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趙英珪(チョ・ヨンギュ)は実在?【鄭夢周を暗殺した功臣】

鄭夢周を善竹橋で殺害した人物として知られる趙英珪(チョ・ヨンギュ)。ドラマでは武人として描かれることが多い人物ですが、史料を確認すると実像は少し異なります。

この記事では、史実から伝わる暗殺の状況、殺害時の官位など趙英珪の意外な人物像に迫ります。

趙英珪が実在した記録|史料で伝わる鄭夢周暗殺

趙英珪(チョ・ヨンギュ)が鄭夢周を暗殺した記録は『高麗史』と『朝鮮王朝実録』の両史料に見ることができます。

『高麗史』には、恭讓王4年(1392年)4月4日に趙英珪が殺害したと記されています。

判典客寺事趙英珪等,殺守侍中鄭夢周
<高麗史卷四十六:恭讓王4年4月4日の条>

<訳>判典客寺事の趙英珪らが、守侍中の鄭夢周を殺害した

また、『朝鮮王朝実録』の『太祖実録』にはその時の様子が詳しく記録されています。

夢周至, 英珪馳擊不中, 夢周叱之, 策馬而走。 英珪追擊馬首, 馬蹶, 夢周墜地, 起而急走, 呂等追殺之。
<太祖実録巻1:総書131条>

<訳>夢周が到着すると英珪が突撃したが外れ、夢周は叱りつけて馬で逃走した。英珪が馬首を打つと馬が倒れ、夢周は落馬して走ったが、高呂らに追われて殺害された。

趙英珪が鄭夢周を殺害したとき、『高麗史』では判典客寺事と記されており、これは正三品の上級官僚でした。

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なぜ上級官僚が暗殺を実行したのか?

趙英珪が正三品の官僚でありながら鄭夢周殺害を実行した理由は、史料上明確には記されていません。

ただし、李成桂の勢力は武人を基盤としており、官位を持つ者も軍事行動を担う存在でした。そのため、上級官僚であった趙英珪が実行に関わったことは、王朝交代期の政治状況の中では特別不自然なことではありません。

しかし、これは史料から直接確認できる事実ではなく、暗殺に至る具体的経緯は現在も不明のままです。

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実在した趙英珪はどんな人物?

趙英珪(チョ・ヨンギュ)は平民出身と考えられ、李成桂の配下として軍功を重ね、出世した人物です。朝鮮建国以前から李成桂に従い、戦功によって官職を得た典型的な武功官僚の一人でした。

趙英珪のプロフィール

趙英珪の私生活に関する史料はほとんど残っておらず、家族関係や出生については多くが不明です。現存史料から確認できる基本情報は次の通りです。

趙英珪(チョ・ヨンギュ)
初名:趙評
生年:不詳
没年:1395年
氏族:新昌趙氏
父母:不詳

趙英珪の家族

妻は名門延安車氏一族の車堅質の妾であったと伝えられています。息子には趙珠・趙仁・趙祐の三人が確認できますが、成人後の活動については史料上ほとんど分かっていません。

趙英珪の家系|新昌趙氏の始祖・趙英珪

趙英珪(チョ・ヨンギュ)は朝鮮建国に功績を立てた開国功臣であり、新昌趙氏の始祖とされています。新昌とは本貫の地名を指し、現在の忠清南道牙山市新昌面にあたります。ただし、趙英珪の死後における家系の詳細については、史料に残る記録は多くありません。

趙英珪の生涯

趙英珪の幼少期については史料がなく、その出自や若年期は不明です。彼の存在が史料に現れるのは、李成桂配下として軍事活動に参加して以降です。

倭寇の討伐で戦功を上げる

1385年頃、趙英珪は李成桂とともに倭寇討伐に参加し、戦功を重ねました。この時すでに判衛尉寺事(正三品)に任じられており、単なる兵士ではなく高位官僚として活動していたことが分かります。

鄭夢周を殺害する

1392年4月、趙英珪は李芳遠の命令を受け、善竹橋で鄭夢周を殺害しました。この時、彼の官職は判典客寺事(正三品)であり、上級官僚が政治的暗殺の実行者となったことは注目すべき点です。

李芳遠と趙英珪の出会いは史料に明記されておらず不明ですが、趙英珪が李成桂の邸宅に出入りしている時だったと推測されます。

開国功臣に選ばれる

1392年7月、朝鮮王朝が建国され李成桂が即位すると、趙英珪は建国への功績によって開国功臣二等に選ばれ、禮曹典書(正三品)に任命されました。これは新王朝成立において重要な功績を認められたことを意味します。

趙英珪の最期

1395年、趙英珪(チョ・ヨンギュ)は病気で亡くなり、參贊門下府事(正二品)に追尊されました。

『太祖実録』には次のように記されています。

禮曹典書趙英珪卒。 英珪初名評。 從上潛邸, 屢立戰功, 國初, 與於功臣之列, 至是病卒。 贈參贊門下府事, 致賻以厚。 子珠、仁、祐。
<引用元:太祖実録1395年1月9日>

<訳>禮曹典書の趙英珪が亡くなった。初名は趙評であった。王が即位前から従事し、多くの戦功を上げた。朝鮮開国時には、功臣に選ばれたが、ここに至りて病気で亡くなる。參贊門下府事を追尊し、厚く葬儀を行った。息子には趙珠、趙仁、趙祐がいる。

まとめ

ドラマでは李芳遠の部下として描かれることの多い趙英珪ですが、史料から見る実像は単なる武人ではありませんでした。

彼は朝鮮建国期に活躍した開国功臣であり、鄭夢周暗殺当時には正三品の上級官僚という高い地位にありました。一方で、その出自や人物関係には不明点も多く、現在でも謎の多い人物の一人です。

趙英珪の事例は、王朝交替期において武人勢力が政治に及ぼした影響を考える上で注目される存在といえるでしょう。

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