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韓国ドラマ「ポッサム」の実話【バウは実在した人物だった】

ポッサムは永昌大君の事件「癸丑獄事」を基にしたフィクションです。

史実の癸丑獄事とはどんな事件だったのか?

バウのモデルはどんな人物だったのか?

詳しくご紹介します。

 

ポッサムの実話

バウの祖父・金悌男(キム・ジェナム)は実在した人物で、永昌大君事件の癸丑獄事(チュクオクサ)で死罪になっています。

この永昌大君の事件でバウは身分を失い、私財は没収、一族は滅亡しました。

癸丑獄事とはどんな事件だったのか、詳しくご紹介します。

 

永昌大君事件の史実、癸丑獄事とは

癸丑獄事とは、李爾瞻(イ・イチョム)が七庶の獄と言う事件を利用して、仁穆大妃の父・金悌男(キム・ジェナム)に謀反の濡れ衣を着せて、金悌男の一族を破滅させた事件です。

金悌男と三人の息子は処刑され、幼い永昌大君は江華島に流刑、仁穆王后と貞明公主は西宮に幽閉されました。

 

では、李爾瞻(イ・イチョム)が利用した七庶の獄とはどんな事件だったのでしょう。

「七庶」とは七人の庶子のことを示しています。

<豆知識>庶子とは
庶子とは側室の子供で、当時、正室の子供である嫡子とは酷く差別された扱いを受けていました。

差別に不満を持った庶子の七人が「嫡庶差別を廃止」を訴えて上訴しましたが、拒否されました。

これに怒った七人は東來(トンネ)の倭館から漢陽へ運搬中の銀貨数百両を強奪してしまいます。

この事件を七庶の獄と呼んでいます。

 

永昌大君の排除の口実を探していた李爾瞻は、これはいい口実ができたと考えました。

捕まった七人は李爾瞻(イ・イチョム)により虚偽の証言をさせられます。

 

強奪は永昌大君を王にするための資金稼ぎであり、永昌大君擁立の首謀者は仁穆大妃とその父の金悌男である

この証言により、金悌男は死罪となり、一族は滅亡したのです。

さらに、李爾瞻(イ・イチョム)が望んだように永昌大君は殺害され、仁穆王后も西宮(ソグン)に幽閉されてしまいました。

 

金悌男の家系図

謀略により滅亡させられた金悌男の家系について調べてみました。

金悌男は第14代国王・宣祖の継室・仁穆王后の父親です。

華政に出てくる貞明公主(チョンミョンコンジュ)と永昌大君(ヨンチャンデグン)のおじいさんにあたります。

<金悌男の家系図>

おじいさんが孫のために謀反を企てたと言いがかりを付けられたのが、癸丑獄事(チュクオクサ)だったのです。

 

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バウのモデルは実在した人物

ポッサムに登場するバウのモデルは金悌男の孫の金天錫(キム・チョンソク)です。

ドラマ「ポッサム」では、金大錫(キム·デソク)という名前に変えています。

「天」と「大」の違いですんね。

 

金天錫は金悌男の息子の金琜(キム・レ)の長男として生まれました。

癸丑獄事が起こった1613年は、金天錫はまだ10歳の少年でした。

 

バウの家系図

バウ(金大錫)のモデルになった金天錫(キム・チョンソク)の近親の人たちをご紹介します。

仁穆王后は金天錫の叔母、貞明公主と永昌大君は従兄弟にあたります。

<金天錫の親近図>

父親の金琜が死罪になった後の金大錫の行動には諸説あります。

おばあさんとともに済州島に流刑になったとも。。。

また、変装して逃亡、その後11年間、全国を放浪したとも言われています。

 

仁祖反正で金悌男一族の名誉が回復

物語の終盤で反正(バンジョン)が起こり、光海君は廃位、李爾瞻(イ・イチョム)は粛清されます。

1623年3月に勃発した仁祖反正(インジョバンジョン)です。

仁祖反正により、金悌男一族の名誉は回復され、バウ(金大錫)も両班に戻ることができました。

<豆知識>反正(バンジョン)とは
反正とは、正しい状態にかえることを言います。韓国の歴史では、間違った政治を正しい政治に変えること。つまり、民を苦しめる無能な暴君を変えて良い世の中にすることを意味しています。韓国の歴史では、1506年の中宗反正(燕山君を廃位)と1623年の仁祖反正(光海君を廃位)で2回の反正が起こっています。

 

1623年4月11日(旧暦3月12日)、西人派が綾陽君(ヌンヤングン)を担ぎ出して、光海君と大北派を一掃するために反乱を起こしました。

西人派の首謀者は金自點(キム・ジャジョム)、李貴(イ・ギ)、金瑬(キム・リュ)などでした。

 

綾陽君と西人派は1年ほど前から密談を重ねて反乱の準備していましたが、計画が漏れ、急遽、実行に移したといいます。

結集した反乱軍は、彰義門を突破して宮殿に侵入、光海君のいる昌徳宮に向かいました。

 

反乱は成功し、光海君とその家族は江華島へ流配、李爾瞻とその息子は処刑され一族は没落、金介屎も処刑されます。

綾陽君は仁祖(インジョ)として即位、仁穆大妃と貞明公主は慶運宮(西宮)から解放されました。

 

仁祖反正では、光海君を支えた北人派の多くは粛清されました。

粛清された人の数は中宗反正以上と言われています。

 

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ポッサムに登場する実在した人物

ポッサムは史実を基にしているため、実在した人物が多く登場します。

役名 実在のモデル 備考
バウ/キム・デソク 金天錫(キム・チョンソク)
ファイン翁主スギョン 翁主(名前不明) 光海君の娘
光海君 光海君(クァンヘグン) 第15代国王
世子 李祬(イ・ジ) 光海君の息子
昭儀ユン氏 昭儀尹氏(スギ・ユンシ) 側室、翁主の母
イ・イチョム 李爾瞻(イ・イチョム) 官僚
イ・デヨプ 李大燁(イ・テヨプ) イ・イチョムの三男
イ・ウォニョプ 李元燁(イ・ウォンヨプ) イ・イチョムの長男
キム尚宮 金介屎(キム・ゲシ) 尚宮
キム・ジャジョム 金自點(キム・ジャジョム) 官僚
キム氏夫人 李氏(名前不明) イ・イチョムの妻
キム・ジェナム 金悌男(キム・ジェナム) 金天錫の父
ハン氏(バウの母) 光山府夫人光州盧氏 金天錫の母
キム・ヨノク(バウの妹) (名前不明) 金天錫の妹
仁穆王后 仁穆王后(インモクワンフ) 先王の継妃
貞明公主 貞明公主(チョンミョンコンジュ) 仁穆王后の娘
綾陽君 綾陽君(ヌンヤングン) 第16代国王・仁祖

ポッサムでイ・イチョムの息子イ・デヨプは、実は臨海君の息子でしたが、これはもちろんフィクションです。

臨海君については>>臨海君の家系図【気性の荒さから王位を逃した光海君の兄】
を御覧ください。

 

光海君の娘は実在した

光海君と側室・昭儀尹氏(スギ ユンシ)の間には王女が実在していました。

光海君の唯一の娘です。

 

しかし、1623年に勃発する光海君が廃位されるクーデター(仁祖反正)のときでも、

王女はまだ5歳(韓国式の数え方)でした。

史実によると、バウのモデル金大錫が両班に戻っところ、光海君の唯一の娘はまだ5歳程度の幼い少女だったのです。

 

母親の昭儀尹氏は賜死となりますが、光海君の娘は幼かったので王女を廃位の上、命だけは助けられました。

その後、王女は母方の実家で育てられ、25歳のときに朴澂遠と結婚して2男3女の子供をもうけています。

詳しくは>>光海君の娘は実在した?【ポッサムに登場するファイン翁主】 を御覧ください。

 

まとめ

ポッサムは史実を基にしたフィクションですが、その史実とは金悌男の一家が滅亡させられた癸丑獄事でした。

ドラマでは生き残った金悌男の孫が一族の汚名をはらしますが、それはフィクションです。

 

史実では奇跡的に生き残った孫の金天錫(キム・チョンソク)は仁祖反正で名誉を回復、その後、官職を努め、70歳で亡くなっています。

また、ドラマでキム・デソクは光海君の娘と出会いますが、史実の光海君の娘は当時、まだ5歳程度の幼女でした。

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