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燕山君(ヨンサングン)の家系図【暴君誕生の血の系譜】

燕山君(ヨンサングン)の異常な暴政の裏には、冷酷な家族関係と心の傷がありました。

この記事では、彼の家系図とその背景から、暴君誕生の理由を深く掘り下げていきます。

燕山君(ヨンサングン)の家系図

燕山君(ヨンサングン)は第9代国王・成宗の長男で、18歳で王に即位しました。

曽祖父は第7代国王・世祖、祖父は早世した懿敬世子です。

本来王位を継ぐはずだった父の兄・月山大君が病弱だったため、父・成宗が重臣・韓明澮の後押しで即位しています。

燕山君の家系図

当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した家系図

<燕山君の家系図>

燕山君は成宗と廃妃尹氏の長男として生まれ、第10代王に即位しましが、母の失脚がその後の彼の人生を大きく狂わせました。

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家族関係と家庭環境の悲劇

燕山君は、誰からも深い愛情を受けることなく育ち、その孤独と歪んだ感情が後の残虐な暴君を作り上げたと考えられます。

母・廃妃尹氏の悲劇的な最期

1473年、母は成宗の側室となり、王妃・恭恵王后の死後、成宗が反対を押し切って王妃にしました。

母は嫉妬深い性格で知られ、王妃に昇格後、女官を殺害するなど問題行動が続きます。

そして、遂に1482年、成宗を傷つけた罪で賜死となっています。

廃妃尹氏について詳しくは>>廃妃尹氏の家系図【燕山君の母は生前に廃妃になった最初の王妃】

燕山君が育った家庭環境

燕山君の実母・廃妃尹氏は彼が7歳のときに処刑され、以後は継母・貞顕王后の子として育てられましたが、愛情を受けた形跡はありません。

また、父・成宗、祖母・仁粋大妃からも冷遇され、幼少期の家庭環境が彼の性格形成に大きく影響したとされています。

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歴代最悪の暴君と言われる理由

燕山君が「歴代最悪の暴君」とされるのは、数々の粛清と常軌を逸した行動によるものです。この残虐な粛清を扇動した人物として、外戚の任士洪(イム・サホン)と宦官(内侍)の金子猿(キム・ジャウォン)がいました。

1498年の「戊午士禍(ムオサファ)」では、成宗実録の史草に「世祖が王位を略奪した」との内容があるとして、金宗直の墓を暴いて首をはね、士林派の52人を残虐な方法で処刑しました。

1504年に起きた「甲子士禍(カプチャサファ)」では、亡き母・廃妃尹氏の死に関与したとして、官僚や学者、さらには使用人に至るまで、最大で3000人が処刑または流刑となりました。成宗の側室(貴人鄭氏と貴人嚴氏)は自らの手で惨殺したとされます。

また、円覚寺を享楽の場に改装し、成均館すら妓生との宴に使うなど、国政を私物化しました。諫言する家臣は容赦なく粛清し、暴政は頂点に達します。

燕山君の家族構成

燕山君(ヨンサングン)と正室・廃妃慎氏との間には2男1女の子供がいました。

彼は多くの側室を持ち、手を付けた宮女や妓生は数え切れないと言われています。そして、その側室の中には、後に朝鮮三大悪女と言われる淑容・張緑水(チャン・ノクス)がいました。

<燕山君の家族>

第10代王・燕山君 中宗反正後
正室 廃妃慎氏 2男1女 廃世子 賜死
昌寧大君(李誠) 賜死
徽順公主 廃位
側室 淑儀李氏 1男 陽平君(李仁) 賜死
張緑水 1女 翁主 李霊寿 不詳
その他 側室多数

他い多くの宮女や妓生を抱えていました。

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燕山君の生涯

燕山君は幼くして母・廃妃尹氏を失い、真相を知らぬまま育ちました。

即位当初は善政を行いましたが、士林派の粛清を機に暴君へと変貌。母の死の真相を知ると甲子士禍を起こし、多数を処刑しました。

享楽に溺れ、諫言する家臣も残虐に処刑する暴政が続きますが、遂に、勲旧派によるクーデターが勃発します。

その結果、燕山君は江華島に配流、2カ月後に31歳で亡くなりました。正妃の慎氏も同時に廃位され、残された王子たちは処刑、王女たちは全て奴婢にされています。

<燕山君の生涯年表>

出来事
1476 8月9日、母が王妃になる
11月7日、成宗と廃妃尹氏の長男として誕生
1479 母が王妃を廃妃される
1482 母が賜死する
1483 8歳で王世子に冊封される
1494 成宗が逝去。19歳で第10代王に即位
1498 戌午士禍。士林派52人を処刑
1504 甲子士禍。母の死に関係した者を処刑
1506 9月2日、中宗反正。燕山君は廃位
11月6日、流刑地で亡くなる

燕山君(ヨンサングン)が登場するドラマ

韓国時代劇でも、燕山君は「恐怖政治」の象徴として頻繁に登場しています。燕山君の生涯を知るには長編ですが、「インス大妃」がおすすめです。

<燕山君が登場する代表的なドラマ>
2007年:王と私
2012年:インス大妃
2017年:逆賊-民の英雄ホン・ギルドン-
2017年:七日の王妃

まとめ

燕山君(ヨンサングン)の暴政は確かに凄惨で許すことのできないものでした。

しかし、その背景には「孤独な環境」「愛情なき成長」「歪んだ感情」といった、ひとりの人間の苦悩が見え隠れします。

彼の家系図を辿ることで、単なる「悪人」ではなく、「時代が生んだ悲劇の人物」としての姿が見えてきました。

もし、廃妃尹氏が死罪にならなければ、朝鮮の歴史は変わっていたかもしれません。

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