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譲寧大君の家系図【素行が悪く廃世子となった太宗の長男】

素行の悪さから廃世子になった譲寧大君。ドラマに王室の陰の大物としてよく登場しますが、どんな人物だったのか。

この記事では、譲寧大君の家系図を軸に、その波乱に満ちた人物像や家族構成、さらにはドラマでの描かれ方まで詳しく解説します。

譲寧大君の家系図

譲寧大君は第3代王・太宗と元敬王后の長男として生まれました。

世子に冊封されましたが、幼い頃から勉強が嫌いで、素行が悪く、特に女性問題で太宗の怒りを買い廃位されています。

譲寧大君の家系図

当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した家系図

<譲寧大君の家系図>

譲寧大君の正妃の隨城府夫人は金興光を始祖とする光山金氏一族の出身でした。

王室に関係する光山金氏一族の出身としては、粛宗の最初の妃・仁敬王后と憲宗の側室・慶嬪金氏がいます。

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譲寧大君はどんな人物だったのか?

芸術や書に才能を見せた一方で、政治にはまるで関心がなく、自らの欲望を制御できない性格だったと伝えられています。

特に、伯父の定宗の寵愛を受けた楚宮粧(チョグンジャン)や重臣・郭旋(クァン・ソン)の妾の於里(オリ)との関係は有名です。息子の瑞山君の妾にも手を出したという逸話も残っています。

<プロフィール>
譲寧大君(ヤンニョンデグン)
出年:1394年
没年:1462年
享年:69歳
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譲寧大君の家族構成

譲寧大君は太宗と元敬王后の4男4女の長男として生まれています。

譲寧大君の兄弟

三男の忠寧大君が譲寧大君廃位後に世子となり、後の第4代王・世宗となっています。

関係 名前 称号 生年-没年 備考
長男 李褆 譲寧大君 1394-1462
次男 李補 孝寧大君 1396-1486
三男 李裪 忠寧大君 1397-1450 第4代王世宗
四男 李褈 誠寧大君 1405-1418 天然痘で亡くなる
長女 不詳 貞順公主 1385-1460 李伯剛の妻
次女 不詳 慶貞公主 不詳-1455 趙大臨の妻
三女 不詳 慶安公主 1393-1415 吉昌君/權跬の妻
四女 不詳 貞善公主 1404-1424 宜山君/南暉の妻

譲寧大君の妻子

譲寧大君には、正室・隨城府夫人との間に3人の男子と5人の女子、複数の側室との間には10人の男子と17人の女子がいたとされています。

庶子のなかには、のちに大韓民国初代大統領・李承晩の先祖にあたる人物も含まれています。

関係 称号 生年-没年 備考
正室 隨城府夫人 不詳 金漢老の娘
長男 順成君 1417-1456 名は李言豈
次男 咸陽君 不詳-1475 名は李言布
三男 瑞山君 不詳-1451 名は李譿
長女 永川郡主 1412-1442 李蕃の妻
次女 県主 不詳 李蕃の妻
三女 永平県主 不詳 金哲勻の妻
四女 県主 不詳 朴壽宗の妻
五女 載寧郡主 不詳-1444 李孜の妻
側室多数

廃世子となった事件の顛末

譲寧大君は郭旋の妾・於里に一目惚れし、無理やり宮中に連れ込んだことで太宗の怒りを買い、大騒動に発展します。

一度は於里を家に戻しますが、再び、彼女を宮女と偽り同棲、子までもうけたため、太宗は大激怒、遂に、1418年に譲寧大君を廃世子とし、宮廷から追い出しました。

また、関係したものは流罪や処刑となり、於里も自害したと伝えられています。

このとき、譲寧大君の称号が与えられ、これ以降、譲寧大君と呼ばれることになります。

廃位後の生涯

廃世子となっても、王族としての身分は守られました。譲寧大君は政治に関与せず、絵画や書道など芸術の世界に没頭しながら自由な生活を送ります。

世宗の時代にも多くの問題を起こしましたが、その度に世宗は兄の譲寧大君をかばい、処罰することはありませんでした。

1462年、譲寧大君は漢城府で69歳の生涯を終えています。

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譲寧大君が登場するドラマ

譲寧大君は王室の陰の大物、トラブルメーカーとして多くの時代劇に登場しています。

「不滅の恋人」では野心家として描かれ、陰謀の鍵を握る役として印象的です。

また、「太宗イ・バンウォン」では、廃位の顛末が詳細に描かれています。

<譲寧大君が登場する代表的なドラマ>
大王世宗
(2008年、チョン・チャヌ/イ・ジュン/パク・サンミン)
不滅の恋人
(2018年、ソン・ビョンホ)
太宗イ・バンウォン
(2021年、キム・ジュニ/イ・テリ)

まとめ

譲寧大君は太宗の長男として生まれながら、素行の悪さと女性問題で世子を廃位されました。

しかし、もともと勉強嫌いで政治に関心のなかった譲寧大君は廃以後、芸術を愛し、型破りながらも王族としての誇りを持って生き抜いた人物です。

世宗も兄の譲寧大君を尊重して処罰することもありませんでした。

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