荘烈王后は歴史上、特に目立つことのない王妃です。
しかし、実は、
驚くことに張禧嬪の影の支援者でした。
荘烈王后の家系図から家族や生涯について詳しく調べてみました。
荘烈王后の家系図
荘烈王后は趙岑を始祖とする楊州趙氏一族の出身です。
趙岑は高麗時代に楊州の戸長(行政事務の責任者)を務め、中枢府事に追贈されています。
<荘烈王后の家系図>
楊州趙氏は朝鮮時代に1000人以上の官僚を出した名門氏族でした。
日本との親善外交で活躍した通信使が多いのも特徴です。
楊州趙氏の分派
楊州趙氏は高麗時代の忠臣・趙誼の息子を派祖として4つに分派しています。
趙啓生を派祖とする靖平公派、趙惟中を派祖とする江華公派、趙末生を派祖とする文剛公派、趙從生を派祖とする提學公派です。
趙末生はドラマ「六龍が飛ぶ」にイ・バンウォンの腹心として登場した大臣です。
荘烈王后は趙末生の文剛公派に属しています。
<楊州趙氏の分派>
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荘烈王后はどんな王妃だったのか?
荘烈王后は仁祖の時代から、孝宗、顕宗、粛宗と4代の王の時代を生きた王妃でした。
若い頃は、仁祖の側室である貴人趙氏にいじめられ、晩年になってからは最年長でありながら明聖大妃に抑え込まれていました。
従って、目立った活躍のできなかった王妃と言えます。
荘烈王后のプロフィール
荘烈王后の性格については、ほとんど記録がありません。
しかし、晩年は張禧嬪を使って何とか自分の派閥を盛り返そうと策略を練るなど、したたかな性格であったと推測できます。
荘烈王后(チャンニョルワンフ)
在位:1638年12月2日 -1649年5月13日
別称:慈懿恭慎徽献康仁淑穆王后(諡号)
生年:1624年11月7日
没年:1688年8月26日
享年:65歳
陸:徽陵
配偶者:仁祖
子女:なし
氏族:揚州趙氏
父親:趙昌遠
荘烈王后の家族
祖父の趙存性は1615年の政変に関与した人物として死罪になりました。
その結果、荘烈王后の一家は没落してしまいます。
しかし、1623年の仁祖反正で光海君が廃位になると、父親の趙昌遠は官職に復帰することができました。
官職を歴任した趙昌遠は仁川で府使(地方官)を務めていたときに、娘の荘烈王后が王妃に選ばれます。
<荘烈王后の家族>
関係 | 名前 | 生年ー没年 | 備考 |
祖父 | 趙存性 | 1554-1628 | |
父 | 趙昌遠 | 1583-1646 | |
母 | 完山府夫人 | 不明 | 全州崔氏 |
兄 | 趙胤錫 | ||
姉 | 不明 | 申翊全の妻 | |
姉 | 不明 | 韓鼎相の妻 | |
本人 | 荘烈王后 | 1624-1688 |
荘烈王后の生涯
荘烈王后が仁祖の王妃になったときには、荘烈王后は14歳、仁祖は43歳でした。
当時、仁祖は側室の貴人趙氏を寵愛しており、荘烈王后は不遇の日々を過ごしました。
貴人趙氏からは度々、いじめにあったと言われています。
晩年は、張禧嬪を使って明聖大妃に対抗しようとしましたが、最後まで歯が立ちませんでした。
荘烈王后の生涯を関連する出来事も含めて整理しました。
年 | 出来事 |
1624年 | 趙昌遠の次女として生まれる |
1636年 | 先妻の仁烈王后が亡くなる |
1638年 | 14歳で仁祖の王妃に冊封される |
1649年 | 仁祖が亡くなり、大妃(慈懿大妃)となる |
孝宗が30歳で即位。荘烈王后は年下の25歳 | |
1652年 | 貴人趙氏が仁烈王后と申氏を呪った罪で死罪 |
1659年 | 孝宗が亡くなる |
顯宗が即位。大王大妃になる | |
1661年 | 恭慎という尊号が加わる |
1674年 | 3月に孝宗の妃・仁宣王后が亡くなる |
9月に顯宗が亡くなり、粛宗が即位 | |
1680年頃 | 明聖大妃によって張禧嬪が宮廷を追放される |
1683年 | 明聖大妃がかぜをこじらせて亡くなる |
1686年 | 荘烈王后により張禧嬪が宮中に戻る |
1688年 | 8月26日に昌慶宮で亡くなる(死因は老衰) |
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張禧嬪の影の支援者
粛宗から寵愛を受け、王妃にまでなった張禧嬪ですが、その影には荘烈王后の存在がありました。
張禧嬪は荘烈王后の針房内人として宮中に入っています。
このとき、荘烈王后は先々々王の妃なので大王大妃(テワンデビ)になっていました。
当時、朝廷は西人(ソイン)と南人(ナミン)が争っている時代で、明聖王后は西人側、荘烈王后は南人側についていました。
最長老でありながら明聖王后に歯が立たなかった荘烈王后は張禧嬪の美貌を使って形勢を挽回しようとしました。
張禧嬪の美しさは直ぐに粛宗の目に止まりました。
張禧嬪のことを良く思わない明聖王后は張禧嬪を宮廷から追い出してしまいます。
しかし、一度は追い出された張禧嬪ですが、明聖王后が亡くなったのを機に再び、入宮して粛宗の寵愛を受けることになりました。
荘烈王后の仕掛けた南人の復活が実現したのです。
荘烈王后が登場するドラマ
華政では側室・貴人趙氏の悪事を必死で防ぐ荘烈王后が描かれていました。
張禧嬪[チャン・ヒビン](2002年、カン・ブジャ)
チャン・オクチョン-張禧嬪-(2013年、イ・ヒョチュン)
花たちの戦い 宮廷残酷史(2013年、コ・ウォニ)
華政(2015年、キム・チェビン)
( )内は荘烈王后を演じた女優
まとめ
荘烈王后は多くの官僚を輩出した名門・揚州趙氏の出身でした。
14歳で仁祖の王妃となった荘烈王后は65歳で生涯を閉じるまでに、仁祖から粛宗まで4代の王の時代を生きています。
幼い頃は貴人趙氏にいじめられ、晩年になってからは明聖大妃に太刀打ちできませんでした。
その生涯は苦難の連続だったようです。