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チャングムに登場する3人の王妃(端敬、章敬、文定)とは

チャングムに登場する中宗の王妃は3人です。

・端敬王后(タンギョンワンフ)
・章敬王后(チャンギョンワンフ)
・文定王后 (ムンジョンワンフ)

詳しく紹介していきますね。

 

7日で廃妃された端敬王后

中宗の最初の王妃ですが、中宗が即位する前から結婚していました。

ドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」では、第3話の即位式のシーンで登場します。

ここで、王妃になった訳ですが、わずか7日後に王妃の身分を剥奪されて廃妃となります。

 

理由は、端敬王后の父親が燕山君の側近中の側近であり、叔母さん(端敬王后の父の妹)が燕山君の正室だったからです。

また、端敬王后の出身一族が朝廷で重要な官職につくなど、燕山君と深い関係にありました。

中宗は端敬王后を大変愛していて、反対しましたがダメでした。

 

チャングムの中では、セリフもなくその後、登場することはありません。

しかし、オープニングには毎回登場するので覚えている方もいらっしゃるでしょう。

<オープニングに登場する端敬王后>

端敬王后の称号は、英祖の時代の復位でつけられたものであり、端敬王后が王妃であった事実はないと言われています。

実際、謀反を起こした家臣は、最初から端敬王后の廃位を考えていたでしょうから、即位式に端敬王后がいることはなかったと思われます。

もっと詳しい内容は>>端敬王后の家系図【図解で分かる7日で廃位された理由】 を御覧ください。

 

イ・ヨンエ主演のドラマ「師任堂、色の日記」では、引っ越した隣に住む女性として登場します。

また、燕山君、中宗、端敬王后の3人を扱ったドラマとして「7日の王妃」があります。

 

<豆知識>中殿(チュンジョン)と中殿媽媽(チュンジョンママ)
王妃のことをドラマの中で中殿(チュンジョン)または中殿媽媽(チュンジョンママ)と呼んでいます。中殿とは中宮殿(チュングンジョン)を略した呼び方で、王妃が暮らす建物のことです。建物の呼び名が転じて、王妃を示す言葉になったんです。
また、媽媽(ママ)は王族の高い身分の人に使う敬称ですが、日本で言うところの◯◯様の”様”のことです。つまり、中殿媽媽(チュンジョンママ)は王妃様って感じですね。ドラマでは、淑媛媽媽(スグォンママ)、大妃媽媽(テビママ)なんて使い方をされています。また、単に媽媽(ママ)なんて呼んでいる場面も多いですね。

 

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端敬王后に子供はいたのか?

端敬王后には子供はいませんでした。

端敬王后は中宗が王になる前の1499年に結婚していますが、結婚7年間の間に中宗との間には子供はできませんでした。

 

端敬王后は廃位後は実家に戻り、1557年12月27日に70歳で亡くなっています。

端敬王后という称号は英祖の時代に復位されたときに与えられたものです。

 

廃位後、中宗は端敬王后に合うことはありませんでした。

しかし、中宗は端敬王后をとても愛していて、廃位された後も端敬王后を思い、たびたび仁王山の彼女の実家の方角を眺めていたと言いわれています。

 

この話を聞いた端敬王后が中宗のために、宮殿にいたときに履いていたチマを仁王山の岩の上にかけておいたというのが、有名な「チマ岩伝説」ですね。

ドラマでも中宗がこのときの心情を語る場面が出てきます。

 

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若くして亡くなった章敬王后

1507年に端敬王后の廃妃により王妃になったのが章敬王后です。

1511年に孝恵王女を生んでいます。

 

ドラマ「チャングム」の中では、第6話に食事を拒否する王女が登場しますが、この王女こそ章敬王后の娘・孝恵王女です。

字幕にも孝恵王女と出たましたね。

従って、そばで心配して見ていた女性が章敬王后です。

ドラマチャングムの第9話でチャングムが女官になったときの合格者の授賞式に出席していたのも章敬王后です。

 

史実の章敬王后は1515年に世子(後の仁宗)を生みますが、その時に産後66日で僅か24歳の若さで死んでしまします。

このときに、朝鮮王朝実録の「中宗実録」では、チャングムが立ち会っています。

チャングムはその責任を追求されますが、世継ぎを出産させた功績により、王様の命令で罪を免じられたようです。

 

章敬王后について詳しくは>>章敬王后の家系図で知る【多くの王妃を出した名門・尹氏一族】 をご覧下さい。

 

文定王后は悪女か?

章敬王后が亡くなると、カンテクで選ばれた王妃が文定王后です。

ドラマチャングムの中では、一番長く登場する王妃です。

 

ドラマでは、文定王后はチャングムに章敬王后の子供である世子(後の仁宗)の毒殺を依頼します。

自分の息子(後の明宗)を王位に付けたいという執念があったようです。

文定王后はドラマチャングムの中では、チャングムをサポートする良い王妃のイメージですが、実際にはずいぶんと悪女の面もあったといいます。

 

ドラマ「天命」では、自分の息子のために世子の毒殺を狙う、執念深く恐ろしい王妃として描かれています。

また、ドラマ「オクニョ」では絶対的な権力で朝廷を牛耳る大妃として登場しています。

 

実は、文定王后はチャングムの第15話に登場していますが、文定王后を演じたパク・ジョンスクさんとは別人です。

パク・ジョンスク演じる文定王后は第19話から登場します。

これは、どうもパク・ジョンスクさんのスケジュールが合わなかったことによる苦肉の策のようです。

文定王后について詳しくは>>文定王后の家系図【チャングム、オクニョで有名な王妃はどんな人】をご覧下さい。

 

イ・ビョンフン監督の強烈なオファーで出演決定

ちなみに、パク・ジョンスクさんはチャングム出演のとき、女優ではなくアナウンサーでした。

3年前にホジュンの授賞式でイ・ビョンフン監督からドラマ出演へのオファーを受けたそうです。

その時は社交辞令と思ったそうですが、その後の監督の強烈なアタックにより遂に、チャングムの王妃役で具体化しました。

初めての女優なので最初は大分悩んだようです。

 

また、女優初挑戦のため相当苦労したようで、簡単な「美味しいわね」のセリフに43回もNGを出したこともあったとか。

すでに、政治家の方と結婚して芸能界は引退しているようです。

 

パク・ジョンスクのプロフィール

パク・ジョンスクさんのプロフィールをご紹介します。

生年月日:1970年02月14日
(2025年02月06日現在、54歳)
配偶者:イ・ジェヨン議員
家族構成:夫、息子
学歴:ソウル女子大学経営学科卒業
延世大学行政大学院
高麗大学大学院
アメリカ・コロンビア大学
慶応大学大学院
経歴:アナウンサー、MC、教授、女優
血液型: B型
特 技:英会話、日本語会話

パク・ジョンスクさんはチャングムに出演後も、アメリカや日本に留学して勉強するほどの博学多才です。

議員の旦那さんと結婚して息子さんを出産しています。

旦那さんが議員に出馬の際は、皇后の姿で応援に駆けつけるなど夫婦円満ぶりを見せていました。

<旦那さんの選挙応援に駆けつけたパク・ジョンスク>

王妃役のときとは違って、優しい顔をされていますね。

また、実はパク・ジョンスクさんはチャングム役のイ・ヨンエさんとは昔からの友達だそうです。

撮影中、なれないパク・ジョンスクさんをイ・ヨンエさんが優しく励ましてくれたようです。

確かに、文定王后は物事の良い悪いをハッキリと言う発言には説得力がありましたが、常に緊張した顔つきでしたね。

 

チャングムに登場する王妃はいつ変わったのか?

3人の王妃、端敬王后、章敬王后、文定王后がドラマのどこに登場したか調べてみました。

 

端敬王后の登場シーン

端敬王后は第3話の中宗の即位式のシーンで登場します。

残念ながらセリフはなく、遠目のシーンのため顔もよく分かりませんね。

但し、即位式のシーンはオープニングに何回も映されたので印象に残っている方も多いと思います。

 

章敬王后の登場シーン

章敬王后は第6話、第9話、第11話、第15話に登場しています。

チャングムで章敬王后を演じたのは、日本ではほとんど無名のイ・ヨンジンさんです。

 

第6話では、食事を拒否する娘の孝恵王女を心配する母親として登場しています。

第9話では女官の試験に見事合格したチャングムたちに認定書を渡しているのが章敬王后です。

第11話では、カン・ドックが作った料理を食べた王子の手足が麻痺するという事件が発生します。

寝込んでいる王子を中宗とともに心配してるのが章敬王后でした。

 

また、第15話ではハン尚宮とチェ尚宮の料理対決で大妃と一緒に料理の味見をする場面に登場しています。

セリフはありませんが、大妃に進められて料理を食べていましたね。

 

文定王后の登場シーン

文定王后は初めて登場したのは第19話です。

幼い頃から世話になった尚宮の話を聞くためにチャングムを呼んだのが最初でした。

これ以降、文定王后がチャングムの力を認めて、後押しをしてくれることになります。

そして、最終話では大妃として逃亡していたチャングムを宮中に戻してくれます。

 

章敬王后と文定王后の登場の矛盾

実は、章敬王后と文定王后の登場には史実とは異なる矛盾があります。

第11話に登場する王子はドラマの上では名前は明らかにされていませんが、章敬王后が生んだ王子(後の王・仁宗)と考えられます。

 

しかし、章敬王后は王子を生むと66日後に亡くなっていますので、王子の手足がしびれた時にそばにいるはずはありません。

史実通りに考えるのであれば、この王妃は文定王后になるはずです。

つまり、第11話以降、もしくは第9話以降の王妃は文定王后であるほうが正しいことになります。

 

更に、第15話には章敬王后が料理対決の味見として登場します。

そして、第16話では料理対決時に真心を疎かにした罰としてチャングムは寺に送られます。

王妃が小さい頃にお世話になった、保母尚宮の世話をするように言われたのです。

ドラマでは、当然、このとき指示した王妃は第15話に出ていた章敬王后のはずですよね。

 

しかし、第19話で初登場した文定王后はチャングムに小さいときにお世話になった尚宮の話を聞きたいとチャングムを部屋に呼びます。

??????

・・・

第16話のときは、小さいときに尚宮にお世話になった王妃は章敬王后のはず、でも、第19話でお世話になった尚宮の話を聞きたいのは文定王后とは???

 

そして、第49話に文定王后の息子である慶源大君(キョンウォンデグン)、後の王・明宗(ミョンジョン)が遂に登場します。

そして、病弱な世子(仁宗)を誰にも知られずに殺すようにチャングムに依頼します。

こうなると11話のときの王子は仁宗で、その時、そばに居た王妃は文定王后であるはずですね。(史実では亡くなっているはずの章敬王后でした)

また、このときに、看病される世子(仁宗)のそばに王女が1人いますが、年格好から見て、これは先の王妃・章敬王后の娘・孝恵公主(ヒョヘコンジュ)だと思われます。

<史実とドラマの王妃に関する相違点>

イ・ビョンフン監督が強く出演をお願いした文定王后役のパク・ジョンスクさんは、なかなか出演の踏ん切りがつかなかったようです。

更に、本業のアナウンサーの仕事もありスケジュールの都合も難しかったようですね。

そのため、ドラマへの参加も第19話まで無理に延ばしたと言われています。

 

本来、予定では第9話もしくは第11話から文定王后が登場するはずが、都合で第19話からの登場になってしまった。

そして、史実とは異なるが章敬王后が第15話まで出演したというのが真実ではないでしょうか。

そのため、話に辻褄の合わない矛盾が一部できてしまったと考えるのが自然のようです。

 

まとめ

中宗には、3人の王妃がいましたが、一番愛した王妃は最初の端敬王后でした。

たったの7日で廃妃されますが、中宗の愛情の深さはチマ岩伝説として有名ですよね。

再び、2人は再会することはありませんでした。

 

二番目の王妃・章敬王后は2人の子供を生みますが、僅か24歳の若さで亡くなります。

その後、王妃となった文定王后はチャングムでは良い王妃のイメージですが、その悪女ぶりは、多くのドラマで描かれています。

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