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【その疑問を解決!】ヨニングン(英祖)の家系図を徹底調査

第21代国王・英祖に即位するヨニングン(延礽君)の家系図からヨニングンの実像を徹底調査しました。

あまり知られないヨニングンの家族についてもご紹介しています。

 

ヨニングン/英祖の家系図

ヨニングン(延礽君)の家系図を調べてみると、意外にも、父親の粛宗から孫の正祖まで全員が側室の次男です。

それに、あまり男の子に恵まれない家系でした。

ヨニングンの家系図

<ヨニングンの家系図>

ヨニングンの母親は粛宗の側室・淑嬪崔氏(スクピンチェシ)で、実の兄と弟がいましたが、二人とも生まれてまもなく亡くなっています。

ドラマ「イ・サン」で日本でも有名になった正祖は、ヨニングン(英祖)の孫にあたります。

 

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ヨニングンの父母と兄弟

ヨニングンの父・粛宗には3人の正室と6人の側室がいました。

第19代国王・粛宗
正室 仁敬王后 2女 2人の公主 早世
仁顕王后 子女なし
仁元王后 子女なし
側室 禧嬪張氏 2男 李昀 第20代 景宗
盛寿 早世
淑嬪崔氏 3男 永壽 早世
李昑(延礽君) 第21代 英祖
王子 早世
䄙嬪朴氏 1男 延齢君 21歳で逝去
寧嬪金氏 子女なし
貴人金氏 子女なし
昭儀劉氏 子女なし

禧嬪張氏は一時王妃になっています。

 

ヨニングンの母

ヨニングンには生みの親と育ての親となる二人の母がいました。

生母:淑嬪崔氏
養母:仁元王后

 

尊敬する母・淑嬪崔氏

淑嬪崔氏は、身分の低い賤民の出身であり、ヨニングンはいつもそのことを気にしていました。

当初、母親のお墓は「昭寧墓」であり、現存する立派なお墓「昭寧園」に昇格したのは、英祖(ヨニングン)が60歳になってからでした。

王様にとっても身分の差は大きな障壁だったんです。

 

ヨニングンを守った仁元王后

1721年にヨニングンは粛宗の継室・仁元王后(イヌォンワンフ)の養子になっています。

仁元王后は事あるごとにヨニングンを助け、70歳まで生きますが、生涯、ヨニングンに大事にされました。

 

ヨニングンの異母兄弟

ヨニングンには母親が違う義理の兄弟が二人いました。

異母兄:李昀(母:禧嬪張氏)
異母弟:李昍(母:䄙嬪朴氏)

 

在位4年で病死した異母兄の李昀

李昀(イ・ユン)は張禧嬪の息子で粛宗を継ぎ、第20代王・景宗として即位しました。

在位は4年で病死、子供はできず、ヨニングンが第21代王・英祖として王位を継承しています。

実は、景宗は子供ができない病気でした>>トンイに登場する世子の病気の痿疾(いしつ)は本当か?

 

短命だった異母弟の李昍

李昍(イ・フォン)は側室・榠嬪朴氏の息子で、ヨニングンとは仲が良かったと言われていま。

延齢君(ヨルリョングン)と称されましたが、21歳の若さで病死しています。

 

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ヨニングンの家族

ヨニングンは生涯6人の妻(正室2人、側室4人)との間に2男7女の子供をもうけました。

<英祖(ヨニングン)の家族>

第21代国王・英祖
正室 貞聖王后 子女なし
貞純王后 子女なし
側室 靖嬪李氏 1男2女 和億翁主 早世
孝章世子 早世
和順翁主
暎嬪李氏 1男6女 和平翁主 22歳で逝去
和協翁主 20歳で逝去
荘献世子 尊称:思悼世子
和緩翁主 正祖が流刑
他に3人の翁主 早世
貴人趙氏 2女 和柔翁主
他に1人の翁主 早世
淑儀文氏 2女 和寧翁主
和吉翁主

 

ヨニングンの王妃

正室は若くして結婚した貞聖王后と晩年になってから結婚した貞純王后の二人です。

正室:貞聖王后(チョンソンワンフ)
継室:貞純王后(チョンスンワンフ)

 

寵愛された王妃・貞聖王后

貞聖王后はヨニングンと10歳のときに結婚した2歳年上の姉さん女房でした。

トンイに登場するヘイン

<トンイに登場するヘイン(貞聖王后)>

33年間、王妃の座にいましたが、子供には恵まれず、その代わりに側室の子供を大変可愛がりました。

ヨニングンは生前、貞聖王后を大変寵愛し、彼女のお墓の隣は自分が入るために空けてあったといいます。

 

悪女だった貞純王后

貞聖王后が亡くなると、ヨニングン(英祖)は66歳で15歳の貞純王后と結婚します。

<イ・サンの貞純王后>

彼女は聡明な女性でしたが、思悼世子や正祖とは仲が悪く、米びつ事件に関与していたと言われています。

正祖の時代には周囲が粛清されおとなしくしていましたが、息子の純祖が王位につくと、垂簾聴政により積極的に政治に関与し、正祖の改革を全て無にする暴政を行いました。

 

ヨニングンの側室

ドラマにはあまり、登場しませんが、ヨニングンには四人の側室がいました。

靖嬪李氏(チョンビンイシ)
暎嬪李氏(ヨンビンイシ)
貴人趙氏
淑儀文氏(スギ ムンシ)

 

最初の側室・靖嬪李氏

靖嬪李氏はヨニングンが世弟になる前に寵愛を受け長男の孝章世子を生んでいますが、28歳で病死、その後、孝章世子も10歳で病死しています。

ヨニングン(英祖)は死を深く悲しみ、8歳で結婚した長男の妻・賢嬪趙氏を娘のように可愛がりました。

しかし、賢嬪趙氏は36歳で逝去、死後、孝純王后に追尊されています。

 

最も寵愛を受けた暎嬪李氏

暎嬪李氏は側室の中でもヨニングン(英祖)が最も寵愛した女性で、米びつ事件で亡くなった思悼世子と正祖に流刑にされた和緩翁主を生んでいます。

 

思悼世子と犬猿の仲だった淑儀文氏

淑儀文氏は長男の妻・孝純王后に仕えていた宮女で、英祖が60歳のときに側室(昭媛)になっています。

王女を二人生みましたが、思悼世子の死に関与したと言われ、正祖が即位すると真っ先に廃位され、その後、賜死させられました。

 

ヨニングンの子供

ヨニングン(英祖)は二人の正室との間には子供を授かることはできませんでしたが、四人の側室との間に2男7女の子供をもうけています。

しかし、生涯、男の子はたったの二人でした。

孝章世子(母:靖嬪李氏)
荘献世子/思悼世子(母:暎嬪李氏)

先に述べたように二人とも悲しい最後を遂げています。

 

ヨニングン(英祖)の娘では、次の3人がよくドラマに登場しますが、いずれも、母親は暎嬪李氏です。

和平翁主(ファピョンオンジュ)
和協翁主(ファヒョプオンジュ)
和緩翁主(ファワンオンジュ)

和平翁主と和緩翁主はヨニングン(英祖)の寵愛を受けて育ちましたが、和協翁主は酷く冷遇されました。

和協翁主は同じく冷遇された思悼世子とは仲が良かったといいます。

 

ヨニングン(英祖)は和平翁主を結婚後も宮殿に住まわせましたが、22歳で亡くなっています。

和緩翁主は思悼世子の米びつ事件に関わったと言われ、正祖が即位したときに流刑にされています。

 

まとめ

ヨニングン(英祖)の家系図から、彼が生きてきた苦難の人生を知ることができます。

特に、ヨニングンと彼の子供たちの関係は、後世に大きな影響を与えました。

この記事を通して、ドラマでは描かれないヨニングンの実像をより深く理解することができました。

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