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粛宗の4人の王妃【政争に利用された悲劇の王妃たち】

ドラマ「トンイ」には3人の王妃が登場しますが、史実の粛宗には4人の王妃がいました。いずれの王妃も激しい政争の渦中で波乱の生涯を送りました。

この記事では、粛宗の4人の王妃の人物像や政争との関わり、さらにドラマとの違いを詳しく解説します。

粛宗の4人の王妃

4人の王妃は、粛宗の時代に起きた派閥抗争(西人派と南人派の争い)や王位継承問題に巻き込まれ波乱の人生を送っています。

<4人の王妃>
・仁敬王后(インギョンワンフ)
・仁顕王后(イニョンワンフ)
・張禧嬪(チャンヒビン)
・仁元王后(イヌォンワンフ)

以下で一人ずつご紹介していきます。

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政略結婚の最初の王妃・仁敬王后

仁敬王后は粛宗の最初の王妃でしたが、20歳の若さで亡くなっています。ドラマには登場していません。

<プロフィール>
仁敬王后(インギョンワンフ)
生年:1661年9月3日
没年:1680年10月26日(享年20歳)
子女:2人
氏族:光山金氏
父親:金萬基
母親:西原府夫人

仁敬王后は名門・光山金氏一族の出身で、11歳の時に世子だった粛宗と政略結婚しました。二人の子を生みますが、いずれも幼くして亡くしています。

ドラマ「トンイ」に登場する甥の金春沢は仁顕王后復位に尽力し、後の政治に大きな役割を果たしました。

詳しくはこちら>>仁敬王后の家系図【甥は仁顕王后の復位に貢献した金春沢】

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復位を果たした悲運の王妃・仁顕王后

ドラマ「トンイ」では最後までトンイを応援した仁顕王后。朝鮮王朝で唯一生前に復位した王妃です。

<プロフィール>
仁顕王后(イニョンワンフ)
生年:1667年4月23日
没年:1701年8月14日(享年35歳)
子女:なし
氏族:驪興閔氏
父親:閔維重
母親:恩城府夫人(側室)

仁顕王后は名門・驪興閔氏の出身で、明聖王后(粛宗の母)と宋時烈の推薦により、15歳で王妃となりました。しかし南人派と西人派の激しい政争に巻き込まれて廃位され、その後復位を果たします。

ところが、6年に及ぶ廃位生活で心身をすり減らし、わずか35歳でこの世を去りました。生涯を通じて粛宗から寵愛を受けることはなかったとも伝えられています。

詳しくはこちら>>仁顕王后の家系図【4人の妃を輩出した驪興閔氏の系図を徹底調査】

中人出身で唯一の王妃・張禧嬪

<プロフィール>
張禧嬪(チャンヒビン)
出生:1659年9月19日
死去:1701年10月10日(享年43歳)
子女:景宗
氏族:仁同張氏
父親:張炯
母親:坡山府夫人

張禧嬪は高麗の名門・仁同張氏の出身で、通訳官の娘として生まれました。荘烈大妃の針房内人として入宮し、その美貌は「実録」にも記されるほどで、やがて粛宗の寵愛を受けます。

一度は粛宗の母・明聖王后に嫌われて追放されましたが、王后の死後に復帰。王妃に昇格して世子(景宗)を出産しました。しかし派閥争いに翻弄され、最終的には廃妃となり処刑されています。

詳しくはこちら>>張禧嬪の家系図【朝鮮王朝で唯一、中人出身で王妃なった女性】

延礽君を養子に迎えた王妃・仁元王后

仁元王后はドラマで最後にトンイを信用して、大逆転劇の立役者のなった王妃です。

<プロフィール>
仁元王后(イヌォンワンフ)
生年:1687年9月28日
没年:1757年3月26日(享年71歳)
子女:なし
氏族:慶州金氏
父親:金柱臣
母親:嘉林府夫人

仁元王后は新羅の金閼智を始祖とする慶州金氏の出身で、揀択により粛宗の四番目の王妃となりました。厳格で意志が強く、文学にも秀でていたと伝えられます。

粛宗の死後は大妃として延礽君(後の英祖)を養子に迎え、その即位を支援しました。子のなかった仁元王后にとって、延礽君を王に立てることは宮廷で生き残る道でもありました。淑嬪崔氏(トンイ)とは親しく、英祖も生涯彼女を敬ったといいます。

詳しくはこちら>>仁元王后の家系図【延礽君(英祖)を救った王妃とは】

粛宗の王妃と側室の相関図

粛宗には生涯4人の王妃と5人の側室がいました。側室として注目すべきは、一人が淑嬪崔氏(トンイ)であり、もう一人がドラマ「ヘチ王座への道」に登場した延齢君(フォン)の母・榠嬪朴氏です。

粛宗の王妃と側室の相関図

当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した家系図

<粛宗の王妃と側室の相関図>

粛宗の王妃と側室の関係は、政争や王位継承に大きく影響しました。

仁顕王后と張禧嬪の対立
政争で敵対し、仁顕王后は一度廃位され、その間に張禧嬪が王妃に昇格。後に仁顕王后が復位すると張禧嬪は降格され最終的に処刑されました。

仁元王后と延礽君(英祖)の関係
子がいなかった仁元王后は延礽君を養子として支援。英祖即位後は大妃として権力を確立しました。

淑嬪崔氏(トンイ)と王妃たちの関係
仁元王后や仁顕王后と親しく、宮廷内での信頼を得て、王室の勢力バランスを支える役割を果たしました。

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史実で見る王妃の年表

粛宗の4人の王妃に関する出来事を年表で整理しました。政争の時系列もわかりやすく把握できます。

出来事
1659 張禧嬪が張烱の次女として生まれる
1661 仁敬王后が金萬基の長女として生まれる
1667 仁顕王后が閔維重の次女として生まれる
1671 仁敬王后は世子だった粛宗と政略結婚する
1674 粛宗が即位、仁敬王后は王妃となる
1677 仁敬王后が長女を出産するが早世
1679 仁敬王后が次女を出産するが早世
1680 仁敬王后は天然痘で亡くなる。享年20歳
不詳 張禧嬪は荘烈大王大妃の針房内人として入宮する
張禧嬪が粛宗の寵愛を受けるようになる
1680 張禧嬪が明聖王后により宮廷外に追放される
1681 仁顕王后が粛宗の王妃となる(15歳)
1684 粛宗の母の明聖王后が亡くなる
1686 張禧嬪が承恩尚宮として宮廷に戻る
1687 仁元王后が金柱臣の娘として生まれる
1688 張禧嬪が李昀(景宗)を生む
1689 張禧嬪が側室の最高位である嬪(正一品)に昇進する
李昀は元子に冊封される
1689 己巳換局で西人派は一掃、仁顕王后が廃位となる
張禧嬪が王妃になる
1694 甲戌換局で南人派を一掃、張禧嬪は嬪に格下する
仁顕王后が復位する
1701 8月、仁顕王后は昌慶宮の景春殿で病死する。享年35歳
11月、張禧嬪が粛宗からの賜薬により処刑される。享年43歳
1702 仁元王后が揀択で選ばれ、王妃に冊封される
1711 仁元王后は天然痘を患うが回復
1720 粛宗が亡くなり、景宗が即位する
仁元王后は王大妃になる
1721 仁元王后が延礽君を養子にする
景宗が延礽君を王世弟に冊封する
1724 景宗が亡くなり、延礽君が第21代王・英祖として即位する
仁元王后は大王大妃になる
1757 仁元王后が宮殿・昌徳宮で亡くなる。享年71歳

トンイで王妃を演じた女優たち

ドラマ「トンイ」では、仁顕王后・張禧嬪・仁元王后の3人が登場します。

仁顕王后役:パク・ハソン

仁顕王后を演じた女優さんはパク・ハソンさんです。パク・ハソンさんは高校時代に街でスカウトされて芸能界に入っています。

<パク・ハソンさんのプロフィール>
生年月日:1987年10月22日
(2025年11月01日現在、38歳)
出生地:ソウル特別市
身長:165cm
学 歴:東国大学演劇映画学科
配偶者:リュ・スヨン

張禧嬪役:イ・ソヨン

張禧嬪を演じた女優さんはイ・ソヨンさんです。イ・ソヨンさんは、2003年、演技を学んでいるときに、映画「スキャンダル」で芸能界デビューしています。

<イ・ソヨンさんのプロフィール>
生年月日:1982年4月16日
(2025年11月01日現在、43歳)
出生地:ソウル特別市
身長:169cm
学 歴:韓国芸術総合学校演劇院中退
配偶者:2018年5月に離婚

仁元王后役:オ・ヨンソ

仁元王后を演じた女優さんはオ・ヨンソさんです。オ・ヨンソさんは、ガールズグループ・LUV(ラブ)でデビューしていますが、グループはすぐに解散、その後は女優として活動を始めました。

<イ・ソヨンさんのプロフィール>
生年月日:1987年06月22日
(2025年11月01日現在、38歳)
出生地:韓国・慶尚南道 晋州市
身長:170cm
学 歴:東国大学演劇映像学科
配偶者:未婚

まとめ

粛宗の4人の王妃は、それぞれが派閥抗争や王位継承問題に翻弄されながらも、朝鮮王朝史に大きな足跡を残しました。

ドラマ「トンイ」で親しんだ王妃たちの史実でたどると、愛憎劇の背後にあった実際の政争や王室の思惑が浮かび上がります。史実とドラマを合わせて知ることで、朝鮮王朝の歴史をより深く理解することができます。

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