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善徳女王のミシルは実在した?その驚きの男性関係を解説

善徳女王でコ・ヒョンジョンが演じて一躍脚光を浴びたミシルです。

彼女は実在したのか?その男性関係は?

ミシルの実態に迫ります。

善徳女王のミシルは実在したのか?

ミシルは実在した可能性が高い人物と考えます。

彼女は「花郎世紀」にのみ登場する女性で、「三国史記」や「三国遺事」には登場していません。

また、発見された経緯から「花郎世紀」は偽書であるとする学者も多く、真偽については、決定的な証拠はなく、現在に於いても未だ決着がついていません。

 

花郎世紀の信憑性とミシルの実在性

「花郎世紀」は、筆写本しか現存しておらず創作の疑惑がありますが、新羅王族の複雑な血縁関係を矛盾なく記述している点で、信憑性が高いと考えられます。

この点については、吉田愛氏の論文「花郎世紀の基礎的研究」にも言及されています。

西江大総長のイ・ジョンウクはインタビューの中で、「花郎世紀」は後代のためでなく、貴族らが身分を証明するために血統を明らかにした本であり、したがって事実に忠実な可能性が大きい説明しています。

さらに、「善徳女王の真実」の著者キム・ヨンヒも、考古学や民俗学、中国や韓国の正史との比較から「花郎世紀」の内容を支持しています。

 

また、「花郎世紀」が存在していたことは、「三国史記」に引用されている記述からも明らかです。以下はその一例です。

故金大問「花郞世記」曰:「賢佐忠臣,從此而秀,良將勇卒,由是而生。」<引用元:三国史記新羅本紀 真輿王三十七年条>

<訳>それゆえ、金大問の「花郞世記」には「ー(途中略)ー」と記述されている
<豆知識>三国史記
三国史記は現存する韓国最古の歴史書で国宝に指定されています。高麗時代に金富軾が中心となり、まとめた正式な歴史書です。公式の歴史記録は基本的にこの「三国史記」の記述を主としています。

このように、「花郎世紀」の信憑性や存在を裏付ける根拠が複数あるため、同書に登場するミシルが実在した可能性も高いと結論付けられます。

 

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ミシルの驚きの男性関係

「花郎世紀」に登場するミシル(美室)の男性関係は驚くべきものがありました。

ミシルの正式な夫は世宗で、世宗の父親は新羅の将軍の異斯夫(イサブ)、母親は法興王の娘の只召太后です。

しかし、夫以外に関係した男性は、何と!国王を含めて7人にも及びました。

ミシルの関係した男たち

<ミシルが関係した男たちの相関図>

彼女の男性関係は夫の同母兄弟である真興王を初めとして、その息子の真智王と銅輪太子さらにその孫の真平王に及んでいます。

真平王は善徳女王の父親にあたります。

また、斯多含はミシルが初めて愛した男性で、ミシルが宮殿を追放されたときに知り合い、結婚を誓いあった二人でした。

<関係した男たちとその子供の一覧>

関係 名前 備考
世宗
 長男 夏宗 第11代風月主
 次男 玉宗
情夫 斯多含 子女なし
情夫 薛原
 長男 宝宗 第16代風月主、娘の宝羅宮主は金春秋の最初の妻
情夫 真興王
 長男 壽宗殿君
 長女 般若公主
 次女 蘭若公主 真平王の側室
情夫 銅輪太子
 長女 艾松公主
情夫 真智王 子女なし
情夫 真平王
 長女 宝華公主
情夫 美生 子女なし

風月主とは、花郎のトップである首領のことです。

 

新羅社会とミシルの男性関係

古代朝鮮史の第一人者である末松保和教授は「新羅中古王代考」で、新羅の歴史を理解するには女性の血統を理解することは必須であると指摘しています。

このことから、他の王朝とは明らかに違い、新羅の女性の社会的地位は非常に高かったと推測されます。

ミシルの男性関係の多さの背景には、新羅の独特な社会構造があったのです。

 

また、当時の新羅では、王族同士または貴族同士の近親婚により、少数の一族が特異な存在として存続し権力を維持していました。

婚姻は権力を強化するための政治的手段であり、女性自身が婚姻を活用することも例外ではありませんでした。

ミシルは自身の美貌を武器に、婚姻を利用して権力を王族や花郎の中に浸透させていったと考えられます。

 

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謎の多いミシルの最後

ミシルが亡くなった年月は不明です。

金庾信(キム・ユシン)が第15代風月主だった612年から息子の宝宗(ポジョン)が第16代風月主を辞める621年の間に亡くなったと言われています。

ドラマでは自ら毒を飲んで命を絶っていますが、あれはドラマのフィクションです。

 

ミシルの死因

ミシルの死に関する記録は全く無いため死因は不明です。

しかし、当時、ミシルの年齢は70歳を過ぎていたと思われるので、病死または老衰だったと推定されます。

 

ミシルのお墓

ミシルの存在は、今だに真偽が議論されている花郎世紀で確認されるのみです。

従って、ミシルの墓の存在も確認されていません。

更に、ミシルについて詳しく知りたい方は>>美室(ミシル)の家系図【絶世の美貌で王の上に君臨した女傑】をご覧ください。

 

史実ではミシルと徳曼との対決はなかった

ミシルは545年から549年間に生まれたと推定されています。

徳曼が女王に即位した632年には、ミシルは既に亡くなっているか、生きていても80歳を超えていたことになります。

従って、史実ではドラマのような徳曼とミシルの対決はありませんでした。

 

また、ドラマのミシルは王になることを夢見ていましたが、史実のミシルには王になる野望はなく、多くの権力者と関係を持ったのは一族の繁栄のためでした。

ドラマではピダムはミシルの息子でしたが、これもドラマの創作です。

 

ミシルを現代に蘇らせらコ・ヒョンジョンの演技

美しい外観に圧倒的なカリスマ性でもう一人の主役と言われたミシルを演じたのはコ・ヒョンジョンでした。

彼女の表情と狂気じみた演技は、視聴者にミシル=コ・ヒョンジョンのイメージを植え付けました。

特に、顔の左と右、口、目、眉がすべて別々に動いて複雑な心理を見せる繊細な演技は、ミシルの伝説が現代に蘇ったと思わせるほど魅力的でした。

 

コ・ヒョンジョンのプロフィール

コ・ヒョンジョンは1989年に準ミスコリアに選ばれて、ニュースキャスターとして芸能界デビューをしました。

彼女は新世界デパートの御曹司チョン・ヨンジンと結婚して芸能界を引退し、2人の子供を生んでいます。

 

しかし、2003年に突然、離婚、芸能界に復帰して周囲を驚かせました。

芸能界復帰はしましたが、これといったオファーもなく、暫く苦しい日々が続きましたが、善徳女王で完全復活しました。

<コ・ヒョンジョンのプロフィール>
生年月日:1971年3月2日
(2025年02月05日現在、53歳)
出生地:韓国全羅南道和順郡
身長:172cm
血液型:A型
最終学歴:東国大学校 演劇映画科卒
元夫チョン・ヨンジンとの間に1男1女

 

まとめ

善徳女王で脚光を浴びたミシルは、「花郎世紀」のみ登場する女性で、その実在は未だに議論されています。

しかし、「花郎世紀」の新羅王族の複雑な血縁関係を矛盾なく、後から追加することは非常に難しく、ミシルの実在性は高いと考えます。

 

また、彼女の男性関係は驚くべき内容で、国王を含む多くの人物と深い関わりを持っていました。

ミシルの魅力と影響力は、善徳女王の物語を一層引き立てる要素となっています。

コ・ヒョンジョンの名演技も加わり、ミシルは現代に蘇った「伝説の女性」として、多くの人々の記憶に刻まれたことでしょう。

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