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粛宗の家系図【トンイに登場する粛宗は恐ろしい王様だった】

トンイでは、チ・ジニがコミカルで優しい王様として演じた粛宗ですが、実在の人物は違っていました。

トンイを観て、粛宗に興味を持った私は粛宗の家系図や史実における粛宗を詳しく調べてみました。

すると、驚きの事実が。。。

 

粛宗の家系図

粛宗は父の顕宗(ヒョンジョン)が34歳で死去すると、14歳で朝鮮国王に即位しました。

<粛宗の家系図>

粛宗は4人の正室と5人の側室の間に6男2女の子供をもうけました。

張禧嬪は一時、王妃になりますが、粛宗が後ろ盾の南人を粛清したため、側室に降格しています。

<粛宗の家族>

第19代国王・粛宗
正室 仁敬王后 2女 2人の公主 早世
仁顕王后 子女なし
仁元王后 子女なし
側室 禧嬪張氏
(一時王妃)
2男 李昀 第20代 景宗
盛寿 早世
淑嬪崔氏 3男 永壽 早世
李昑(延礽君) 第21代 英祖
王子 早世
䄙嬪朴氏 1男 延齢君 21歳で死去
寧嬪金氏 子女なし
貴人金氏 子女なし
昭儀劉氏 子女なし

 

粛宗の正室と子供

正室だった張禧嬪(後に降格)を除いて正室との間には男の子がいませんでした。

最初の王妃であった仁敬王后の間に二人の女の子が生まれますが、直ぐに亡くなっています。

仁敬王后自身も19歳の若さで亡くなりました。

 

二番目に王妃に迎えた仁顕王后は政局に振り回された王妃でした。

張禧嬪の攻略で一度、廃位されますが、張禧嬪が降格されると再び復位しました。

しかし、廃位期間の質素な暮らしで体を壊し、復帰後にまもなくして亡くなってしましました。

仁顕王后にも子供はいませんでした。

 

仁顕王后が亡くなって迎えた3番目の王妃が仁元王后です。

仁元王后は淑嬪崔氏(トンイ)とも仲が良かったようで、後に延齢君の窮地を救い、国王に即位することに貢献した王妃です。

仁元王后はそのために子供を作らなかったのか分かりませんが、生涯、子供を生むことはありませんでした。

 

粛宗の側室と子供

粛宗と側室との間には4人の男の子がいましたが、3人は生まれてすぐに亡くなり、1人は21歳の若さで亡くなっています。

21歳で亡くなったのは、粛宗が寵愛したと言われる延齢君(ヨルリョングン)です。

 

そのため、無事成人した男の子は2人になります。

一人が禧嬪張氏の子・李昀(イ・ユン)で第20代国王・景宗、もう一人が淑嬪崔氏(トンイ)の子・李昑(イ・グム)で第21代国王・英祖です。

粛宗は2人の王様を育てますが、総じて男の子には恵まれなかった王様といえます。

 

なお、粛宗と淑嬪崔氏(トンイ)の子供であるクムの家系図については>>ヨニングン(延礽君)の家系図を徹底調査 を御覧ください。

 

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粛宗はどんな王様?

粛宗は14歳という若さで朝鮮王朝の第19代国王になり、歴代2位の46年間にわたり国を治めた王様です。

淑嬪崔氏(トンイ)と粛宗は、1692年頃、出会ったと言われています。

粛宗31歳、淑嬪崔氏(トンイ)22歳のころです。

そして、粛宗は1720年7月13日に59歳で亡くなっていますが、淑嬪崔氏(トンイ)が亡くなってから2年後でした。

<粛宗のプロフィール>
在位:1674年9月22日-1720年7月13日
姓・諱:李焞(イ・スン)
廟号:粛宗
生年:1661年9月8日
没年:1720年7月13日
父:顕宗(1641年-1674年)
母:明聖王后(1642年-1684年)
 姉: 明善公主(1660年-1673年)
 妹: 明恵公主(1665年-1673年)
 妹: 明安公主(1667年-1687年)
正室:仁敬王后(金万基の娘)
   仁顕王后(閔維重の娘)
   仁元王后(金柱臣の娘)
陵墓:西五陵の明陵

 

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粛宗の恐ろしい政治手法と王妃の悲劇

粛宗が王様になったときには、王様の力は弱く、朝廷の党派である南人と西人が激しく対立しているときでした。

ドラマ「トンイ」でも南人と西人が激しくやりあっていましたよね。

 

史実の粛宗は、強い党派を難癖をつけて朝廷から追放し弱体化させることで、一方が巨大な権力を握ることを抑えました。

こうして、強い党派を弱体化して、党派を逆転させてることを換局(ファングク)と呼んでいます。

換局は、重用した党派に忠誠を誓わせ、王権を強くしていくことが目的でした。

 

粛宗は在中に3回の換局を実行しました。

これにより、強くなった南人か西人の党派が追放されています。

換局 内容 禧嬪張氏(南人) 仁顕王后(西人)
1680年 庚申換局 宮中の天幕の無断使用を口実に南人を追放
1689年 己巳換局 王世子の冊封反対を口実に西人を追放 王妃に昇格 廃位
1694年 甲戌換局 張禧嬪の横暴さをキッカケに南人を追放 嬪に降格
その後死罪
王妃に復位

換局により追放された党派の多くは、殺害されたり流刑されました。

各党派は自分たちが推す女性を一方の頂点である中殿(正室)にすることによって、権力を得ようとしました。

 

そのため、粛宗が行った換局により党派は入れ替わり、そのたびに中殿も入れ替わることになりました。

当時の王妃は、政局に大きく振り回された悲劇の女性たちと言えます。

そこには、ドラマに見られるような粛宗の愛情や優しさは全く見られなかったと思われます。

イメージとしては、テバクの登場するチェ・ミンスが演じたカリスマ性のある粛宗に近かったのではないでしょうか。

 

粛宗が登場するドラマと映画

粛宗が登場するドラマと映画は次のとおりです。

<粛宗が登場するドラマ>
トンイ
(2010年、チ・ジニ)
チャン・オクチョン
(2013年、ユ・アイン)
テバク〜運命の瞬間〜
(2016年、チェ・ミンス)
ヘチ 王座への道
(2019年、キム・ガプス)
<粛宗が登場する映画>
宮女(クンニョ)
(2007年、キム・ハクソン)

いずれのドラマも粛宗を恐ろしい王としては扱っていません。

実在した粛宗は、巧みな政治運営で王権を強化した王であり、民のために行った業績も評価されるものが多くあります。

王妃や側室などの女性を政治に利用したことで、歴史に残る女性同士の憎悪と悲劇を生んだと考えられますが、その結果、粛宗は在位期間46年という力強い王権を確立することができました。

 

まとめ

トンイでチ・ジニが演じた王様はコミカルで優しい粛宗でした。

しかし、史実で実在する粛宗は政治のためには王妃をも交代させる冷酷な王様でした。

 

これは、チ・ジニが粛宗を演じるに当たり、固定観念にとらわれない今までにない王を演じたいという考えによるものでした。

王として描かれたことのない人間的な側面を演じることがチ・ジニの思いだったそうです。

 

よって、実在の粛宗はチ・ジニが演じたコミカルな粛宗ではなく、チェ・ミンスがテバクで演じたカリスマ性の感じられる粛宗だったと思われます。

でも、チ・ジニが演じた粛宗が多くの人に親しまれ支持されていることも間違いありません。

チ・ジニの挑戦が成功した証拠です。

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