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粛宗の家系図【トンイに登場する粛宗は恐ろしい王様だった】

トンイでは、チ・ジニがコミカルで優しい王様として演じた粛宗。実在の粛宗は王権強化のために政敵を容赦なく追い落とす冷酷な国王でした。

この記事では、史実に基づいた粛宗の真の姿を分かりやすく解説します。

粛宗の家系図

粛宗は父の顕宗(ヒョンジョン)が34歳で死去すると、14歳で朝鮮国王に即位し、46年間という長い期間に渡り、政権を掌握した国王でした。

彼は、仁祖の次の第17代王・孝宗のときから分岐した傍系の流れをくむ王です。

粛宗の家系図

本図は当サイトが独自に作成した家系図です

<粛宗の家系図>

粛宗のプロフィール

在位期間:1674年-1720年
姓・諱:李焞(イ・スン)
廟号:粛宗
生年:1661年9月8日
没年:1720年7月13日
父:顕宗
母:明聖王后(1642年-1684年)
正室:仁敬王后、仁顕王后、仁元王后
陵墓:明陵(西五陵)
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粛宗の正室と子供たち

粛宗には3人の正室がいましたが、男の子には恵まれませんでした。

王妃 子ども 備考
仁敬王后 女2人(早世) 王妃も若くして病死
仁顕王后 なし 廃妃になるが後に復位
仁元王后 なし 英祖の即位に尽力

仁敬王后は若くして亡くなり、その後、入宮した仁顕王后は政争で廃位と復位を経験した短命の王妃でした。

三番目の仁元王后は子を持たず、延齢君の国王即位に貢献しました。

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粛宗の側室と子供たち

粛宗の側室の中でも有名なのが、禧嬪張氏と淑嬪崔氏(トンイ)です。どちらの息子も後に国王となっています。

側室 子ども 備考
禧嬪張氏 男2人 李昀(景宗)ほか1人(早世)
淑嬪崔氏 男3人 李昑(英祖)ほか2人(早世)
䄙嬪朴氏 男1人 李昍(延齢君)
その他 なし 貴人金氏、寧嬪金氏、昭儀劉氏

張禧嬪は王妃になりましたが、粛宗が後ろ盾の南人を粛清したため、側室に降格しています。

䄙嬪朴氏は、粛宗が晩年に寵愛した側室でしたが、息子の延齢君は21歳の若さで亡くなっています。

詳しくはこちら>>延齢君の家系図【ヘチのイ・フォンは実在した歴史上重要な人物】

粛宗の政治:換局で恐れられた王

粛宗が王に即位したときには、朝廷の主導権をめぐって南人と西人の2大党派が激しく対立、王権は弱体化していました。

そこで、現状を打破するため、強い党派に難癖をつけて朝廷から一気に追放、政局を塗り替える換局(ファングク)という手法を使います。

彼は在位中に3回の換局を実行しました。

換局 内容 禧嬪張氏(南人) 仁顕王后(西人)
1680年:庚申換局 宮中の天幕の無断使用を口実に南人を追放
1689年:己巳換局 王世子の冊封反対を口実に西人を追放 王妃に昇格 廃位
1694年:甲戌換局 張禧嬪の横暴さをキッカケに南人を追放 嬪に降格
その後死罪
王妃に復位

換局により追放された党派の多くは、殺害されたり流刑されました。

このように、粛宗は党派を巧みに操りながら王権の強化を図った「策略家」でした。

ドラマ「トンイ」の粛宗と史実の違い

各党派は自分たちが推す女性を中殿(正室)とし、党派の権力の象徴としました。

そのため、粛宗が換局を行うたびに、中殿も入れ替わり、王妃は政局に大きく振り回されることになります。

そこには、ドラマに見られるような愛情や優しさは全く見られず、粛宗は政治的に非常に冷酷な人物だったといえます。

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粛宗が登場するドラマ

粛宗が登場する代表的なドラマは次のとおりです。いずれのドラマも粛宗を恐ろしい王としては扱っていません。

<粛宗が登場するドラマ>
トンイ
(2010年、チ・ジニ)
チャン・オクチョン
(2013年、ユ・アイン)
テバク〜運命の瞬間〜
(2016年、チェ・ミンス)
ヘチ 王座への道
(2019年、キム・ガプス)

まとめ

粛宗は、ドラマの印象とは裏腹に、政敵を容赦なく排除する冷酷な王でした。結果的に、その政治手法が王権の強化と安定につながったとも言えます。

しかし、一方で王妃や側室などの女性を政治に利用したことが、歴史に残る女性同士の憎悪と悲劇を生んだとも考えられます。

補足:粛宗の王妃に関する記事

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