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馬医の実話【実在したペク・クァンヒョンの史実とは?】

馬医に登場する白光炫(ペク・クァンヒョン)は実在した医者です。

ドラマ「馬医」の実話とは?

白光炫(ペク・クァンヒョン)の史実を詳しく調べてみました。

 

ドラマ「馬医」の実話

白光炫が町の馬医から御医になったことは事実ですが、ドラマの多くのエピソードは後から加えられた創作です。

 

武人から医者になる決意

1625年に白光炫(ペク・クァンヒョン)は9男3女の次男として生まれました。

武人の家に生まれ白光炫は軍隊に入隊しますが、落馬事故により歩行困難になるほどの大怪我を負います。

しかし、当時、有名だった医師がこの大怪我を見事に治療してくれました。

この医術の素晴らしさに感動した白光炫は、医師になることを決意します。

 

馬医から医者に

白光炫は軍隊に所属しながら、馬医として馬で医術の腕を磨いていきます。

やがて、馬の治療技術を使って人の腫れ物の治療に成功した白光炫は、馬医をやめて医者に専念します。

白光炫は独学で医術を学び、豊富な臨床経験と努力で医術の腕を飛躍的に向上させていったといいます。

やがて、白光炫の評判は腫れ物で悩む宮廷にまで届きました。

 

内医院の医官に採用される

白光炫は民間での腫れ物治療の実績をかわれ、1663年に典医監の治腫教授(腫れの治療法を教育する官員)となります。

同年、領議政・李景奭(白軒李相國)の推薦で、科拳を受けることなく、内医院の医官を兼任することになりました。

如何に腫れ物治療に卓越した能力があったのか分かります。

その技術を裏付ける証拠として、1670年の顕宗実録には白光炫が王の治療をしたことが記録されています。

 

内医院での医官との対立

白光炫の方法は従来の医術書には記載のない独特な方法なので、度々、治療方法を巡って、他の医官と対立したといいます。

しかし、当時の医術レベルでは、白光炫の治療方法に頼らざるを得ない状況でした。

白光炫は顕宗や仁宣大妃など王族の腫瘍の治療に携わり実績を重ねます。

 

王族への貢献と昇進

顕宗の時代、仁宣王后の髪際に大きな腫れ物ができ、悪化により食事も困難になりました。

医師の白光炫が鍼で患部を切開し腫れの根を除去する治療を提案し、王は困惑しながらも最終的に許可します。

手術は王の立ち会いの下で行われ成功し、白光炫は爵位・嘉善大夫(従2品)を授与されました。

 

粛宗の時代、白光炫は御医として活躍し、世子や禧嬪張氏の腫れ物を治療しています。

その功績により従一品に昇進、腫れ物治療における「神医」と称されるようになりました。

 

白光炫が県監に任命される

実は、粛宗実録には白光炫が康翎県監,その後抱川県監に任命されたことが記録されています。

県監(ヒョンガム)とは官職で県の長官(従六品)、いわゆる県知事のような職です。

 

この時、字も読めない白光炫が官職に就くことに反対意見がありましたが、最終的には、粛宗が押し通して県監になっています。

県監を務めたあとは、1691年には知中樞府事(正二品相当)、1692年には崇禄大夫(正一品相当)に昇進しています。

 

白光炫の最後

白光炫は官職に就いてからも医療活動は続け、王命で官僚を診察したり、病気になった粛宗の診察をしています。

白光炫が実録に登場したのは1696年が最後で、当時72歳でした。

翌年、73歳で吐血により急逝します。

白光炫は自身が病中でも粛宗を診察するなど、最後まで粛宗に尽くしました。

なお、白光炫の息子たちも医学の道に進んだものの、父ほどの名声は得られませんでした。

 

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実在した白光炫(ペク・クァンヒョン)

鄭來僑が書いた浣巖(鄭來僑)集第四巻「白太醫傳」に白光炫の人柄の記載があります。

白光炫の人柄は素朴で,王,王族,両班(貴族)から平民,賎民まで貧富貴賎や身分に関係なく、病人ならば誰でも病気を治療したことにより,世間では神医と呼ばれていた。

 

白光炫のプロフィール

白光炫は病巣を根本から除去する外科的治療法を初めて確立した人物でした。

<プロフィール>
白光炫(ペク・クァンヒョン)
生年:1625年4月6日
没年:1697年2月9日
享年:73歳
本貫:林川白氏(始祖:白宇経)
父:白哲明(ペク・チョルミョン)
母:昌寧趙氏
妻:淸州韓氏
子供:白興齡、白興聲、白興隣

 

白光炫の治療方法

馬医だった白光炫は馬の治療技術を使って、人の腫れ物の治療を始めました。

白光炫の腫れ物治療の特長は沸騰消毒した鍼(刃物)を使って患部を切開し、腫れ物の根本をきれいに取り去る方法でした。

 

この治療方法は、人の腫れ物治療に絶大な効果がありました。

悪性の腫れ物で亡くなる人が多かった時代に、腫れ物の治療ができる白光炫はまさに神の医者だったのでしょう。

 

白光炫の功績と後世への影響

白光炫の患部を切開して治療する方法は、外科医療が一般的でなかった時代において画期的な治療でした。

彼の腫れ物治療の成功は外科的処置の重要性を広く認識させるものでした。

 

また、彼が王族の治療に貢献したことは、医師の地位を高め、専門的な医師が社会に必要な存在であることを示したといえます。

更に、白光炫が官職の要職に就きながら医療行為を行ったことは、医者の職業を両班(高位の身分)に認めさせる転換点になったと考えられます。

 

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馬医に登場する実在した人物

馬医に登場する実在した人物のモデルをご紹介します。

登場人物の実在のモデル

役名 実在のモデル 備考
ペク・クァンヒョン 白光炫 内医院の医官
仁祖 仁祖 第16代王
昭顯世子 昭顯世子 仁祖の長男
ミン禧嬪カン氏 愍懐嬪姜氏 昭顯世子の妻
昭容チョ氏 廃貴人趙氏 仁祖の側室
孝宗 孝宗 第17代王
キム・ジャジョム 金自點 領議政
イ・ヒョンイク 李馨益 内医院の医官
顕宗 顕宗 第18代王
明聖王后 明聖王后 顕宗の王妃
仁宣王后 仁宣王后 顕宗の母
淑徽王女 淑徽公主 顕宗の妹
サアム道人 舎巖道人 朝鮮三大名医

 

サアム道人は実在した朝鮮三大名医

ドラマでペク・クァンヒョンの師匠となるサアム道人は実在した舎巖道人(サアムドイン)がモデルです。

もちろん、史実では白光炫の師匠ではありません。

舎巖道人は、朝鮮では許浚(ホジュン)、李済馬(イジェマ)と並び、朝鮮三大名医と称されています。

 

まとめ

ドラマ「馬医」は、馬医から御医へと昇進した実在の医者・白光炫の生涯を描いています。

彼の馬の治療を応用した独自の治療方法は、それまで難しかった人間の腫れ物治療を格段に向上させました。

 

「馬医」の白光炫はコミカルで心優しいキャラクターでしたが、実際の白光炫は、医師としての卓越した技術と強い野心を持つ人物だったと思われます。

彼の医療への情熱と献身は、今なお多くの人々に尊敬され、後世に語り継がれています。

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