昭顕世子の息子の石堅(ソッキョン)は実在した世孫でした。
そして、石堅の孫が「ヘチ王座の道」に登場する密豊君(みるぷんぐん)です。
石堅について、詳しくご紹介します。
石堅の家系図
石堅(ソッキョン)は第16代王・仁祖の孫であり、密豊君の祖父にあたります。
父親は清から帰国後に謎の死を遂げた昭顕世子でした。
<石堅の家系図>
石堅の息子・臨昌君の家系は少なくても大韓帝国が滅亡する1910年まで存続していたと記録されています。
石堅の孫・密豊君
ドラマ「ヘチ王座の道」に登場する密豊君(みるぷんぐん)は石堅の孫にあたります。
<ヘチ王座の道の密豊君>
石堅が仁祖の長男である昭顕世子の息子であることから、密豊君は「自分は正当な王位継承者」であると主張していたのです。
ドラマ「推奴~チュノ~」と「ヘチ王座の道」が意外なところで結びついていました。
密豊君について詳しくは>>密豊君(みるぷんぐん)の家系図【王位継承者と言う理由とは】
石堅の父・昭顕世子
昭顕世子は1637年の丙子の乱で朝鮮が清に降伏すると、清に人質として送られました。
1645年に人質を解かれて帰国しましたが、帰国して2ヶ月後に急死しています。
憎き清に傾倒した昭顕世子を快く思わなかった仁祖が毒殺したとも言われています。
昭顕世子について詳しくは>>昭顕世子(ソヒョンセジャ)の家系図【不可解な死因の悲劇の世子】
石堅の母・愍懐嬪
愍懐嬪は昭顕世子と一緒に清の人質となり、8年間、清で暮らしています。
夫の昭顕世子とは、3男5女をもけるなど仲睦まじかったと思われます。
しかし、夫が亡くなった翌年に金自点(キム・ジャジョム)により、仁祖毒殺の濡れ衣を着せられます。
愍懐嬪は降格の上、賜死、愍懐嬪の兄弟や息子達は済州島などに流配されてしまいました。
【PR】スポンサーリンク
石堅の家族
石堅(ソッキョン)は3男5女の三男として生まれました。
父は若くして亡くなった昭顕世子、母は右議政だった姜碩期(カン・ソッキ)の娘・愍懐嬪姜氏です。
昭顕世子の家族
関係 | 名前 | 生年-没年 | 備考 |
父 | 昭顕世子 | 1612-1645 | 享年34歳 |
母 | 愍懐嬪 | 1611-1646 | 享年36歳 |
長女 | 郡主 | 1629-1631 | 享年3歳 |
次女 | 郡主 | 1631-1640 | 享年10歳 |
長男 | 慶善君(石鉄) | 1636-1648 | 享年13歳 |
三女 | 慶淑郡主 | 1637-1655 | 具鳳章の妻 |
次男 | 慶完君(石磷) | 1640-1648 | 享年12歳 |
四女 | 慶寧郡主 | 1642-1682 | 朴泰定の妻 |
五女 | 慶順郡主 | 1643-1697 | 辺光輔の妻 |
三男 | 慶安君(石堅) | 1644-1665 | 享年22歳 |
3人の息子のうち、長男の慶善君と次男の慶完君は流刑地で亡くなっています。
唯一生き残った、三男の慶安君(石堅)は1655年、12歳の時にようやく解放されています。
石堅の家族
関係 | 名前 | 生年-没年 | 備考 |
本人 | 慶安君(石堅) | 1644-1665 | |
妻 | 盆城郡夫人 | 1645-1723 | 許確の娘、金海許氏 |
長男 | 臨昌君 | 1663-1724 | 享年62歳、6男5女 |
次男 | 臨城君 | 1665-1690 | 享年26歳、1683年結婚 |
【PR】スポンサーリンク
石堅の生涯
1644年、石堅は昭顕世子の三男として清で生まれました。
両親は清に人質として送られていたのです。
両親の死と流刑
1645年2月に昭顕世子と愍懐嬪は人質から解放され帰国しました。
しかし、2ヶ月後の4月に父の昭顕世子は突然亡くなっています。
また、翌年には母の愍懐嬪が仁祖を毒殺しようとした濡れ衣を着せられ賜死させられます。
そして、石堅は兄弟とともに済州島に流刑になりました。
1646年、石堅が3歳のときです。
<チュノの石堅>
1648年、兄の慶善君と慶完君が亡くなりました。
流刑地で風土病にかかったと言われています。
石堅の釈放と結婚
1649年、仁祖が亡くなり、昭顕世子の弟の鳳林大君が第17代王(孝宗)として即位しました。
1650年に石堅は江華島に移され、5年後の1655年にやっと釈放されます。
1659年、石堅が許確(ホファク)の娘と結婚しています。
第17代王孝宗が亡くなり、第18代王顕宗が即位した年でした。
1663年には長男の臨昌君が生まれ、1665年には次男の臨城君が生まれています。
石堅の最後
石堅は旅先で具合が悪くなり、自宅療養しましたが、1665年9月、22歳の若さで亡くなりました。
家は大変貧しかったといいます。
葬儀もあげられない家族を不憫に思い、顕宗が石堅の子供たちに家を与えたと言われています。
しかし、両親の名誉が回復されのは、1718年の粛宗のときでした。
石堅は死後、正一品に追贈されています。
まとめ
ドラマ「推奴~チュノ~」に登場する可愛い石堅は「ヘチ王座の道」に登場する密豊君の祖父でした。
意外なところで結びついた関係に驚きです。
推奴の石堅を見ると密豊君が「自分は正当な王位継承者である」と言っているのも分かります。
また、王族は周りの家臣から利用される対象であることも理解できます。