caption-text">当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した家系図</p></div>
<p style="text-align: center;"><strong>＜宋時烈と仁顕王后の関係＞</strong></p>
<p>宋時烈は孝宗の師傅（守役）として仕え、仁祖・孝宗・顕宗・粛宗と4代の王に重用されましたが、張禧嬪の子を世子にすることに反対し、最終的に流刑・死罪となりました。</p>
<h2>仁顕王后の家族関係</h2>
<p>仁顕王后は恩城府夫人を母親とする2男3女の次女でした。</p>
<p>父親の閔維重（ミン・ユジュン）は兵曹判書を勤めた西人派の重臣で、兄の閔鎮厚（ミンジヌ）と閔鎭遠（ミン・ジノン）は父親のあとを継ぎ、西人派から分裂した老論派の主導者となります。</p>
<p>閔鎭遠はドラマ「ヘチ　王座への道」にも登場する人物で左議政まで務めた老論派の重臣でした。</p>
<table width="100%">
<tbody>
<tr>
<td width="10%">関係</td>
<td width="22%">名前</td>
<td width="19%">生年-没年</td>
<td width="30%">子供</td>
<td width="19%">生年-没年</td>
</tr>
<tr>
<td>父親</td>
<td>閔維重</td>
<td>1630-1687</td>
<td></td>
<td></td>
</tr>
<tr>
<td>正室</td>
<td>海豊府夫人</td>
<td>1628-1652</td>
<td>子女なし</td>
<td></td>
</tr>
<tr>
<td rowspan="6">継室</td>
<td rowspan="5">恩城府夫人</td>
<td rowspan="5">1637-1672</td>
<td>姉：貞夫人閔氏</td>
<td>1656－1728</td>
</tr>
<tr>
<td>兄：閔鎭厚</td>
<td>1659－1720</td>
</tr>
<tr>
<td>兄：閔鎭遠</td>
<td>1664－1736</td>
</tr>
<tr>
<td>本人：仁顕王后</td>
<td>1667-1701</td>
</tr>
<tr>
<td>妹：不詳</td>
<td></td>
</tr>
<tr>
<td>豊昌府夫人</td>
<td>1659-1741</td>
<td>1男２女</td>
<td></td>
</tr>
<tr>
<td>側室</td>
<td>氏名不詳</td>
<td>不詳</td>
<td>2男2女</td>
<td></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<h2>仁顕王后はどんな王妃だったのか？</h2>
<p>仁顕王后は歴代王妃の中でも、礼儀正しく、徳があり「三大徳妃」の一人と称されています。</p>
<p>特に、廃位されてからの暮らしぶりは、一つも恨む気配なく、自ら罪人として慎ましく暮らしました。</p>
<p>そのため、多くの民が家の前に穀物や反物をひそかに届けたと伝えられています。</p>
<div class="primary-box"><strong>＜プロフィール＞<br />
</strong>仁顕王后（イニョンワンフ）<br />
生年：1667年4月23日<br />
没年：1701年8月14日（享年35歳）<br />
在位期間：1681年-1689年<br />
復位後：1694年-1701年<br />
陵号：明陵</div>
<h2>仁顕王后の生涯</h2>
<p>仁顕王后は15歳で粛宗の継妃となりましたが、生涯にわたり粛宗の寵愛を受けることはありませんでした。</p>
<p>張禧嬪との対立により廃位されるも、王妃としての品格を保ち続け、復位後も慎ましく王妃の務めを果たしたと伝えられます。</p>
<p>しかし、6年にわたる不遇の時期が体に大きな負担を与え、復位後まもなく、35歳という若さでこの世を去りました。</p>
<table width="100%">
<tbody>
<tr>
<td width="10%">年</td>
<td width="90%">出来事</td>
</tr>
<tr>
<td>1667</td>
<td>閔維重と恩城府夫人の次女として誕生</td>
</tr>
<tr>
<td>1680</td>
<td>張禧嬪が明聖王后により宮廷外に追放される</td>
</tr>
<tr>
<td>1681</td>
<td>粛宗の王妃となる（15歳）</td>
</tr>
<tr>
<td>1684</td>
<td>粛宗の母の明聖王后が亡くなる</td>
</tr>
<tr>
<td>1686</td>
<td>張禧嬪が承恩尚宮として宮廷に戻る</td>
</tr>
<tr>
<td>1688</td>
<td>張禧嬪が10月27日に李昀（景宗）を生む</td>
</tr>
<tr>
<td>1689</td>
<td>1月、張禧嬪は嬪に昇進、李昀は世子になる</td>
</tr>
<tr>
<td></td>
<td>5月、己巳換局により廃位となる（23歳）</td>
</tr>
<tr>
<td>1694</td>
<td>4月、甲戌換局で復位となる（28歳）</td>
</tr>
<tr>
<td>1701</td>
<td>8月、昌慶宮の景春殿で病死（35歳）</td>
</tr>
<tr>
<td></td>
<td>11月、張禧嬪が賜薬により処刑される</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<h2>まとめ</h2>
<p>仁顕王后は、太宗に粛清された驪興閔氏の出自でありながら、再び王妃として王室に迎えられ、一族の名声を回復させました。</p>
<p>宋時烈の支援で王妃となるも、張禧嬪との政争に巻き込まれ廃位と復位を経験。寵愛には恵まれませんでしたが、節度ある生き方は民衆や後世の評価を高めました。</p>
<p>わずか35歳で亡くなりましたが、彼女の清廉な人格は今も多くの人々に語り継がれています。</p>
]]></content:encoded>
					
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			</item>
		<item>
		<title>トンイの子供は何人？【史実で見る３人の王子の誕生】</title>
		<link>https://justarandomnote.com/toni-kodomo-nannin2233/</link>
					<comments>https://justarandomnote.com/toni-kodomo-nannin2233/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[yoshis]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 25 Jul 2022 01:43:24 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[韓国時代劇ドラマ]]></category>
		<category><![CDATA[トンイ]]></category>
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					<description><![CDATA[ドラマ「トンイ」では王子は2人しか登場しませんが、史実の淑嬪崔氏（トンイのモデル）は「3人の王子」を生んでいます。 しかし、そのうち長く生き残ったのは、第21代王となる英祖（ヨンジョ）だけでした。 トンイの子供は何人？  [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>ドラマ「トンイ」では王子は2人しか登場しませんが、史実の淑嬪崔氏（トンイのモデル）は「3人の王子」を生んでいます。</p>
<p>しかし、そのうち長く生き残ったのは、第21代王となる英祖（ヨンジョ）だけでした。</p>
<h2>トンイの子供は何人？</h2>
<p>史実によると、淑嬪崔氏（スクピンチェシ）には3人の王子がいました。<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/toni-kakeizu2429/">淑嬪崔氏の人生</a>はドラマで描かれる以上に波乱万丈だったのです。</p>
<div class="primary-box">長男：永壽（ヨンス）<br />
次男：昑（クム）第21代王・英祖<br />
三男：名前はなし</div>
<p>長男の永壽（ヨンス）は1693年に誕生しましたが、わずか2か月で亡くなります。ドラマでは麻疹による死と描かれていますが、史実に死因の記録は残っていません。</p>
<p>次男の昑（クム）は1694年に誕生し、後に<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/yoningun-kakeizu2162/">第21代王・英祖</a>として即位しています。彼は淑嬪崔氏の唯一の生存した子供でしたが、82歳まで生き最も長生きした王となります。</p>
<p>三男は1698年に生まれましたが、名前をつける前に3日で亡くなっています。このため史料に残された記録は極めて簡潔です。</p>
<h2>粛宗実録で見る王子の誕生</h2>
<p>朝鮮王朝実録（粛宗実録）には、3人の王子の誕生が記録されています。</p>
<table width="100%">
<tbody>
<tr>
<td width="18%">年月日</td>
<td width="41%">実録の記録</td>
<td width="41%">要点</td>
</tr>
<tr>
<td>1693年10月6日</td>
<td>王子生, 卽(昭儀)〔淑媛〕 崔氏出也</td>
<td>永壽（ヨンス）の誕生</td>
</tr>
<tr>
<td>1694年 9月20日</td>
<td>淑儀崔氏生王子</td>
<td>昑（クム）の誕生</td>
</tr>
<tr>
<td>1698年 7月10日</td>
<td>新生王子卒</td>
<td>三男の誕生と早世</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>このように、実録からも淑嬪崔氏が3人の王子をもうけたことが確認できます。</p>
<h2>参考情報：実録の記録（原文）</h2>
<p>朝鮮王朝実録（粛宗実録）に記された誕生の記録を参考までにご紹介します。</p>
<p>1693年10月6日、昭儀崔氏（トンイ）が王子を産んだことが記録されていますが、2ヶ月後に亡くなっています。前例に従い、葬儀は行わないよう命じたことが記録されています。</p>
<blockquote><p><strong>王子生, 卽(昭儀)〔淑媛〕 崔氏出也。</strong><br />
引用元：粛宗実録1693年10月6日</p></blockquote>
<blockquote><p><strong>壬午/新生王子卒。 </strong><br />
<strong>禮曺引仁祖己巳年, 二歲大君卒逝時, 竝勿擧行禮葬之例稟啓。 命勿擧行</strong>。<br />
引用元：粛宗実録1693年12月13日</p></blockquote>
<p>しかし、翌年の1694年9月20日にあの昑（クム）が誕生しました。</p>
<blockquote><p><strong>淑儀崔氏生王子, 例設護産廳, 上賞廳中, 宦侍醫官以內廐馬。</strong><br />
引用元：粛宗実録1694年9月20日</p></blockquote>
<p>淑儀崔氏に王子が生まれたこと。授乳室が設置されたことが記録されています。</p>
<p>そして、それから4年後に再び、王子が生まれましたが、その王子は名前を付ける間もなく、3日後に亡くなっています。</p>
<blockquote><p><strong>壬午/新生王子卒。</strong><br />
引用元：粛宗実録1698年7月10日</p></blockquote>
<h2>関連記事リスト</h2>

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<h2>まとめ</h2>
<p>淑嬪崔氏（トンイのモデル）には、史実では3人の王子がいました。</p>
<p>・長男・永壽：生後2か月で死去<br />
・次男・昑（英祖）：生き残り即位<br />
・三男：生後3日で死去</p>
<p>残念ながら、英祖以外の王子は幼くして亡くなってしまいました。娘の記録はありません。</p>
<p>なお、長男は長生きするようの永壽（ヨンス）と名付けられました。昑（クム）は「明るい光」を意味しています。三男は名前を付ける間もなく亡くなっています。</p>
<p>このように、史実の淑嬪崔氏の人生は、より多くの悲しみを抱えていたといえるでしょう。</p>
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		<item>
		<title>ヨニングンの最初の王妃は貞聖王后【気の強い両班の娘？】</title>
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		<dc:creator><![CDATA[yoshis]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 27 May 2022 00:55:58 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[朝鮮王朝時代]]></category>
		<category><![CDATA[トンイ]]></category>
		<category><![CDATA[ヘチ]]></category>
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					<description><![CDATA[史実の貞聖王后は温厚でしとやかな王妃と言われています。しかし、韓国時代劇ではまったく異なる性格で描かれることがあります。 この記事では、ドラマ「ヘチ 王座への道」と「トンイ」での描写を比較しながら、貞聖王后の実像に迫りま [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>史実の貞聖王后は温厚でしとやかな王妃と言われています。しかし、韓国時代劇ではまったく異なる性格で描かれることがあります。</p>
<p>この記事では、ドラマ「ヘチ 王座への道」と「トンイ」での描写を比較しながら、貞聖王后の実像に迫ります。</p>
<h2>ヘチの貞聖王后｜気の強い両班の娘</h2>
<p>「ヘチ王座への道」の貞聖王后（チョンソンワンフ）は自分勝手な気の強い両班の娘として描かれています。</p>
<p style="text-align: center;"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-3344" src="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/05/132377834e962458073baf1ce4471e29.jpg" alt="ヘチに登場するソ氏（貞聖王后）の画像" width="255" height="283" srcset="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/05/132377834e962458073baf1ce4471e29.jpg 372w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/05/132377834e962458073baf1ce4471e29-271x300.jpg 271w" sizes="(max-width: 255px) 100vw, 255px" /></p>
<p style="text-align: center;"><strong>＜ヘチに登場するソ氏（貞聖王后）＞</strong></p>
<p>ヨニングンが世子になる前は、彼女は結婚したことを後悔し、夫に当たり散らして腐っていました。</p>
<p>しかし、世子嬪になると一転、夫への関心は無くなり、自分をよく見せることだけに一生懸命になります。</p>
<p>このドラマでの貞聖王后の性格と行動は、ヨニングンが王座に対して無欲であることを強調するための創作だったと考えられます。</p>
<h2>トンイの貞聖王后｜聡明でおしとやかな娘</h2>
<p>「トンイ」の貞聖王后は、進士（チンサ）である徐宗悌（ソ・ジョンジェ）の娘ヘインとして描かれています。</p>
<p>彼女はとってもおしとやかな娘でした。</p>
<p style="text-align: center;"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-3339" src="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/05/7348baeb6636bc91f53fc81c8af1d865.jpg" alt="トンイに登場するヘイン（貞聖王后）の画像" width="275" height="237" srcset="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/05/7348baeb6636bc91f53fc81c8af1d865.jpg 412w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2022/05/7348baeb6636bc91f53fc81c8af1d865-300x258.jpg 300w" sizes="(max-width: 275px) 100vw, 275px" /></p>
<p style="text-align: center;"><strong>＜トンイに登場するヘイン（貞聖王后）＞</strong></p>
<p>トンイも清らかで聡明な娘を一目で気にい入りました。こちらの描写の方が、史実に近い印象を受ける方も多いかもしれません。</p>
<h2>王気（ワンギ）と婚姻選びのエピソードは創作</h2>
<p>ヨニングンの婚礼相手を選ぶ際、ドラマではトンイが「王気（ワンギ）が漂う家の娘」を選んだという話が出てきますが、これは創作です。</p>
<p>その家はかつて成宗の父・懿敬世子や宣祖が過ごした由緒ある場所でした。</p>
<p>長男ではない王子たちにゆかりがあるため、「ヨニングンが王になる」という民の噂を呼ぶ可能性があり、トンイはそれを逆手に取ったのです。</p>
<p>実際の王妃・貞聖王后の父は進士の徐宗悌ですが、家に関する逸話は史料には見られません。</p>
<div class="information-box common-icon-box"><strong>＜豆知識＞</strong><br />
<strong>王気（ワンギ）とは</strong><br />
王が出現する所に昇る神気のこと。転じて王の気品・風格の意で用いられますが、ここでは、もとの意味の王が生まれる運気の意味で使われています。<br />
<strong>進士（チンサ）とは</strong><br />
科挙の１つ司馬試（サマシ）に合格した者の称号です。貞聖王后の父親は、結婚当時は進士（チンサ）でしたが、ドラマでは官職につかずに学問に精進していました。</div>
<h2>史実の貞聖王后｜温厚で長期在位の王妃</h2>
<p>史実の貞聖王后（チョンソンワンフ）は温厚で寛大な性格だったと言われています。</p>
<p>貞聖王后は1704年、11歳でヨニングン（延礽君）と婚礼を挙げました。彼女はヨニングンより約2歳年上の姉さん女房でした。</p>
<p>1721年、ヨニングンが王世弟となると、彼女も王世弟嬪に。さらに1724年の即位に伴い正式に王妃となり、以後33年間も在位します。</p>
<p>これは朝鮮王朝の王妃の中でも最長クラスです。長い在位中も悪評はなく、側室の子も可愛がったとされ、心優しく善良な王妃だったことがうかがえます。</p>
<div class="primary-box"><strong>＜貞聖王后のプロフィール＞</strong><br />
生年：1693年12月27日<br />
没年：1757年3月26日<br />
王妃在位：1724年-1757年<br />
享年：64歳<br />
父親：達城府院君　徐宗悌<br />
母親：岑城府夫人　牛峰李氏<br />
兄：徐命伯</div>
<p>史実の貞聖王后について詳しくは＞＞<a rel="follow" target="_blank" href="https://justarandomnote.com/queen-jeisei-kakeizu2260/">貞聖王后の家系図【最長在位期間33年間の王妃】</a></p>
<h2>ヨニングンと貞聖王后の仲は良かったのか</h2>
<p>ヨニングンと貞聖王后の間には子供は出来ませんでしたが、二人は大変仲が良かったと推定されます。</p>
<p>その理由は２つあります。</p>
<p>・死後、彼女を「大王大妃」と追尊したこと<br />
・彼女の墓の隣を自分のために空けていたこと</p>
<h3>最大限の称号を与える</h3>
<p>英祖実録に貞聖王后を埋葬するときのことを、次のように記録されています。</p>
<blockquote><p>英祖は自ら貞聖王后の銘旌（めいせい）に文字を記し、また、崩御した<strong>大王大妃の梓宮（棺）</strong>に「上字」を自筆で書かれた。棺には漆（うるし）を施し、合計で25回塗って完了した。<br />
＜引用元：英祖実録1757年6月1日＞</p></blockquote>
<p>「大王大妃の棺」と記録されていることから、死後、大王大妃に追尊されたことが分かります。通常、王妃を死後、大王大妃と称することはありません。</p>
<p>この記録は、英祖が貞聖王后に対して極めて深い敬意と哀悼の意を持って葬儀に臨んだことを物語っています。</p>
<p>「自筆で文字を書く」「漆を25回塗る」といった丁寧な処置は、王としての誠意と王妃への最大限の礼遇を意味しています。</p>
<h3>仲良く埋葬されることを希望する</h3>
<p>また、ヨニングンは貞聖王后の墓の隣を自分のために空けていました。</p>
<p style="text-align: center;"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-1758" src="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2021/10/2f7ad30d5a14a2e602d2aaff4f957f49.jpg" alt="西五陵にある弘陵（貞聖王后のお墓）の画像" width="402" height="192" srcset="https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2021/10/2f7ad30d5a14a2e602d2aaff4f957f49.jpg 603w, https://justarandomnote.com/wp-content/uploads/2021/10/2f7ad30d5a14a2e602d2aaff4f957f49-300x143.jpg 300w" sizes="(max-width: 402px) 100vw, 402px" /></p>
<p style="text-align: center;"><strong>＜西五陵にある弘陵（貞聖王后のお墓）＞</strong></p>
<p>しかし、残念ながら、存命中だった貞純王后への政治的配慮から、ヨニングンは彼女の隣に埋葬されることはありませんでした。</p>
<h2>まとめ</h2>
<p>ヨニングン（英祖）の正室・貞聖王后は、目立った政治的活動や波乱がなく、非常に堅実で誠実な王妃だったと考えられます。</p>
<p>ヨニングンとの仲も良かったと思われます。</p>
<p>ヘチに描かれた気の強い人物像ではなく、トンイに描かれた清楚な方が実像に近いかもしれません。</p>
<p>在位期間33年という長期間に渡り、静かに、そして、穏やかに朝鮮王朝を支えた王妃であったと思われます。</p>
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