七日の王妃の実話の結末は、端敬王后は中宗に会えたのか?
ドラマの結末の真相に迫ります。
ドラマと実話の結末の違い
ドラマでは危篤の中宗を年老いた端敬王后が尋ねる場面がでてきますが、これは事実ではありません。
中宗が危篤になった1544年11月15日の中宗実録には、ハッキリと「呼び寄せた愼氏を門で引き止めたという話は作り話である」と記録されています。
司謁李壽千言于政院曰: “有入內宮人, 其留通化門。” 問所入者何人, 則答以不知。 聞之則上臨終, 欲見廢妃愼氏, 故入內云。
【史臣曰: “留門引入愼氏之說, 蓋出於虛傳。 審問之, 則以上未寧, 召妖尼輩, 將禳禱云。”】
<引用元:中宗実録1544年11月15日から抜粋>
「入内する宮人がいたので、通化門で引き止めた。誰のところに行くのか尋ねると、分からないと答えたが、聞けば、王が臨終の時に、廃妃愼氏に会いたがっていたので入内すると言う。」
【史官が言った。「呼び寄せた愼氏を門で引き止めたという話は作り話である。詳しく聞いてみると、妖しい尼を呼んで禳禱(きとう)をさせようとしたのだ。」】
廃位されて宮廷を追い出された端敬王后は、最後まで中宗に会うことはありませんでした。
端敬王后は一人ひっそりと暮らし、1557年に享年70歳で亡くなっています。
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史実と創作の違い
七日の王妃は史実をモチーフに大胆な創作を加えたフィクションです。
ここでは、ドラマと実話の違いを具体的にご紹介していきます。
処刑されなかった端敬王后
ドラマでは冒頭、端敬王后が処刑されそうになりますが、史実では処刑されることはありませんでした。
廃位された端敬王后は宮殿を追い出され、誰も寄りつかぬ家でひっそりと暮らしました。
ミョンヘが次の王妃に
晋城大君(中宗)の命を救ったユン・ミョンヘは、章敬王后がモデルでした。
ドラマでの名前「ミョンヘ」は章敬王后の諡号(しごう)「淑慎明恵宣昭懿淑章敬王后」の「明恵」をヒントに付けられました。
史実では、伯父の朴元宗の力により側室から王妃(章敬王后)になっています。
詳しくは>>七日の王妃のミョンヘは実在した章敬王后がモデル
幼なじみでなかった二人
端敬王后と晋城大君が幼なじみというのはドラマの創作です。
二人は1499年、晋城大君が12歳、端敬王后が1歳年上の13歳のときに結婚しています。
このときに、二人は初めて出会っています。
王位には無欲だった晋城大君
ドラマでは、晋城大君は勇敢に王位を狙う秘密結社タニシのリーダーとして描かれていました。
しかし、史実の晋城大君は幼い頃から、燕山君にいじめられ、燕山君をとても恐れていました。
結婚してからは王宮の外で、夫婦二人でひっそりと暮らしていました。
クーデターにより燕山君が失脚して、王位に就くことを要請されても頑なに拒んだと言われています。
驚くことに、史実の晋城大君は王位には全く無欲だったのです。
晋城大君は母親に頭が上がらなかった
晋城大君は、ドラマでは母親の振る舞いに強く反対する気概を見せます。
しかし、史実の晋城大君は従順で母親に歯向かうことが出来なかったといいます。
当時は、彼の母親・慈順大妃は国母として、内命婦(女官の組織)を仕切っていました。
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実在した登場人物
ドラマ「七日の王妃」に登場した人物で実在した人物、またはモデルになった人物をピックアップしました。
青色の文字をクリックすると、更に人物の詳細な内容を見ることができます。
登場人物 | 実在した人物またはモデル | 備考 |
シン・チェギョン | 端敬王后 | 晋城大君の妃 |
イ・ヨク(晋城大君) | 晋城大君(中宗) | 第11代王 |
イ・ユン(燕山君) | 燕山君 | 第10代王 |
王妃シン氏 | 廃妃慎氏 | 燕山君の妃 |
慈順大妃 | 慈順大妃(貞顕王后) | 成宗の3番目の妃 |
ユン・ミョンヘ | 章敬王后 | 中宗の2番目の妃 |
成宗 | 成宗 | 第9代王 |
廃妃尹氏 | 廃妃尹氏 | 成宗の継妃、燕山君の生母 |
シン・スグン | 慎守勤 | 燕山君の側近、端敬王后の父 |
クォン氏 | 端敬王后の母 | |
パク・ウォンジョン | 朴元宗 | 成宗の重臣、中宗反正を決行 |
イム・サホン | 任士洪 | 燕山君の重臣 |
チャン・ノクス | 張緑水 | 燕山君の側室、妓生(前職) |
史実の章敬王后は端敬王后が廃位されると、中宗の2番目の王妃となり、第12代王・仁宗を生みますが、すぐに亡くなっています。
享年25歳でした。
まとめ
ドラマ「七日の王妃」は史実をモチーフにしつつ、大胆な創作を加えたフィクションです。
実話では端敬王后が最後に中宗と再会することはありませんでした。
また、ドラマの晋城大君は王位を狙う野望に満ちた人物として描かれていますが、史実の晋城大君(中宗)は王位に無欲で、端敬王后と穏やかな暮らしを望んでいました。
もしもクーデターがなければ、晋城大君と端敬王后は平穏な日々を送っていたでしょう。
その「もしも」に思いを馳せると、ドラマと史実の違いをさらに興味深く感じることができます。