Googleのアドセンス広告を表示しています

トンイに登場する世子の病気の痿疾(いしつ)は本当か?

ドラマ「トンイ」で張禧嬪が必死に隠そうとした病気は本当なのか?

粛宗を継いで第20代国王・景宗になる世子について詳しく調べてみました。

 

世子の病気・痿疾(いしつ)は本当?

世子の時代に痿疾(いしつ)であったことは記録されていません。

しかし、世子は生涯二人の王妃を迎えますが、子供ができなかったことは事実です。

 

いつまでも子供のできない景宗に対して臣下が「痿疾(ウィジル)である」と不敬なことを言ったとの記録があります。

世子が痿疾であったことは間違いないようです。

 

ドラマ「トンイ」では世子が熱病にかかったときに病気が分かったと張禧嬪は語っていました。

しかし、痿疾であることが分かったのは世子が大人になってからだと推測します。

何故なら、当時、10代前半の子供が痿疾であることを発見することはとても難しいと思われるからです。

<豆知識>痿疾(いしつ)とは
ハングルではウィジルと読みますが、痿疾で検索すると「手足などがしびれて感覚を失い、動作が自由にならなくなる病」と書いてあります。あれっ?て思いますよね。
でも、中国語で翻訳すると、イン◯◯ンス、男性◯◯不能症のことです。

世子が痿疾になった原因としては、

幼少の頃から世子として期待されるプレッシャーが大きかったこと。

13歳のときに母親が死罪になる目の当たりにしたこと。

 

更に、その後、父親が世子に冷たくなったこと

など、精神的なストレスが大きく影響していることは間違いないでしょう。

 

【PR】スポンサーリンク

歴代の王で子供ができなかった王は?

歴代の王で子供ができなかった王は景宗を入れて4人です。

王名 正室の数 側室の数
第6代王 端宗
第12代王 仁宗
第20代王 景宗
第27代王 純宗

端宗は12歳の時に即位して定順王后とは13歳で結婚しています。

側室の2人は揀択のときに、最後まで王妃の座を争った女性です。

 

1455年に端宗は15歳で廃位され、17歳には賜死により死罪となりました。

こどもを作っている余裕などなかったのかもしれません。

 

仁宗は在位期間が約8ヶ月ともっとも短かった王です。

仁聖王后とは10歳で結婚していますが、子供はできませんでした。

仁宗は心優しい王でしたが、息子を王にするために義母の文定王后が何度も仁宗を殺害しようとしたと言われています。

心が休まらなかった仁宗は31歳で亡くなっています。

「禁欲的な生活を送っていた」、「文定王后の息子に王位を譲るために子供を作らなかった」とも伝えられています。

 

純宗も子供ができなかった王ですが、ドラマ「明成皇后」では幼少の頃に病弱な純宗を見た外国の医師が子供ができないことを発見しています。

トンイの世子の場合と同じような内容ですが、史実ではそのようなことは当然、記録されていません。

 

また、アヘン入りの珈琲を飲まされて、知的障害となり、子供ができない体になったとの話も伝わっています。

実際、イギリスの女性旅行家イザベラ・バードが1894年から1897年に朝鮮を旅した時に、何度か宮殿を訪ねていますが、そのときの旅行記で純宗(当時皇太子)が身体障害者に見えたことを記録しています。

 

【PR】スポンサーリンク

トンイの世子の最後とは?

ドラマ「トンイ」の物語では、世子はまだ子供の時代で終わっています。

最終回に登場するのは、既に即位を終えた第21代国王の英祖です。

従って、ドラマでは世子の最後を知ることはできません。

 

史実における世子は粛宗の死後に第20代国王・景宗となりました。

張禧嬪の念願がかなったのです。

 

しかし、在位期間は短く、たったの4年で亡くなってしまいました。

病死でした。

急死だったので毒殺説もありますが、信憑性は低いです。

二人の王妃と結婚しますが、子供にも恵まれず、目立った功績もありませんでした。

 

史実における世子

史実における世子が、どのような人物で、どんな生涯を送ったのか?

ご紹介していきます。

史実の世子のプロフィール

名前(諱):李昀(イ・ユン)
廟号:景宗
生年:1688年11月20日
没年:1724年10月11日
享年:36歳
父:粛宗
母:禧嬪張氏
后妃:端懿王后、宣懿王后
子供:どちらの王妃にも子供はなし

 

史実の世子の生涯

粛宗と張禧嬪の間に生まれた昀(ユン)は、側室の子供であるにも関わらす3歳で世子になります。

しかし、世子が7歳の時に張禧嬪は王妃から嬪に降格してしまいます。

 

そして、まだ子供である13歳にときに世子の母親・張禧嬪は死罪となります。

幼少のときから病弱だった世子は母の死で、更に大きな精神的ストレスを受けたといいます。

 

しかし、世子の座は変わらず、粛宗が亡くなると32歳で第20代国王・景宗(キョンジョン)として即位します。

でも、その座は長く持たず、1724年、即位4年目の36歳のときに亡くなりました。

一説では、蟹醤と柿を食べてお腹を壊し、延礽君がすすめた人参茶を服用して亡くなったと言われていますが、定かではありません。

 

世子を決めるのに清国の承認はなぜ必要?

当時、朝鮮は中国の従国だったので、中国の皇帝の承認が必要だったのです。

ドラマ「トンイ」でも、昀(ユン)を世子にするために、張禧嬪の兄が清国の官史に朝鮮の軍事機密を渡す場面がでてきます。

清国の皇帝に認められるまでは、世子(セジャ)ではなく元子(ウォンジャ)と呼ばれていました。

<豆知識>世子(セジャ)とは
王の息子で中国の皇帝からも認められた王位継承者のことです。朝廷に認められても、中国の皇帝に認められるまでは、世子ではなく元子(ウォンジャ)です。王に息子がいない場合は孫や弟が世子なる場合があります。例えば、英祖の孫の正祖は世孫(セソン)、英祖自身が景宗の世弟(セジェ)でした。

 

世子の人柄と延礽君の関係

史実によると世子の人柄は、

「殿下は天性と言えるほど慈しみにあふれ、人徳があった。」

と言われています。

 

また、世子は異母弟の延礽君の面倒をよく見ていたそうです。

ドラマ「トンイ」の中でも世子は延礽君には優しく、思いやりがありました。

延礽君を助けるために自分の病気を自ら王様に伝えたほどです。

 

トンイの世子は大変スマートでしたが、実際の世子は小さい頃から肥満体質だったようです。

成人してからも肥満が続いたといいます。

ドラマ「ヘチ王座への道」で景宗を演じたハン・スンヒョンが近い体型かもしれませんね。

 

トンイで世子を演じた子役

トンイで世子を演じたのはユン・チャンです。

 

ユン・チャンのプロフィール

生年月日:1996年11月26日
(2025年02月05日現在、28歳)
結婚:未婚
最終学歴:仁荷大学演劇映画科
身 長:185cm
血液型:B型
特 技:スキー,スノーボード
兵 役:済み

 

出演したドラマ

ユン・チャンはトンイに出演した後に、3つのドラマに出演しています。

2004年:アイルランド
 (イ・ジェボクの子役)
2006年:ドラマシティ-初恋
 (カン・ヨンウ役)
2009年:幻の王女チャミョンゴ
 (イルプムの子役)

 

ユン・チャンの現在

トンイに出演した後に、3つのドラマに出演していますが、残念ながらその後の目立った芸能活動はないようです。

 

まとめ

世子(景宗)の病気は痿疾(いしつ)だったと推定されます。

景宗は王妃二人を迎えるが子供ができなかったこと。

また、王妃との間に子供ができないにもかかわらず、側室を持たなかったことが、痿疾(いしつ)と推定される理由です。

 

しかし、それは大人になってから分かった病気であり、ドラマのように世子の時に痿疾であった記録はありません。

色々な意味で歴史上に名を残す母親を持った景宗の精神的な負担は想像を絶するものだったのでしょう。

error: Content is protected !!