史実で、善徳女王とピダムは結婚したのでしょうか?
この疑問に答えるためにピダムについて詳しく調べてみました。
すると、
史実のピダムは実に謎の多い人物でした。
史実で善徳女王とピダムは結婚したのか
史実で、善徳女王とピダムが結婚した記録はありません。
二人の婚姻と恋愛関係はドラマ「善徳女王」でのフィクションです。
では、善徳女王は独身だったのか?
「花郎世紀」によれば、善徳女王は三婿制により3人の男性と結婚していました。
もちろん、ピダムは含まれていません。
では、誰と?
詳しくは>>善徳女王の夫はピダムではない!【夫が3人?謎多き女王の真実】
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史実のピダム
ピダム(毗曇)は、権威ある歴史書の「三国史記」に登場する実在した人物です。
ピダムが実在したことは間違いありません。
しかし、ピダムの両親、生年月日、業績に関することなど、ピダム自身に関する記録は全く残っていません。
ピダムは実に謎多き人物です。
ピダムはミシルの子ではない
ドラマ「善徳女王」ではピダムはミシルの子でしたが、これはドラマのフィクションです。
実際にはミシルの子ではありません。
ピダムの出生の記録はありませんが、ミシルが生んだ子供の記録にピダムの名は記載されていません。
ミシルが生んだ子供についてはこちら
>>善徳女王の実在したミシルは想像を絶する男性関係だった!
歴史書に登場するピダム
ピダムは「三国史記」に新羅の政治を決める和白会議の上大等として登場します。
上大等とは議長の地位でとっても偉かったのですね。
しかし、上大等でありながら反乱を起こした逆臣として記載されています。
ピダムの乱です。
ピダムに関する記述は、この程度でピダムの出生についても両親や家族についても全く記述がありません。
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ピダムの最後
ピダムはドラマでは善徳女王への愛を告白したあと金庾信の刀で刺されて死にますが、これはもちろんドラマのフィクションです。
ピダムの乱
647年の正月にピダムは「女主不能善理(女性君主は国を治めることができない)」を唱えて反旗を翻しました。
この反乱はピダムの乱と呼ばれています。
ピダムの乱はわずか10日で金庾信(キム・ユシン)に鎮圧されてしまいます。
そして、
ピダムは処刑されてしまいます。
善徳女王を目の前にしてピダムが息絶えるのはドラマのフィクションです。
ピダムの乱が起こった翌日に、善徳女王は亡くなっているからです。
実は、ピダムの乱が起こった要因には別の説もあります。
それは、善徳女王の病気が悪化して危篤になったため、金庾信(キム・ユシン)が次の王として、真徳女王を擁立しようとした。
これに対して、和白会議の議長であるピダムは「女主不能善理」を唱えて反対し、反乱を起こした。
「女主不能善理」つまり、「女性君主は国を治めることができない」
ピダムは「女主不能善理」を次の女王に対して言ったのです。
つまり、ピダムの乱は、次の女王擁立に反対して起こったという説です。
なお、善徳女王の病については、
636年3月の三国史記に善徳女王の病が医術も祈祷も効果がなかったと記録されています。
善徳女王は長いこと病に苦しんでいたのは事実のようです。
ピダムを演じた俳優
ピダムを演じた俳優はキム・ナムギルで、善徳女王のピダム役で大ブレイクしました。
生年月日:1980年3月13日
(2025年02月07日現在、44歳)
出生地:韓国ソウル特別市
身長:184cm
血液型:AB型
学歴:明知大学校演劇映画科
趣味:水上スキー、ゴルフ
特技:フルート、テコンドー、タップダンス
1999年にKBSで放送された学園ドラマ「学校」で俳優デビューしています。
まとめ
ドラマでは善徳女王と婚姻したピダムですが、史実では善徳女王とピダムは結婚していません。
恋愛関係にあったこともドラマのフィクションでした。
むしろ、ピダムと善徳女王は敵対する関係にあったようです。
歴史的な記録に乏しいピダムなので、ドラマの中では大いに想像を発揮されたキャラクターだったのでしょう。