馬医には4人の王様が登場します。
ドラマでは世子(粛宗)の腫れ物を治療していましたが、史実のペク・クァンヒョンは粛宗の御医としても活躍しています。
では、トンイとも関係があったのでしょうか?
馬医の4人の王様
馬医に登場する王様は次の4人です。
但し、粛宗は顔に腫れ物ができた世子として登場しています。
第17代王・孝宗(在位:1649年-1659年)
第18代王・顕宗(在位:1659年-1674年)
第19代王・粛宗(在位:1674年-1720年)
馬医に登場する王の系図
馬医の物語の中心になる王は第18代王の顕宗です。
祖父の仁祖は史実でも長男の昭顕世子を毒殺したとの噂のある人物です。
仁祖が亡くなると後を継いだのが孝宗でした。
顕宗の父親である孝宗は王位につくと、兄の昭顕世子を殺害した容疑のある金自點や昭
容趙氏を処刑しました。
<馬医に登場する王の系図>
仁祖(第16代王)
第14代王・宣祖の側室の子供の長男で、王位からは遠い位置にいた人物でした。
しかし、1623年、光海君に対するクーデター(仁祖反正)のときに、王として担がれ王位に就きます。
在位中には後金(後の清)の侵略を受けて、清の皇帝にひれ伏して降伏するという屈辱を受けました。
そのため、仁祖の清に対する恨みは強く、人質として清に送った息子(昭顕世子)が清と交流を深めたことに激怒します。
清により、自分が王位から追い出されると思ったのでしょう。
仁祖は自分の息子を王位に就けたい側室の昭容趙氏と図って、昭顕世子を殺害したとも言われています。
孝宗(第17代王)
長男が亡くなったために、王位を継いたのは次男の孝宗でした。
孝宗は兄の昭顕世子とは違い、父親に屈辱を与えた清に対して敵意を持っていました。
清に対する軍備拡張を図りますが、道半ばで亡くなってしまいました。
顕宗(第18代王)
1659年、孝宗が亡くなって、後を継いだのが孝宗の息子・顕宗でした。
顕宗が19歳のときです。
顕宗は父親の孝宗が清に人質になっているときに生まれた子供です。
幼少時に他国での暮らしを余儀なくされた顕宗ですが、即位後は他国の侵略もなく国は安定していました。
しかし、国内は喪中期間を巡って派閥間の争いが激化、対応策に腐心中、亡くなりました。
ドラマ「馬医」では、一番長く登場する王ですが、史実では34歳の若さで亡くなっています。
粛宗(第19代王)
馬医では、顔に腫れ物ができた世子として登場しています。
ドラマでは王になった粛宗は登場しませんが、史実ではペク・クァンヒョンが粛宗の御医として活躍しています。
また、史実ではペク・クァンヒョン(白光炫)が顔の腫れ物を治療したのは粛宗の世子(景宗)です。
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馬医とトンイの関係
トンイは粛宗の側室ですから、粛宗の御医であったペク・クァンヒョン(白光炫)とは面識があったと思われます。
もしかしたら、亡くなったトンイ(淑嬪崔氏)の息子を診療した可能性もあったかもしれません。
実際、ペク・クァンヒョン(白光炫)は張禧嬪の息子である景宗を治療しています。
常識に囚われない粛宗なら側室の子供でも御医を派遣することも否定出来ないでしょう。
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顕宗を演じた俳優
馬医で王様の顕宗を演じたのはハン・サンジンです。
ハン・サンジンはイ・ビョンフン監督のドラマ「イ・サン」のホン・グギョン役で一躍脚光を浴びました。
その縁もあって、馬医では顕宗役に抜擢されています。
ハン・サンジンのプロフィール
ハン・サンジンの父親は飲料メーカの社長で韓国生水協会会長でもあります。
また、2004年に結婚した奥さんのパク・チョンウンさんはバスケットボールのオリンピック選手で現在はコーチを務めています。
ハン・サンジンも学生時代にバスケットボールに打ち込み、現役時代の奥さんの大ファンだったそうです。
漢字名:韓尚進
生年月日:1977年12月9日
(2025年02月04日現在、47歳)
身長:182cm
出身地:ソウル特別市
配偶者:パク・チョンウン(朴正恩)
血液型:O型
学歴:ソウル芸術専門大学放送芸能科
西京大学演劇映画学科
デビュー:1997年、モデル
趣味:バスケットボール、水泳
子供:なし
ハン・サンジンの叔母さんは歌手のヒョンミ、叔母さんの夫は音楽家のイ・ボンジョです。
また、いとこも歌手として活躍する芸能界と縁のある家系です。
ハン・サンジンが出演した時代劇ドラマ
イ・サンで注目されたことで、その後も多くの時代劇ドラマに出演しています。
イ・サン(2007年、ホン・グギョン)
根の深い木(2011年、シム・ジョンス)
馬医(2012年、顕宗)
六龍が飛ぶ(2015年、青年スニム)
ヘチ王座への道(2019年、ウィ・ビョンジュ)
緑豆の花(2019年、特別出演)
ホンチョンギ(紅天機)(2021年、ハ・ソンジン)
( )内は役名です。
まとめ
ドラマには4人の王が登場しますが、ペク・クァンヒョンが医官として活躍したのは顕宗と粛宗の時代でした。
史実のペク・クァンヒョンは粛宗の御医としても活躍しています。
しかし、実際にペク・クァンヒョンが腫れ物を治療した世子は粛宗の息子の景宗でした。
従って、トンイとペク・クァンヒョンは面識があったと思われます。
もしかしたら、トンイの息子も治療していたかもしれませんね。