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完豊君(ワンプングン)の家系図【為政者が生んだ悲劇の子】

イ・サンに登場する完豊君(ワンプングン)はまだ、何も知らない幼い子どもです。

完豊君は何故、為政者(いせいしゃ)の洪国栄(ホン・グギョン)に利用されたのか?

その理由を完豊君(ワンプングン)の家系図から調べてみました。

 

完豊君(ワンプングン)の家系図

完豊君(ワンプングン)は正祖の義弟の息子で甥にあたります。

正祖の義弟は恩彦君(ウノングン)で、その父は米びつで亡くなった荘献世子(チャンホンセジャ)です。

 

つまり、完豊君は英祖の曾孫に相当しますが、王位継承からは遠い存在でした。

完豊君の本名は李濬(イ・チュン)でしたが、成人すると与えられる称号さえ与えられていませんでした。

<完豊君の家系図>

完豊君のプロフィール

完豊君(ワンプングン)は洪国栄(ホン・グギョン)によって、正祖(イ・サン)と側室・元嬪洪氏の養子にされました。

従って、義理の父親は第22代国王の正祖ということになります。

<完豊君のプロフィール>
生年:1769年1月21日
没年:1786年11月20日
享年:18歳(日本で17歳)
本名:李湛(イ・ダム)、初名は李濬(イ・チュン)
実父:恩彦君(李䄄)
実母:常山郡夫人宋氏

完豊君(ワンプングン)は洪国栄によって付けられた名前であり、王家李氏の本貫「完山」と洪氏の本貫「豊山」から付けられたといいます。

洪国栄の完豊君にかける野心の強さが分かります。

 

洪国栄は完豊君を正式な王世子にしようと画策しますが、重臣の反対にあって失敗します。

これが、原因で洪国栄は官職を辞職することになり、完豊君も激しく追求されます。

 

正祖は右議政・李徽之の進言に従い、洪国栄が野心から付けた完豊君の称号を変え、爵位を剥奪することで完豊君を守ろうとします。

このことは1780年8月15日の正祖実録に記録されています。

その結果、正祖は完豊君の称号を常渓君に変更、そして名前も李湛に改名することで事態の収拾を図りました。

 

完豊君の家族の悲劇

<完豊君の家族>

関係 名前 備考
父親 恩彦君 妻の連座で死罪
母親 常山郡夫人宋氏 カトリック信者弾圧で死罪
平山郡夫人申氏 カトリック信者弾圧で死罪
子供 なし

完豊君(ワンプングン)は、正祖の勧めで1786年に申瑍の娘である平山申氏と結婚しました。

しかし、完豊君は結婚後に急死しています。

1786年11月20日のことです。

享年18歳(日本では17歳)でした。子供はいませんでした。

毒薬を飲んで死んでいたことから、毒殺されたとの説もありますが、詳しいことは分かっていません。

 

正祖実録に当時の記録が残っています。

宗室湛死。 湛卽恩彦君 䄄之長子。洪國榮之所嘗呼以吾甥者也。 元嬪喪, 爲代奠官, 稱完豐君。及國榮敗, 改號常溪, 至是暴死。
<引用元:正祖実録1786年11月20日>

王族の湛が亡くなった。湛は恩彦君の長男であるが、洪国栄が自分の甥と呼んだ人物である。元嬪の葬儀のときに、代奠官を努め、完豐君と呼ばれる。洪国栄が失脚すると、称号を常溪君と改めたが、非業の死を遂げた。

 

完豊君の死後、悲劇はまだまだ続きます。

完豊君の妻は熱心なカトリック教徒でしたが、1801年に貞純王后が行ったカトリック信者弾圧のときに、密告されて死罪になりました。

このときに、母親の常山郡夫人宋氏もカトリック信者として毒殺され、父親の恩彦君も連座で毒殺されてしまいました。

 

これにより、恩彦君の一族は王族としての戸籍は削除され、江華島に流刑となり、農業従事者として貧困生活を過ごすことになりました。

その中に、後に国王に引っ張り出される哲宗とその父親・全渓君(チョンゲグン)がいました。

全渓君は恩彦君の側室の子供でした。

 

完豊君の兄弟

完豊君の実の弟は3人いました。

全渓大院君の母親は側室の全山郡夫人李氏ですが、李成得と李鉄得の母親は不明です。

関係 名前 備考
実弟 李昌順
李昌徳
豊渓君(李瑭) 恩全君の養子
異母弟 李成得
李鉄得
全渓大院君(李㼅) 第25代王・哲宗の父

 

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なぜ、洪国栄は完豊君を妹の養子にしたのか?

洪国栄(ホン・グギョン)が完豊君を元嬪洪氏の養子にしたのは、将来、王の叔父として権力を維持するためです。

 

洪国栄は王子の叔父となるために、強引に自分の妹を正祖の側室にしました。

しかし、その妹は側室になって1年で急死してしまいます。

焦った洪国栄は亡き元嬪洪氏に養子をつけることで夢を実現しようとします。

 

そこで、目を付けたのが恩彦君の息子の完豊君でした。

家系図を見れば分かるように、正祖(イ・サン)は5人兄弟です。

 

兄の懿昭世子は2歳のときにすでに亡くなっていました。

恩信君(ウンシングン)は宮廷外で暮らしていましたが、金亀柱らに因縁をつけられて済州島へ配流され、その後、風土病で亡くなっていました。

 

また、恩全君(ウンジョングン)は謀反に担ぎ出されて死罪になっていました。

洪国栄が養子を考えついた時点で残っていたのは完豊君の父親・恩彦君(ウノングン)だけだったのです。

 

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イ・サンでワンプングンを演じた子役

ドラマ「イ・サン」でワンプングンを演じた子役の名前はチェ・ウォノンです。

 

チェ・ウォノンのプロフィール

チェ・ウォノンは4歳で芸能界にデビュー後、母親とともに芸能活動に励んできました。

<成人したチェ・ウォノン>

生年月日:2000年12月14日
(2025年02月05日現在、24歳)
出身地:京畿道水原市
身長: 168 cm
学歴:勧善高校卒業
2019年に檀国大学校演劇演技学科に入学

 

出演した時代劇ドラマ

チェ・ウォノンはイ・サンに出演後も、多くのドラマに子役として出演しました。

<イ・サンで完豊君を演じたチェ・ウォノン>

ここでは、チェ・ウォノンが出演した時代劇ドラマをご紹介します。

<出演した時代劇ドラマ>
イ・サン(2007年、完豊君)
風の国
(2008年、幼いムヒュル/ホドン王子)
伝説の故郷 木刻鬼
(2009年、ヨンイ)
キム・マンドク~美しき伝説の商人
(2010年、テグ)
階伯(2011年、ウィジャ王子)
インス大妃
(2011年、成宗の少年時代チャサン君)
屋根部屋のプリンス
(2012年、イ・ガク子)
シンイ-信義-
(2012年、慶昌府院君)
秘密の扉(2014年、オム・ジェソン)

 

チェ・ウォノンの現在

チェ・ウォノンは学業と俳優業の両立を目指して頑張って来ましたが、2019年に念願の檀国大学校演劇演技学科に見事に合格しました。

現在は、大学での学業が優先なのか、俳優業では目立った活動は見当たりません。

大学卒業後にまた、ドラマに復帰してくれることを期待しています。

 

まとめ

完豊君(ワンプングン)は洪国栄(ホン・グギョン)の野望の犠牲者となった悲劇の子でした。

正祖の養子になったため、両親や妻など完豊君の家族も滅ぼされてしまいました。

洪国栄が目をつけなければ平凡に暮らしていたかもしれません。

完豊君の人生は洪国栄に散々振り回された短い17年でした。

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