ドラマ「ヘチ王座への道」の密豊君(みるぷんぐん)は、「自分が王位継承者である」と考える人物として描かれています。
この記事では、密豊君は本当に王位継承者だったのか。密豊君の家系図をもとに、彼の出自、家族関係、そして、波乱の最後まで詳しく解説します。
密豊君(みるぷんぐん)の家系図|王位継承者の理由
密豊君(みるぷんぐん)は、第16代国王・仁祖の長男である昭顕世子の血を引く子孫でした。
父系の系譜をたどると、昭顕世子―慶安君(石堅)―臨昌君―密豊君と続きます。昭顕世子は本来、王位を継ぐ立場にあった嫡長子であり、その直系にあたる密豊君は自身を王統の嫡流につながる王位継承者であると意識したのです。

当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した家系図
<密豊君の家系図>
【PR】スポンサーリンク密豊君がなぜ、王位継承から外れたのか?
密豊君(みるぷんぐん)の家系が王位継承の中心から外れた直接の理由は、昭顕世子の死後に行われた世子冊封にあります。
1645年、清から帰国した昭顕世子は、わずか2か月後に急死しました。本来であれば、昭顕世子の嫡子が世子に立てられるのが慣例でしたが、仁祖はこれを退け、次男の鳳林大君(後の孝宗)を世子に立てています。
この選択によって王位継承は嫡系から傍系へと移り、昭顕世子の子孫は王位を継ぐ立場から外れることになりました。
【PR】スポンサーリンク史実から見る人物像|密豊君はどんな王族だったのか
「景宗実録」には、粛宗が過去の冤罪を踏まえ、父・臨昌君に対して諸宗親(王族)の中でこれに及ぶ者はいなかったほどの厚い恩寵を与えたことが記されています。
また、密豊君自身も冬至の正使として明に派遣されるなど、王族として順風満帆の人生を送っていたと考えられます。
ドラマでは王位を狙う野心家として描かれていますが、史料上、密豊君本人が積極的に王位を狙っていたことを示す記録は確認されていません。
密豊君のプロフィール
没年:1729年3月28日(享年42歳)
本名:李担(イ・タン)
父:臨昌君(昭顕世子の孫)
母:凝川郡夫人・朴氏
兄弟:6人兄弟(密豊君は長男)
密豊君の家族構成
密豊君(みるぷんぐん)には正室と側室がいましたが、子どもが生まれたのは側室・林川趙氏との間だけでした。
妻と子供たち
| 関係 | 名前 | 子女 | 備考 | ||
| 正室 | 清風金氏 | なし | |||
| 側室 | 林川趙氏 | 5男4女 | 長男 | 觀錫 | 商原君 |
| 次男 | 晉錫 | 延齢君の養子 | |||
| 三男 | 恒錫 | 密原君の養子 | |||
| 四男 | 謙錫 | ||||
| 五男 | 益錫 |
注)次男・晉錫の養子は李麟佐の乱後に、破断になりました。
李麟佐の乱|密豊君は首謀者だったのか?
1728年、李麟佐は密豊君を担ぎ出し、反乱を起こしました。これが李麟佐の乱(戊申の乱)です。李麟佐の乱は2週間程度で鎮圧され、主犯の李麟佐は捕まり処刑されました。
なぜ、密豊君は首謀者とされるのか?
密豊君の名が反乱軍の呼びかけ(檄文・名簿)に挙がっていたことが、「密豊君が首謀者」と嫌疑をかけられた大きな要因でした。
密豐君 坦, 名出賊招
<英祖実録:1728年3月20日条>
しかし、その後の調べで、密豊君は反乱軍の関係者からの探りや呼びかけに全く応じていなかったことが記されています。
つまり、密豊君が反乱軍に名を連ねたのは、本人の野心ではなく、王族の名が反乱の名分として利用された可能性が高いと考えられます。
密豊君の最期|英祖の下した決断
英祖実録(1729年3月28日条)によれば、英祖は王族である密豊君の処刑について慎重な姿勢を示し、極刑を求める臣下の意見に容易には同意しなかったことが記されています。
しかし、最終的には朝廷内の強い処断論を受け入れ、密豊君に賜死を命じました。彼の一族も徹底的に処罰すべきだとする上奏が相次いで提出されましたが、英祖は密豊君の処刑のみにとどめています。
その後も臣下たちは三十年にわたり処罰を上奏し続けました。1755年、羅州掛書事件の際、一連の反逆は処罰の甘さによるものと、再び、密豊君の一族の処刑を迫り、英祖はついにこれを許可しています。<英祖実録 英祖31年(1755年)6月4日条>
密豊君の墓所
密豊君は祖父の慶安君、父親の臨昌君と共に京畿道高陽市徳陽区大慈洞に埋葬されています。
小高い丘の上に見えるのが祖父・慶安君(石堅)のお墓、その手前に父・臨昌君と密豊君のお墓があります。

<祖父、父と埋葬された密豊君のお墓>
まとめ
密豊君(みるぷんぐん)は、昭顕世子の血を引く王族であり、家系上は王位継承資格を有する立場にありました。
しかし、仁祖による世子冊封の決定によって、その家系は政治の中枢から外れ、結果として反乱勢力に利用される名分となりました。
史実から見る密豊君は王位を強く求めた野心家でも、ドラマ「ヘチ」に登場する極悪非道な人物でもありませんでした。彼は自らの意思ではなく、生まれ持った血統に翻弄された王族の一人だったと考えられます。