韓国時代劇を見ていると必ず出てくるのが、両班や奴婢といった言葉です。
時代劇ドラマを見るのに必要な朝鮮王朝の身分制度について易しくご紹介します。
賎民と奴婢の違い
奴婢(ノビ)は誰かの所有物であり、物と同じく売り買いの対象とされた人の呼び名です。
「奴」は男性の奴隷を「婢」は女性の奴隷を意味しています。
一方、賎民(チヨニン)は身分を表している名称です。
朝鮮建国時には、法的な規定で、人々は「良」と「賤」の2つの身分に分けられました。
この身分制度は「良賤制」と呼ばれ、「良」の身分に属する人を良民(ヤンイン)、「賤」の身分に属する人を賎民(チョニン)と称していました。
賎民の多くは奴婢でした。
奴婢以外にも賤民の身分に分類されたのが、時代劇にも多く登場する妓生、大道芸人、白丁などでした。
<良賤制による身分制度>
身分は世襲的に受け継がれました。
つまり、生まれたときに身分は区別され、王族に生まれた子供は王族であり、奴婢に生まれた子供は一生奴婢ということです。
朝鮮王朝時代の身分制度
やがて、良民は3つの身分に区別され、賎民と合わせて4つの身分に大別されていきます。
士族、中人、常人、賎民です。
身分制度の頂点が士族で、士族は経済的に裕福な地主や官僚などの支配層でした。(王族は別格)
しかし、士族はやがて官僚の総称を意味する両班(ヤンバン)と称されるようになり、4つの階層の身分に分類されていきました。
<朝鮮時代の一般的な身分制度>
実はこうした身分の区分は法的な規定から分類されたものではありません。
経済的な力、官僚としての権力、慣習などが人々を区別していったと考えられます。
賎民の多くは奴婢でしたが、特定の職業集団である僧侶、妓生(キーセン)、大道芸人、白丁(ペクチョン)などが賎民に区分されました。
また、通訳などの専門技術を有する官僚を中人、農業や商工業に従事する人を常人と区別していました。
<身分と属する主な職業>
身分 | 属する職業 | |
良民 | 両班 | 文官、武官、地方の裕福な豪族など |
中人 | 医員、通訳官、画員、庶子など | |
常民 | 農民、商人など | |
賤民 | 賤民 | 奴婢、僧侶、妓生、大道芸人、巫女、白丁まど |
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賤民(チヨニン)とは
身分制度の最下位層に位置するのが賤民で、その代表が奴婢でした。
国が保有する奴婢を公奴婢(または官奴婢)、個人が保有する奴婢を私奴婢と言いました。
しかし、普段の生活は常民と同じ生活を送っている奴婢もたくさんいました。
官奴婢
宮殿や役所で仕えている奴婢です。
代表的な官奴婢は医女や茶母、官妓です。
ドラマの中では、この官奴婢から出世する人や官奴婢での活躍を描くドラマが多くあります。
ドラマに多く登場する茶母
茶母(タモ)は女性の奴婢の雑用係です。
最初はお茶くみの仕事をしていましたが、後に各部署における女性にしかできない、または男性がやるほどでもない雑用の専門職となりました。
茶母は、単純な作業ではないので、奴婢から頭の良い女性を選んでいました。
そのため、茶母が男性にはできない仕事をしたり、男性の仕事を補佐するようになったといいます。
ドラマには多くの茶母が登場しています。
チェオクの剣ではチャン・チェオクが左捕盗庁の茶母、オクニョは典獄署(チョノクソ)の茶母、イ・サンのソンヨンは図画署(トファソ)の茶母、ヘチに登場するヨジは司憲府の茶母でした。
チャングムで有名な医女
チャングムが流刑の地から戻ってきたときは医女でした。
医女は奴婢から優秀な女性が選抜され、時には妓生(薬房妓生)として駆り出されることもありました。
チャングムにも妓生として駆り出される場面がでてきます。
現代から想像する女性の医師と比較して、医女の身分は驚くほど低かったのです。
私奴婢(サノビ)
多くは大地主や両班が所有している奴婢です。
官奴婢に比較して私奴婢の数は圧倒的に多く、大地主のもとで農作業やその他の雑務に従事していました。
ドラマには両班に仕える奴婢が多く登場しています。
奴婢以外の賤民
職業的に卑しいものが奴婢以外の賤民とされました。
・僧侶
・妓生(キーセン)
・大道芸人
・白丁(ペクチョン)
・巫女
意外に身分が低かった僧侶
儒教の朱子学(しゅしがく)が重んじられた朝鮮では、宮廷における仏教儀礼の廃止などの厳しい仏教の弾圧が行われました。
従って、崇儒排仏政策をとっていた朝鮮王朝の時代には、僧侶も奴婢として扱われました。
しかし、徳の高い僧侶などは人々の尊敬を集め、王室から重用される場合もありました。
ファン・ジニで有名な妓生
妓生(キーセン)は諸外国からの使者や高官の歓待、両班を相手をする奴婢の身分の女性でした。
妓生には、国が所有する官妓と個人が所有する妓生がいましたが、多くの妓生は官妓でした。
ドラマの妓生は綺麗な衣服や豪華な装飾品を身につけていますが、仕事として妓生はこうした衣服や装飾を許されていました。
また、上流階級を相手にするため、学問、音楽、詩などの教養を身につける必要がありました。
ドラマによく登場する大道芸人
定住の地を持たずに各地方を回って大道芸をみせる旅芸人のことです。
ドラマにちょこ、ちょこっと、よく登場しますね。
大道芸は民衆からは数少ない娯楽として親しまれていました。
奴婢よりも低い身分の白丁
白丁(ペクチョン)とは、主に牛などの家畜を屠殺・解体して販売していた人たちで、奴婢よりも低い存在として扱われました。
「職業的に賤しい人」としてひどく蔑視されたのです。
住む場所は制限され、移動の自由もありませんでした。
外を歩く時は、腰をかがめて早足で歩くことを強いられるなど。酷い差別を受けたと言われています。
ドラマ「済衆院」は白丁から医者になった実在した人物(ファン・ジョン)を扱った物語です。
ドラマによく登場する巫女
巫女とは、神に仕えて、祈祷や神おろしをする人のことです。
ドラマでは女性が多く、巫女と訳されていますが、韓国の漢字では巫堂(ムダン)と表記されます。
巫女は、「トンイ」、「オクニョ」、「太陽を抱く月」など多くのドラマに登場し、重要な役割を演じています。
何かを行う際の吉日を占ったり、宮中の祭祀をおこなったり、時には誰かに呪いをかけたりしています。
王に神のお告げを伝えることもある巫女ですが、身分は意外と低かったのです。
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両班(ヤンバン)とは
両班は時代劇の中でも、特に優雅で金持ち、そして、偉そうに威張り腐った人物が多いです。
こらは、両班の身分が身分制度のトップに位置する高い身分だからです。
一般に時代劇では両班(ヤンバン)と呼ばれています。
もともとは、両班は文臣(文班)と武臣(武班)の両方の科拳試験に合格した一代限りの文武官僚でした。
文臣とは政治を行う官僚、武臣とは軍事を行う官僚です。
科拳は良人なら受けることができましたが、実際には経済的な余裕のある士族の身分に限られていました。
後に、科拳合格者が四代以内にある者は両班として身分が保障され、四代続けて官職に就任できないと常民に転落する制度が設けらました。
しかし、高官の子弟の中には科拳を受けずに官職に就いたり、官職をお金で買うものがでてきました。
こうして、本当は科拳に合格したものが両班ですが、両班の嫡子は自動的に両班の身分を継承していきました。
また、地方で広大な農地や奴婢を所有した特権階級の人たちも両班と呼ばれるようになりました。
次第に、同一氏族が固定化して両班階層を形成していきました。
両班の特権
両班には多くの特権が与えられました。
例えば、土地や禄俸(給料)の受給、軍役の免除、税の免除、刑の減刑など、更に、常民が道であったときには馬や籠から降り、歩いているときは道を譲るなど特別に扱われました。
両班は貴族階級の特別な存在になっていったのです。
両班の異常な増加
特権があり、誰からも一目置かれる両班階級がお金で売買されるようになると、商売でお金持ちになった常民が両班の身分を買い漁っていきました。
その結果、両班の数が急激に増加していきました。
韓国全体の比率を調査したものはありませんが、大邱地方を対象に調査した身分上の人口変動資料からある程度推定できます。
年代 | 国王 | 両班 | 中人・常民 | 賎民(奴婢) |
1690 | 粛宗 | 9.2 | 53.7 | 37.1 |
1729 | 英祖 | 18.7 | 54.7 | 26.6 |
1783 | 正祖 | 37.5 | 57.5 | 5.0 |
1858 | 哲宗 | 70.3 | 28.2 | 1.5 |
<邊太燮「韓国史痛論」より(単位:%)>
朝鮮王朝の末期、哲宗の時代には驚くことに両班の数値が7割にも達しています。
また、奴婢の比率が大幅に減少していることも分かります。
差別された庶子
たとえ両班の家系でも、妾の子は庶子と呼ばれて、嫡子(正妻の子)とは差別されていました。
具体的には、庶子は文臣になるための科挙(文科)を受けることができません。
受験できたのは武臣になるための武科や技術官になるための雑科のみです。
また、庶子は自分の父親をアボジ(お父さん)ではなくナーリ(旦那様)と呼ばなくてはならないなど大きな差別を受けました。
韓国時代劇にも庶子であるために自分の身分を嘆く場面が多く出てきます。
ドラマ「イ・サン」の25話には「両班の正室の子でない庶子は官職にもつけない」と嘆く場面が出てきます。
ホジュン
ホンギルドン
オクニョのユン・テウォン
チェオクの剣のファンボ
中人(チュイン)とは
通訳、医学、法律、天文、数学、書画などの雑学といわれる実用的な専門技術を有し、多くの人が中央官庁に従事する技術職官史でした。
ドラマでも「医員」、「通訳」、「画員」などがよく登場しています。
漢城の中央部に多く移住していたため、中人と呼ばれました。
狭義においては中央の技術職官吏を指しますが、広義においては中央と地方の下級官吏や庶子を含める場合がありました。
中人は両班の下位層として扱われましたが、朝鮮中期以後は世の中の要求により次第に実務者として影響力を増していきました。
医官や通訳官などは親の仕事を受け継ぐことも多かったといいます。
チャン・ヒビンの家は代々、通訳に従事していました。
常人(サンミン)とは
両班や中人の下で農業、商業、工業を行う平民です。
納税と軍役の義務があり、国民の半数を占め、国家財政の基盤を担っていました。
王様が「民」という場合には、この常人を示しています。
科拳を受験する資格はありましたが、常人のほとんどが農民で生活は厳しく、常に厳しい税に苦しんでいました。
一方、商人のように社会的に重要な存在となっていった人たちもいました。
行商として始まった商人は、次第に組織化され商人組織として大きな経済力を持つようになります。
そして、身分は常人ですが、両班以上の権力を手にする人も表れました。
王族
王族は身分制度の最上位に位置する朝鮮王朝を開いた太祖(李成桂)の血を引続ぐ子孫による家系です。
李成桂の名字は「李(イ)」です。
だから、王様の名字はみんな「李(イ)」なんです。
例えば、正祖の本名はイ・サン(李祘)、太宗の本名はイ・バンウォン(李芳遠)ですね。
日本で言えば、徳川家康が徳川幕府を開きますが、将軍はみんな徳川の姓です。
「徳川」が韓国の朝鮮王朝では「李」に相当します。