トンイ(淑嬪崔氏)の兄は実在していました。
兄の崔垕(チェフ)はどんな人物だったのか?
詳しくご紹介していきます。
実在したトンイの兄はどんな人物?
トンイ(淑嬪崔氏)の兄の名前は崔垕(チェフ)です。
崔孝元の長男として生まれ、通政大夫だった安俊榮の娘・安氏と結婚して1男1女の子供に恵まれました。
崔垕(チェフ)
生年:1657年
没年:1731年
享年:75歳
父:崔孝元
母:南陽洪氏(洪継南の娘)
妻:順興安氏(安俊榮の娘)
子女:1男1女
崔垕の両親
崔垕の父は万戸を務めた崔孝元でしたが、1672年、崔垕が16歳のときに亡くなっています。
その2年後の1674年、今度は母の洪氏が亡くなりました。
崔垕が18歳のときです。
ちなみに、父が亡くなったとき、トンイ(淑嬪崔氏)はまだ3歳、母が亡くなったときは5歳でした。
崔垕の兄弟姉妹
崔垕には2人の姉妹がいました。
一人は府使(地方官)の徐專と結婚した長女・崔氏で、もう一人は次女のトンイ(淑嬪崔氏)です。
長女に関しては一人娘がいた事以外、特に記録はありません。
関係 | 名前 | 生年-没年 | 備考 |
父 | 崔孝元 | 1638-1672 | |
母 | 洪氏 | 1639-1673 | 南陽洪氏、洪継南の娘 |
長女 | 崔氏 | 不詳 | 府使の徐專の妻、1女 |
次女 | 淑嬪崔氏 | 1670-1718 | 粛宗の側室、トンイ |
本人 | 崔垕 | 1657-1731 |
崔垕の家族
崔垕は妻の順興安氏との間に1男1女の子供をもうけています。
息子の崔壽崗は武科に合格して万戸を務め、金熙潤の娘の金氏と結婚しました。
金氏との間には二人の息子をもうけています。
また、崔垕の娘は趙泰恒に嫁ぎ、1男3女の子供に恵まれました。
夫の趙泰恒は武科に合格して、折衝を務めています。
<崔垕の家族>
関係 | (孫) | 名前 | 生年-没年 | 備考 |
妻 | ー | 順興安氏 | 不詳 | 安俊榮の娘 |
長男 | ー | 崔壽崗 | 不詳-1749 | 妻は金熙潤の娘 |
長男 | 崔鎭海 | 不詳 | 妻は斗杓の娘 | |
次男 | 崔鎭衡 | 不詳 | 妻は安瑞莢の娘 | |
長女 | ー | 崔氏 | 不詳 | 趙泰恒の妻 |
長男 | 趙慶祥 | 不詳 | 武科合格、折衝 | |
長女 | 趙氏 | 不詳 | 李世寬に妻 | |
次女 | 趙氏 | 不詳 | 權繼重の妻 | |
三女 | 趙氏 | 不詳 | 金胤宗の妻 |
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崔垕の家系図
崔垕は海州崔氏一族の出身と言われています。
父は崔孝元(チェ・ヒョウォン)、祖父は崔泰逸(チェ・テイル)、曽祖父は崔末貞(チェ・マルチョン)、高祖父は崔億之です。
<崔垕の家系図>
祖父の崔泰逸は科拳の受験を目指して勉強していた儒生だったと思われますが、恐らく、合格はしていません。
父の崔孝元は、当初、宣略將軍行忠武衛副司果を務めた下級役人でした。
死後の1734年に、英祖により大匡輔國崇祿大夫、議政府領議政、弘文館藝文館春秋館觀象監事に追贈されています。
これらの記録は、崔孝元の墓標に刻まれています。
しかし、崔孝元をはじめとして祖父、曽祖父、高祖父のいずれも海州崔氏の族譜に記載されていません。
従って、崔垕の家系が本当に崔温を始祖とする海州崔氏一族であるかは不確かで、ドラマのように創作された族譜かもしれません。
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まとめ
トンイ(淑嬪崔氏)の兄である崔垕に関する記録は少なく、詳しいことは謎のままでした。
しかし、ドラマのように若くして亡くなることはなく、75歳の生涯を送っていました。
トンイ(淑嬪崔氏)より長生きした崔垕は、英祖から大事に扱われたようです。
更に、崔垕の子孫は正祖にも可愛がられ、官職を務めたと言われています。