朝鮮王朝の王妃で、実際に写真が確認できるのは純貞孝皇后のみです。
この記事では、残された王妃の写真を中心に、最古の写真や明成皇后(閔妃)の真偽をめぐる議論について詳しく解説します。
現存する王妃の写真
朝鮮王朝時代の王妃で確実に写真が実在する人物は純宗の二番目の王妃・純貞孝皇后のみです。
これは、写真の技術が韓国に伝わったのは19世紀中頃の高宗の時代(在位1863~1907年)
だからと考えられます。
1883年にはキム・ヨンウォンが韓国に初の写真スタジオを開業。翌年には写真家のフェリーチェ・ベアトが韓国を訪問しましたが、このときの写真は確認されていません。
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王妃として確認できる最古の写真は、1909年に撮影された純貞孝皇后の写真です。

<純貞孝皇后が映る最古の写真>
純貞孝皇后は朝鮮王朝最後の王・純宗の妃で、1966年に73歳で亡くなりました。晩年までに複数の写真が残されています。

<晩年の純貞孝皇后の写真>
【PR】スポンサーリンク純貞孝皇后と家族の写真
純貞孝皇后の写真としては、高宗や義親王の家族とともに撮影された写真があります。これは、義親王の息子の李ソク氏が所蔵していたものです。

<高宗と家族の写真>
右から3番目が純貞孝皇后、その隣は義親王の妃・金妃です。純宗と高宗の間にいる幼い子は徳恵翁主で、高宗が60歳で授かった娘です。
徳恵翁主が一人で映る写真も現存しています。

<徳恵翁主の写真>
論争が続く明成皇后(閔妃)の写真
朝鮮王朝で今だに論争が続いているのが、明成皇后(閔妃)の写真です。 生前、暗殺を恐れて自らの写真を撮らせなかったとされ、真偽が確定されていません。もし、明成皇后と証明されれば、朝鮮王朝で最古の王妃の写真と言えます。

<明成皇后とされる写真>
閔氏の写真に関する専門家の見解
佛教大学文学部の三谷憲正名誉教授は、「閔妃」試論(2003年)の中で、宮廷の女官の正装した姿を撮影した可能性が高いと推測しています。
試論の中で非常に注目すべき事が記されています。
この写真は決して明成皇后の写真ではない。その理由は第一に、アソダーウッド女史やハルバート博士が一様にこれを王妃の写真であると言っていなかったという事実である。アソダーウッド女史はこの写真を指し「正装した貴夫人」だとし、ハルバート博士は「正装した宮女」だと説明した。高宗に近く仕えた顧問と皇后の御典医がちがうという、これよりさらに明白な証言はない。
(引用元:東亜日報:2001年7月7日 韓国建国大学のシソポンニョン氏)
皇后付きの侍医のアソダーウッド女史と高宗の顧問であったハルバート博士がともに、自分たちの著書の中で問題の写真を「正装の韓国夫人」「正装の宮中の女」と記述していたということです。
新たに発見された写真
2006年に義理の父親と同じ背景で写る女性の写真が発見され、明成皇后ではないかと論争が起こりました。しかし、論争は真っ二つに別れ、解決に至ることはできませんでした。

<興宣大院君と同じ背景の写真>
まとめ
写真の技術が朝鮮に導入されたのは高宗の時代で、王妃の写真と確認できる最古のものは純貞孝皇后の写真でした。一方、明成皇后の写真とされるものについては議論が続いており、真偽は未だ確定されていません。
写真は歴史を後世に伝える貴重な遺産であり、新たな写真の発見と真偽の研究が進められることが期待されます。