トンイに登場するチャンヒジェ(張希載)は粛宗実録にたびたび登場する実在した人物です。
この記事では、史実における彼の経歴や最期、家族関係、ドラマ「トンイ」との違や演じた俳優について詳しく解説します。
チャンヒジェ(張希載)は実在した人物
チャンヒビンの兄・チャンヒジェ(張希載)は実録に登場する実在した人物です。
ドラマ「トンイ」ではチャンヒビンを後ろ盾に昇進していきますが、史実のチャンヒジェも人々が驚き警戒するほどの出世をしています。実録には次のように記録されています。
希載發跡市廛, 藉力椒房, 與閔黯輩。 結爲心腹, 超遷至將任, 人莫不側目
<粛宗実録:粛宗18年(1692年)3月6日 >
※椒房:後宮=張禧嬪の権勢、閔黯:南人派の重臣
史実によると、チャンヒジェは南人派の重臣らと徒党を組み、政治的陰謀を巡らせていったことが記録されています。
【PR】スポンサーリンク史実で見るチャンヒジェ(張希載)の歩み
チャンヒジェ(張希載)は武科に合格し、武官として出仕しましたが、従六品と低い地位からの出発でした。
しかし、妹のチャンヒビン(張禧嬪)が粛宗の寵愛を受け王妃に昇格すると、その恩恵で急速に出世します。兵曹参判(従三品)、兵曹判書(正二品)へと昇進し、短期間で高位官職に就きました。
ところが、仁顕王后が復位し、チャンヒビンが再び嬪に降格すると立場は一変します。チャンヒジェは済州島に流配され、やがて1701年に妹が毒殺の罪で死罪となると、粛宗の命により彼自身も処刑されています。
このように、チャンヒジェの運命は常に妹・チャンヒビンの盛衰に依存していました。
【PR】スポンサーリンクチャンヒジェ(張希載)のお墓
チャンヒジェ(張希載)は高陽市山東区中山洞に一族と一緒に埋葬されています。
2002年に、高陽市文化財専門委員とKBS歴史スペシャルチームによってチャンヒジェのお墓が確認されました。なお、妹のチャンヒビン(張禧嬪)のお墓は1969年に粛宗と仁顕王后の眠る西五陵に移されています。
チャンヒジェ(張希載)の家族
チャンヒジェ(張希載)の父親の身分は両班と賤民の間の中人(チュンイン)で通訳官でした。ドラマでもシムウンテクが清国の役人相手にまともに通訳ができないとき、自分の家が代々、訳官であること暴露しています。
関係 | 名前 | 生年-没年 | 備考 |
父 | 張炯 | 1623-1669 | 玉山府院君と追贈 |
母 | 坡平尹氏 | 1626-1698 | 父の後妻 |
妻 | 金氏 | 不詳 | 子供3人 |
妹 | 張禧嬪 | 1659-1701 | 粛宗の側室 |
ドラマにも出てくる母・ユンシは後妻で賤民の出身です。ドラマの中でチャンヒビンはトンイに自分は賤民の出身と語っています。
史実では正式に後妻として入っているので、母・ユンシ(尹氏)は免賤されていたと考えられます。
ドラマ「トンイ」と史実の違い
「トンイ」では、チャンヒジェ(張希載)は権力欲に駆られた悪役として描かれ、トンイの大きな敵として登場します。
史実でも妹・張禧嬪の権勢を盾に裏で悪の政略を巡らしたことは事実ですが、ドラマのように直接、トンイ(淑嬪崔氏)と対立した記録はありません。ドラマにおけるトンイとチャンヒジェの駆け引きと対立は史実にはない誇張要素で完全な創作です。
トンイでチャンヒジェを演じた俳優
チャンヒジェ(張希載)を演じた俳優は独特の演技が特徴の個性派キム・ユソクです。
彼は高校時代に観た芝居に感動し俳優を志望。東国大学卒業後ロシアに留学し演劇を学びました。そのときに、妻とも出会っています。
現在は俳優として活動する傍ら、母校や成均館大学で後進の指導にあたっています。
生年月日:1966年09月22日
(2025年09月13日現在、58歳)
生年月日が8月8日の表記も見られますが、旧暦(陰暦)での表現です。
身長:183cm
学歴:東国大学演劇映画科、ロシア留学
デビュー:映画「カンウォンドの恋」
キム・ユソクはこれまで数多くの時代劇に出演しています。「トンイ」での悪役演技が特に注目され、日本でも一躍知られる存在となりました。
・王の女(2003年)
・トンイ(2010年)
・階伯(2011年)
・大王の夢(2012年)
まとめ
トンイに登場するチャンヒビン(張禧嬪)の兄チャンヒジェ(張希載)は実在した人物です。
ドラマ「トンイ」ではトンイと対立する悪役として描かれましたが、ドラマのようにトンイと直接敵対した記録はありません。
しかし、史実のチャンヒジェは妹の権勢を盾に高官に昇進、南人派と結託して裏で策略を巡らした人物であったことは間違いありません。