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チャングムの3人の王妃|端敬・章敬・文定の史実の実像

チャングムに登場する中宗の王妃は3人です。
・端敬王后(タンギョンワンフ)
・章敬王后(チャンギョンワンフ)
・文定王后 (ムンジョンワンフ)

この記事では、それぞれの王妃の人物層、ドラマでの描かれ方、登場シーンやドラマ上の矛盾点を詳しく解説します。

7日で廃妃された端敬王后

端敬王后と中宗は即位する前から結婚していました。ドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」の第3話の即位式で王妃となります。

しかし、父が燕山君の側近であり、叔母が燕山君の正室という縁故のため、わずか7日で身分を剥奪され廃妃となってしまいます。中宗は深く愛していたものの、彼女を守ることはできませんでした。

詳しくはこちら>>端敬王后の家系図【図解で分かる7日で廃位された理由】

ドラマではセリフもなく、即位式の後に登場することはありませんが、実はオープニングには毎回登場しています。

端敬王后が登場するオープニングの即位式の画像

<オープニングに登場する端敬王后>

端敬王后の称号は英祖の時代に復位の際つけられたもので、実際には王妃であった事実はないとされています。従って、実際には即位式に彼女の姿はなかったと考えられます。

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端敬王后の晩年と逸話

端敬王后と中宗の間に子はいませんでした。廃位後は実家に戻り、静かに生涯を送ったとされます。1557年12月27日、70歳の天寿を全うして亡くなりました。

中宗とのロマンチックな愛は「チマ岩伝説」や「中宗危篤時の端敬王后の訪問」などの逸話として語り継がれていますが、いずれも史実として確認できる記録は残っていません。

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若くして亡くなった章敬王后

1507年、端敬王后の廃妃により章敬王后が新たに王妃となり、1511年に孝恵王女、1515年には世子(のちの仁宗)を出産しました。

しかし、出産からわずか66日後、24歳の若さでこの世を去ります。「中宗実録」には出産にチャングムが立ち会ったと記され、責任を問われながらも中宗の配慮で減刑されています。

ドラマでは登場はごくわずかで、物語の背景的な存在として描かれています。

章敬王后について詳しくはこちら>>章敬王后の家系図で知る【多くの王妃を出した名門・尹氏一族】

文定王后は悪女か?

章敬王后の死後、揀択で王妃に選ばれたのが文定王后で、ドラマ「チャングム」では最も長く登場します。

劇中では、章敬王后の子である世子(のちの仁宗)の毒殺をチャングムに依頼し、自分の息子(のちの明宗)を王位につけようとする野心に満ちた姿が描かれます。

史実の文定王后も強い権力を握り、政治に大きな影響を与えた悪女と呼ばれる人物でした。

文定王后は第15話で初登場しますが、このときは別の俳優が演じていました。第19話からは本来のキャスト、パク・ジョンスクが登場します。スケジュールの都合による一時的な交代だったようです。

文定王后について詳しくはこちら>>文定王后の家系図【チャングム、オクニョで有名な王妃はどんな人】

文定王后役パク・ジョンスクの製作裏話

文定王后役には監督の強い希望で、当時アナウンサーだったパク・ジョンスクが抜擢されました。演技経験がほとんどなく、簡単な台詞でも何度も撮り直しになったといいます。旧知のイ・ヨンエが撮影中、そんな彼女を温かく支え、励ましていたそうです。

王妃の登場シーンと史実との矛盾

ここでは、3人の王妃のドラマ内での登場回と史実上の時間軸の違いを整理します。

端敬王后の登場シーン

端敬王后は第3話の中宗の即位式のシーンで登場します。セリフはなく、遠目のシーンのため顔もよく分かりません。しかし、即位式のシーンはオープニングで使用されたため、端敬王后の姿は毎回放映されていました。

章敬王后の登場シーン

イ・ヨンジンが演じた章敬王后は第6話、第9話、第11話、第15話に断続的に登場しています。第6話の娘を心配する場面、第9話の女官試験の場面、第11話の息子の病の場面、第15話の料理味見の場面などです。

文定王后の登場シーン

文定王后は第19話から本格的に登場しています。以後チャングムとの関係性が深まり、物語終盤まで重要な役割を果たします。

章敬王后と文定王后の登場の矛盾

実は、章敬王后と文定王后の登場には史実とは異なる矛盾があります。

ドラマでは章敬王后が第15話まで登場する一方で、史実上は章敬王后は1515年の出産後に亡くなっており、その後の場面(第6話、第11話、第15話、第16話)に同一人物が登場するのは時間的に矛盾しています。

史実とドラマの王妃に関する相違点を表した図<史実とドラマの王妃に関する相違点>

こうした矛盾は、第6話からパク・ジョンスク演じる文定王后が登場していればほぼ解消されます。

実は、パク・ジョンスクは本業のアナウンサーの仕事でスケジュール調整ができず、ドラマへの参加を第19話まで無理に延ばしたと言われています。そのため、史実との整合性を一部犠牲にする結果になったと考えられます。

まとめ

端敬王后は中宗の最初の王妃で即位直後に廃妃となり、ドラマでは控えめで登場シーンも少ない存在です。章敬王后は中宗に深く寵愛され、世継ぎの仁宗を産むも産後まもなく24歳で亡くなりました。文定王后はその後の王妃で、史実では強い権力を握り政治に影響を及ぼした「悪女」として知られ、チャングムを助けた記録はありません。

中宗から見れば、端敬王后は政治の犠牲となった短命の王妃、章敬王后は最も深く愛した女性、文定王后は野心を胸に秘めた王妃でした。史実とドラマの違いを意識して視聴すると、物語をより深く楽しめます。

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