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カン氏の家系図【昭顕世子嬪・愍懐嬪姜氏の波乱の生涯とは】

世子嬪・姜氏(カン氏)の悲劇とは

家系図から彼女が巻き込まれた「姜嬪の獄」まで詳しくご紹介します。

姜氏(カン氏)の家系図|名門の出自

まずは、愍懐嬪姜氏(以下、カン氏)の出自を家系図で確認してみましょう。

<姜氏(カン氏)の家系図>

カン氏は高官を務めた姜碩期の娘として生まれました。

父親はドラマ「高麗契丹戦争」で日本でも一躍有名になった将軍・姜邯賛(カン・ガムチャン)を中始祖とする衿川姜氏の出身です。

また、母方の高霊申氏も多くのドラマに登場する申叔舟を先祖に持ち、多くの歴史的人物を排出している名門氏族です。

政治的・家柄的にも申し分ない良縁として、昭顕世子の正室に選ばれました。

カン氏のプロフィールと家族関係

実録によると、カン氏の性格は剛直で激しく、たびたび王の意に背いたと記録されています。

この気の強さが、仁祖の逆鱗に触れ、一族を破滅させる悲劇を生んだことは間違いありません。

<プロフィール>
称号:愍懐嬪姜氏(ミンフェビン カンシ)
生年:1611年3月6日
没年:1646年3月15日
享年:36歳
父:姜碩期(1580-1643)
母:申禮玉(不詳-1646)
兄弟姉妹:5男3女(次女)
夫:昭顕世子
墓:永懐園(西五陵内)
本貫:衿川姜氏

姜嬪の獄により、年老いた母親と5人の男兄弟は全て処刑、すでに亡くなっていた父親は墓を暴かれ斬首されています。

<カン氏の兄弟姉妹>

関係 名前 生年-没年 備考
姜文星 1602–1646 処刑
姜文明 1604–1646 処刑
姜文斗 1606–1646 処刑
姜文卓 1608–1646 処刑
不詳 1609-不詳
姜文井 1613–1646 処刑
不詳 1615–不詳
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カン氏の家族|夫・昭顕世子との関係

カン氏と昭顕世子は3男5女の子供をもうけるなど、夫婦仲は大変良かっとようです。

<夫と子供たち>

関係 名前 生年-没年 備考
昭顕世子 1621-1645
長女 不詳 1629-1631 夭逝
次女 不詳 1631-1640 夭逝
長男 慶善君 1636-1648 石鉄(ソクチョㇽ)
三女 慶淑郡主 1637-1655 具鳳章の嫁、1男
次男 慶完君 1640-1648 石磷(ソンニン)
四女 慶寧郡主 1642-1682 朴泰定の嫁、5男4女
五女 慶順郡主 1643-1697 辺光輔の嫁
三男 慶安君 1644-1665 石堅(ソッキョン)

姜嬪の獄により、3人の息子は流刑となり、2人は流刑地で亡くなりました。

男子の中で、三男の慶安君(石堅)が唯一生き残りますが、ドラマ「ヘチ王座の道」に登場する密豊君は彼の孫にあたります。

詳しくは>>推奴(チュノ)の可愛い石堅は実在した密豊君の祖父をご覧ください。

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「姜嬪の獄」は側室チョ氏の陰謀か?

「姜嬪の獄」は、長い間、仁祖の側室であるチョ氏と金自点(キム・ジャジョム)の陰謀によって引き起こされたものとされてきました。

<豆知識>姜嬪の獄とは
仁祖の食事に毒を盛った罪でカン氏が賜死させられた事件。多くの関係者が無実の罪で処刑されました。

「姜嬪の獄」の真相に迫ります。

側室チョ氏の陰謀説の根拠

これは、次の仁祖実録を事実と断定して広まったものです。

由是, 兩宮隔絶, 御膳置毒, 勢所不能, 而上意如此, 人皆疑其由於趙氏之搆成也
<引用元:仁祖実録1646年1月3日抜粋>

<訳>姜嬪と他の宮女たちは隔絶され、毒を盛ることなど不可能な状況であったにもかかわらず、仁祖の疑念は深まり、人々は趙氏の讒言によってこのような事態(姜嬪への嫌疑)が引き起こされたのではないかと疑った。​

側室チョ氏について詳しくは>>仁祖の側室チョ氏(貴人趙氏)は悪女?【史実が語る実像とは】をご覧ください。

陰謀説を否定する理由

確かに、仁祖の側室チョ氏にとって、世子夫婦は自分の息子を王位につけるためには邪魔者でした。

しかし、昭顕世子の急死、鳳林大君の世子冊封、そしてカン氏の処刑と続く、一連の大事件がチョ氏の陰謀により、引き起こされた事件とするにはかなり無理があると考えます。

仁祖の主体的な意思がないと、讒言だけで、これだけの命令を下せるとは思えないからです。

<豆知識>讒言(ざんげん)とは
他人をおとしいれるため、ありもしない事を目上の人に告げる中傷や陰口のこと。貞純王后の例など、王と密かに話せる正室や側室の讒言が政局に影響を与えた例は数多くあります。

「姜嬪の獄」の真相に迫る

「姜嬪の獄」は仁祖の打ち砕かれたプライドが根本的な原因と考えます。

仁祖は野蛮人と見下していた清に降伏、皇帝の前で土下座をさせられます。

人の前で頭など下げたことのない王にとって、この行為は腸が煮えくり返るほどのものだったと想像できます。

このような心理的状況の中で、帰国した世子夫婦が清の素晴らしさを述べたことは、火に油を注ぐがごとく、仁祖の怒りを買いました。

カン氏が聡明かつ正義感の強い性格だったことも災いとなりました。

世子が亡くなった(毒殺の説もあり)後に、仁祖が「カン氏を一族もろとも葬り去りたい」と思ってもおかしくありませんでした。

昭顕世子の死については>>昭顕世子(ソヒョンセジャ)の家系図【謎の不可解な死因】で詳しくご紹介しています。

側室チェ氏の讒言が仁祖の行動を後押ししたことは確かですが、根本的な原因は、仁祖自身の不安や被害妄想に起因する、異常ともいえる感情的な怒りだったと考えられます。

カン氏の最後

仁祖は世子嬪を廃位して、実家で賜死することを命じました。

史実によると、義禁府の都事・呉以奎が準備した黒いカゴに載せられたカン氏が宣仁門から出発すると、道の両側には多くの人が立ち並び、嘆き悲しんだといいます。

現在、名誉回復されたカン氏は西五陵内にある永懐園で静かに眠っています。

<豆知識>賜死(しし)とは
王命により毒薬を賜り、自ら命を絶つ形式の死刑です。斬首刑に対して、名誉を保った処刑と考えられていました。

カン氏の生涯年表

名門に生まれ、世子嬪になったカン氏でしたが、その35年の生涯は波乱に満ちたものでした。

出来事
1611 姜碩期の次女として生まれる
1627 1月、後金の朝鮮侵攻(丁卯の乱)
9月29日、世子嬪に選ばれる
1636 3月、長男を出産
12月、後金(清)の朝鮮侵攻(丙子の乱)
1637 1月、後金(清)に降伏
世子とともに清の人質とされる
2男3女を出産する
1645 清から帰国
世子が亡くなる
1646 1月頃、仁祖に幽閉される
3月、処刑(賜死)される
1718 名誉が回復、愍懷嬪の称号を追贈される

カン氏が登場するドラマ

カン氏は多くのドラマに登場しますが、おすすめは次の3作品です。

最新作のドラマ「恋人」では清で世子を助ける気丈な女性として描かれています。

<おすすめのドラマ>
花たちの戦い -宮廷残酷史-
(2013年、ソン・ソンミ)
華政(2015年、キム・ヒジョン)
恋人(2023年、チョン・ヘウォン)

まとめ

愍懐嬪カン氏は世子嬪として入宮、多くの子をもうけ、いずれは王妃として朝鮮王朝にその名を刻むはずでした。

しかし、その人生は、政争と王の疑念に翻弄され、非業の死を遂げるという悲劇的な運命となります。

姜嬪の獄の真相が仁祖の精神的な破壊が原因と考えると、犠牲となったカン氏は朝鮮で最も悲劇の世子嬪と言えるでしょう。

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