美室に廃位されたと言われる真智王です。
真智王はどんな王だったのか?
家系図から調べてみました。
真智王の家系図
真智王は第24代王・真興王の次男でしたが、兄の銅輪(太子)が既に亡くなっていたため、王位を継ぐことになりました。
真智王の母親は朴英失と玉珍宮主の娘である思道夫人で、孫は第30代王となる武烈王です。
王妃の知道夫人の祖母は第21代王・炤知麻立干の娘であり、王族でした。
<真智王の家系図>
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真智王はどんな王だったのか?
真智王の在位期間は3年間と短く、真智王のプライベートなことはほとんど分かっていません。
「花郎世記」では、美室が真智王を誘惑して王妃の座を狙いましたが、真智王がこれを無視したため、真智王は美室により廃位されたとしています。
美室は父・真興王が寵愛した側室でしたが、その子の真智王や銅輪太子、孫の真平王などを誘惑して、裏で実権を握っていた美貌の悪女でした。
真智王のプロフィール
新羅第25代王
生年:不詳
没年:579年
在位期間:576年-579年
姓:金
諱:舎輪/金輪
父:真興王
母:思道夫人(朴英失の娘)
王妃:知道夫人
真智王の家族
真智王の王妃は起烏公の娘の知道夫人です。
祖母の善兮夫人は第21代王・炤知麻立干の娘で、知道夫人は王族の子孫になります。
真智王と知道夫人には二人の息子・金龍樹(ヨンス)と金龍春(ヨンチュン)がいました。
二人は父親の真智王が亡くなると、真平王に育てられてたと言われています。
金龍樹は天明公主と結婚しますが、亡くなってしまい、亡くなる前に金龍樹は子供を弟の金龍春に託しました。
善徳女王が即位すると、金龍春は正式に天明公主と結婚しています。
金龍春は第13代風月主でした。
王:真智王
王妃:知道夫人(起烏公の娘)
長男:金龍樹(ヨンス)
次男:金龍春(ヨンチュン)
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真智王の生涯
真智王は在位期間の短い王であり、詳しい業績は残っていません。
真智王の誕生
真智王は真興王の次男として生ませています。
576年、真興王が逝去しときに、長男の銅輪太子が既に亡くなっていたため、次男が王位を継承しました。
新羅第25代王・真智王の誕生です。
真智王の最後
「三国史記」によると、真智王は579年7月17日、在位4年目で亡くなり、永敬寺に埋葬されたとしています。
しかし、「三国遺事」では、真智王が荒淫(過度に色事にふけること)で政治が混乱したため廃位したと記述されています。
また、「花郎世記」では、当時、権力者を誘惑して裏で権力を握っていた美室が真智王の廃位を主導したと記録されています。
今となっては真実は分かりませんが、真智王の在任中に政治が混乱していたことは間違いないようです。
まとめ
「花郎世紀」をベースに作られたドラマ「善徳女王」も「真智王が美室に廃位された説」で物語を作り上げました。
また、「大王の夢」でも真智王は廃位された王として扱われています。
真実は定かではありませんが、真智王は業績も少なく、短命に終わった王であることは間違いありません。