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トンイのイヌォン王妃はクム(英祖)を育てた王妃

トンイに登場するイヌォン王妃(仁元王后)は実在した王妃で、クム(英祖)を育ての親であることは事実です。

英祖が最後まで母親として敬意を表していたイヌォン王妃についてご紹介します。

 

クム(英祖)を育てたイヌォン王妃(仁元王后)

<トンイに登場するイヌォン王妃>

イヌォン王妃はまさに、第21代国王・英祖を育てた王妃でした。

張禧嬪の件を後悔した粛宗は、側室から正室への昇格を禁止して、イヌォン王妃を新しい王妃に迎えます。

 

史実のイヌォン王妃はこのとき15歳でしたが、生涯子供を生むことはありませんでした。

代わりに、淑嬪崔氏の息子・延礽君を養子にして、延礽君を反対派の少論派から守りました。

 

イヌォン王妃は粛宗が亡くなってからも宮廷では大妃として影響力を持ち続けます。

英祖は王になってからもイヌォン王妃に受けた恩を忘れずに、最後まで親孝行をしたといいます。

イヌォン王妃は何と当時では驚きの70歳まで長生きしています。

<豆知識>
王妃(ワンビ)と王后(ワンフ)
王妃は王様の正式な夫人(正室)のことです。王后は王妃が亡くなってから追贈される称号です。だから、生きている間はイヌォン王妃なんですね。また、王様が先に亡くなると、王妃は大妃になります。

 

ドラマ「トンイ」では、延礽君の即位のシーンにイヌォン王妃が出てこないのは残念ですが、生涯、英祖を支援したようです。

その姿は「ヘチ 王座への道」で見ることができます。

史実の仁元王后については>>仁元王后の家系図【延礽君(英祖)を救った王妃とは】を御覧ください。

 

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新しい王妃のイヌォン王妃とはどんな女性?

イヌォン王妃は、揀択(カンテク)により粛宗の正室に選ばれました。

揀択とは正式なお姫様選びのことです。

もちろん、両班の出身です。

<イヌォン王妃のプロフィール>
出生:1687年11月3日
死去:1757年5月13日
父親:金柱臣(キム・ジュシン)
母親 :嘉林府夫人

イヌォン王妃の父親である金柱臣は、当初少論派の重臣(世子支援)でしたが、後に老論派(延礽君支援)に転向したといいます。

1702年に王妃として入廷したときには、まだ15歳でした。

このとき、世子14歳、延礽君8歳で、義理の息子・世子とはほぼ同じ年です。

 

また、淑嬪崔氏は32歳、イヌォン王妃が自らの意思でドラマのようにトンイに対抗したとは思えません。

ましてや、王妃になりたくてなったのではないでしょう。

恐らく、父親の意思、党派の意思が強く働いていたと思われます。

 

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ヘチ王座への道でのイヌォン王妃

ドラマ「ヘチ王座への道」でのイヌォン王妃は粛宗の亡き後、大妃として絶対的な影響力を持っていました。

<ヘチ王座への道でのイヌォン大妃>

そのイヌォン大妃は、イ・グム(ヨニングン)の王としての素質に気づき、時にはイ・グムの盾となりイ・グムが王になるのを助けます。

 

史実のイヌォン王妃もヨニングンの良き理解者であり、支援者であったようです。

イヌォン王妃は1720年に粛宗が亡くなると、延礽君を少論派から守り、世子が景宗として即位すると、延礽君を王世弟にすることを支援します。

 

子供ができないイヌォン王妃にとって延礽君を守ることが、自分が大妃として権力を保つ唯一の道だったのかもしれません。

事実、イヌォン王妃はクムを養子として迎えます。

 

景宗が若くして亡くなり、延礽君が英祖として即位しますから、イヌォン王妃の判断は正しかったといえます。

 

何故、トンイは王妃になれなかったのか?

イニョン王妃(仁顕王后)が亡くなったあと、粛宗は側室を王妃にしないことを決めて、イヌォン王妃を新たな王妃に迎えました。

淑嬪崔が次期王妃の候補として最有力と思われていただけに誰もがびっくりしたようです。

考えられる理由は

・淑嬪崔の身分が低すぎて王妃にはできない
・淑嬪崔が拒否した
・粛宗の信頼、愛情が薄れてしまった
・淑嬪崔の悪女説

 

淑嬪崔の身分が低いというだけの理由は、もともと粛宗が身分の低い淑嬪崔を側室の最上位まで昇格させたこと。

女官の張禧嬪を王妃にしたことなど、既存の制度にとらわれない人であることを考えると考え難いですね。

 

また、淑嬪崔が拒否したという理由はとってもドラマ的ですが、史実におけるその後の粛宗の対応を見るとこれも考え難いです。

 

トンイ・ファンには信じたくないでしょうが、私は粛宗のトンイへの愛情が薄れてしまったと考えるのが最も妥当ではないかと思います。

その理由は、粛宗が亡くなるときには淑嬪崔ではなく、別の側室・榠嬪 朴氏(ミョンビンパクシ)とその子供・延齢君(ヨルリョングン)を溺愛していたこと。

淑嬪崔の後に、4人の側室を迎えたこと。

もうすでに、淑嬪崔への愛情が薄れていなのでは。。。と思わざるを得ません。

 

また、史実の淑嬪崔はドラマ「トンイ」の淑嬪崔とは違って、実に野心的で策略家であったとも言われています。

「イニョン王妃(仁顕王后)の死は張禧嬪の呪いが原因」と粛宗に密告したのも淑嬪崔のようです。

 

そんな淑嬪崔に粛宗は警戒心を抱いてきたのかもしれません。

トンイ悪女説ですね。

 

今となっては誰も真実を知ることはできません。

ただ、トンイ・ファンにとっては、国の今後を考えて、自ら王妃の座を拒んだと考えるのがスッキリしますね。

トンイが王妃になる可能性については>>トンイが王妃になる可能性はあったのか?【史実から徹底検証】で詳しく検証しています。

興味のある方は御覧ください。

 

また、実際、淑嬪崔(トンイ)とイヌォン王妃は仲が良かったといいます。

その事実は、英祖がイヌォン王妃を大切にしたことからも間違いないでしょう。

 

トンイでイヌォン王妃を演じたオ・ヨンソさんについてもご紹介しますね。

イヌォン王妃を演じたオ・ヨンソ

オ・ヨンソさんのプロフィール

生年月日:1987年06月22日
(2025年02月05日現在、37歳)
出生地:韓国・慶尚南道 晋州市
身長:170cm
血液型:O型
学 歴:東国大学演劇映像学科
配偶者:未婚

オ・ヨンソさんは2002年、15歳のときに、ガールズグループ・LUV(ラブ)でデビューしています。

このガールズグループはすぐに解散してしまいますが、オ・ヨンソさんは女優として活動を始めます。

 

でも、オ・ヨンソさんが注目されるのは2012年のドラマ「棚ぼたのあなた」以降で、実は長い下積み時代を送っています。

オーディションも100回以上受けたとか。

でも、2014年にドラマ「私はチャンボリ」が大ヒットして、国民的な大女優となります。

 

日本では、2015年の「輝くか、狂うか」のシンユル役、2017年の「猟奇的な彼女」のヘミョン王女役が時代劇としてはよく知られています。

オ・ヨンソさんがドラマ「トンイ」に出ていることは以外と知られていないんですよ。

 

ドラマ「トンイ」でオ・ヨンソさんが登場するのは60回の長編のなかで終わりの6回のみです。

しかし、最大の山場である最後の大逆転劇で重要なキーパーソンを演じることになります。

 

オ・ヨンソさんもイヌォン王妃がチャン・ムヨルを捕らえることを最後まで悟られないように演じることがとても難しかったと言います。

このシーンは韓国でも大反響を呼びました。

私も何度見てもこの場面は胸がスカッとるするシーンです。

 

イ・ビョンフン監督はオ・ヨンソさんに「イヌォン王妃の強さと賢さを表現して欲しい」と言われたそうですが、その役目は十分に達成できたと思います。

近状はインスタで>>オ・ヨンソさんのインスタはこちら

 

まとめ

イヌォン王妃が実在した王妃でクムの育ての親であることは史実です。

また、粛宗や淑嬪崔氏を亡くしたクムを養子として少論派から守り、世子が景宗として即位すると、クム(延礽君)を王世弟にすることを支援しました。

クムは王になっても、このご恩を忘れることはなく、イヌォン王妃を生涯、大事にしたといいます。

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