イ・イチョム(李爾瞻)は、光海君の王位を脅かす人物を次々と粛清していきました。
多くのドラマに悪役として登場するイ・イチョムとはどんな人物だったのか。
イ・イチョムの家系図から詳しくご紹介します。
イ・イチョムの家系図
イ・イチョム(李爾瞻)の本貫は李唐を始祖とする廣州李氏です。
先祖に燕山君に仕えた李克墩がいました。
<イ・イチョムの家系図>
朴自興に嫁いだイ・イチョムの長女の娘は光海君の息子の世子・李祬と結婚しています。
しかし、孫娘は仁祖反正で光海君が廃位さると、光海君や夫の李祬とともに江華島に流配となりました
イ・イチョムの一族は名門でしたが、仁祖反正で完全に滅亡してしまいます。
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イ・イチョムの家族
イ・イチョム(李爾瞻)には4人の息子と2人の娘がいました。
仁祖反正で光海君が廃位になると、李爾瞻と息子は捕まり殺害されています。
<イ・イチョムの家族>
関係 | 名前 | 生年-没年 | 備考 |
父 | 李友善 | 1534-不明 | |
母 | 柳氏 | 不明 | |
本人 | 李爾瞻(イチョム) | 1560-1623 | |
妻 | 李氏 | 1561-1653 | |
長男 | 李元燁(ウォンヨプ) | 1582-1623 | |
次男 | 李弘燁(ホンヨプ) | 1587-1623 | |
三男 | 李大燁(テヨプ) | 1592-1623 | |
四男 | 李益燁 | 1594-1623 | |
長女 | 不明 | 不明 | 朴自興の妻 |
次女 | 不明 | 不明 | 李尙恒の妻 |
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イ・イチョムの生涯
イ・イチョム(李爾瞻)は、一時、光海君を支持したことで、宣祖の怒りをかって流配にされています。
しかし、宣祖が急死、光海君が王になると官職に復帰します。
復帰したイ・イチョムは光海君の王位を脅かす人物を次々と粛清していきました。
このとき手を貸したのが宮廷で大きな影響力を持っていたキム・ゲシ(金介屎)です。
イ・イチョムの周囲で起こった出来事を含めて、イ・イチョムの生涯を整理しました。
年月 | 出来事 |
1560年 | 父・李友善と母・柳氏の間に生まれる |
1594年 | 35歳で科挙に合格する |
1598年 | 壬辰戦争で功績を上げ、要職に採用される |
1606年 | 宣祖に永昌大君が生まれる |
1608年 | 柳永慶(領議政)の小北派は永昌大君を支持、李爾瞻の大北派は光海君を支持 |
永昌大君を世子に考えていた宣祖の怒りをかって李爾瞻は流配になる | |
1608年 | 宣祖が急死する |
光海君が即位、李爾瞻が復帰する | |
宣祖から永昌大君を託された柳永慶が慶興に流罪の上、賜死 | |
光海君の兄・臨海君が流刑になる | |
仁穆王后と娘の貞明公主が慶運宮に幽閉される | |
1609年 | 臨海君が流配地で殺害される |
1613年 | 癸丑獄事(七庶獄事を利用して、金悌男を死罪、永昌大君を江華島に流配する) |
1614年 | 永昌大君が流配地で殺害される |
1623年 | 仁祖反正で光海君が廃位される |
李爾瞻は息子とともに処刑される |
柳永慶の死罪、仁穆王后の幽閉、臨海君の殺害、金悌男を死罪、永昌大君の殺害にはイ・イチョム(李爾瞻)が関係していたと言われています。
イ・イチョムが登場する主なドラマ
イ・イチョム(李爾瞻)はキム・ゲシ(金介屎)とともに、悪巧みを企てる悪臣として登場しています。
宮廷女官キム尚宮(1995年、ソ・インソク)
王の女(2003年、イム・ヒョク)
華政(2015年、チョン・ウンイン)
ポッサム〜愛と運命を盗んだ男〜(2021年、イ・ジェヨン)
( )内の名前はイ・イチョムを演じた俳優です。
まとめ
イ・イチョム(李爾瞻)は支持していた光海君が王位に就くと、邪魔な存在を次々に粛清していきました。
そこには、かつては王に仕える名家でありながら没落した一族の恨みと復活に対する執念を感じざるを得ません。
しかし、そのあまりにも露骨な謀略は大きな反発となり、仁祖反正を引き起こしました。
そして、代償は大きく、イ・イチョムの一族は完全に滅亡してしまいます。