本記事では、綾陽君(第16代王・仁祖)の家族に焦点を当て、「家系図」を中心に家族関係から波乱の生涯までを詳しく解説します。
綾陽君(ぬんやんぐん)の家系図
綾陽君(ぬんやんぐん)は第14代国王・宣祖と側室の孫にあたり、王位継承者からは程遠い存在でした。
宣祖の死後、光海君が第15代王として即位しますが、残虐な粛清や政策が反発を招き、1623年に西人派による仁祖反正が起きます。
このクーデターの結果、光海君は廃位され、宣祖の血を引く綾陽君(定遠君の息子)が代わって第16代王・仁祖として即位しました。
<綾陽君の家系図>
光海君は父親の異母兄、綾陽君からすると伯父さんにあたります。
宣祖 第14代王 |
正室/側室 | 子供 | 孫 | 備考 |
正室 | 仁穆王后 | 永昌大君 | 死罪 | |
側室 | 恭嬪金氏 | 臨海君 | 死罪 | |
光海君 | 第15代王 | |||
仁嬪金氏 | 定遠君 | 綾陽君 | 第16代王 | |
綾原君 | ||||
綾昌君 | 謀反の罪で流刑 |
綾陽君の家族構成
綾陽君(ぬんやんぐん)は即位前に結婚した仁烈王后(イニョルワンフ)との間に四人の男の子がいました。
しかし、継妃・荘烈王后(チャンニョルワンフ)との間には子供はできませんでした。
綾陽君の正室/側室とその子供たち
綾陽君(仁祖)は、生涯2人の正室と3人の側室との間に6男1女の子供をもうけました。
第16代国王 仁祖(綾陽君) | ||||
正室 | 仁烈王后 | 4男 | 昭顕世子 | |
鳳林大君 | 第17代王・孝宗 | |||
麟坪大君 | ||||
龍城大君 | ||||
荘烈王后 | 子女なし | |||
側室 | 貴人趙氏 (廃位後賜死) |
2男1女 | 崇善君 | |
楽善君 | ||||
孝明翁主 | ||||
貴人張氏 | ||||
淑儀羅氏 |
注目の家族たち|仁烈王后、昭顕世子、貴人趙氏
綾陽君の家族の内、ドラマにも登場する主要な人物をご紹介します。
最初の正室・仁烈王后
仁烈王后は綾陽君(ぬんやんぐん)が王になる前に結婚、歴史に名を残した昭顕世子、鳳林大君を産んでいます。
綾陽君は、弟の綾昌君が謀反の罪で死罪になり、不遇な境遇になりますが、内助の功で誠心誠意、夫を助けたと言われています。
彼女はドラマ「華政」に描かれているように、王妃になった後も、女官たちへの気配りを怠らず、気品ある王妃として振る舞いましたが、不幸にも高齢出産で命を落としています。
悲劇の子供・昭顕世子
仁祖の降伏により人質になった昭顕世子は大変な苦労をしますが、清の政治、文化、経済を知り、その素晴らしさに心酔します。
清が朝鮮の手本になると思った世子は、8年後に帰国すると熱心に清の素晴らしさを仁祖に説明して大ヒンシュクをかいます。
土下座までさせられた清は仁祖の恨みと怒りの天敵だったのです。
その二ヶ月後、昭顕世子は33歳で不審な急死をしています。
詳しくは>>昭顕世子(ソヒョンセジャ)の家系図【不可解な死因の悲劇の世子】
最悪の側室・ 貴人趙氏
綾陽君(ぬんやんぐん)の側室・貴人趙氏(ペクイン チョシ)は酷い悪女として知られています。
自分の息子を王位に就けるために、清より帰国した昭顕世子を毒殺、更には昭顕世子の妻の姜氏に仁祖殺害の濡れ衣を着せたのも、貴人趙氏の陰謀と考えられています。
仁祖の寵愛を良いことに、やりたい放題だったのです。
詳しくは>>仁祖の家系図【朝鮮最悪の屈辱と疑心暗鬼の生涯】 で紹介しています。
綾陽君の恨みと仁祖反正
光海君は義弟の永昌大君と実兄の臨海君を死罪にすると、更に、綾陽君の弟・綾昌君を謀反の罪で流刑にしてしまいました。
王の器と言われた綾昌君は光海君にとって脅威だったのです。
綾昌君は流刑地で自決、父の定遠君もショックのあまり亡くなってしまいます。
度重なる家族の悲劇、これが、クーデター(仁祖反正)に綾陽君が参加を決意した理由と言われています。
綾陽君の王・仁祖としての歩み
クーデターによって王になった綾陽君でしたが、即位してからの生涯は苦難の連続でした。
後金(清)に侵略された苦難の時代
綾陽君が仁祖として即位してから、後金に2度、侵略(丁卯胡乱、丙子の乱)を受けましたが、丁卯胡乱のとき、清に完全降伏、朝鮮は清の従属国になりました。
仁祖は三田渡で三跪九叩頭の礼(土下座)を行い、ホンタイジに許しを請う、生涯忘れぬ屈辱を味わいます。
勝利したホンタイジは50万の朝鮮人捕虜と王子達を人質にして満州に帰還、これ以降、朝鮮は大きな負担を背負うことになりました。
貴人趙氏を寵愛する
清に屈辱を味わった仁祖(綾陽君)は側室の貴人趙氏を寵愛し始めます。
1637年、貴人趙氏は孝明翁主を生むと、1639年に、崇善君(李澂)、1641年に楽善君(李潚)を生んでいます。
1638年12月2日、荘烈王后を王妃に迎えていますが、仁祖(綾陽君)から寵愛を受けることはありませんでした。
仁祖の貴人趙氏への偏った寵愛は朝廷の混乱を招いていきます。
昭顕世子の突然の死
1645年2月、清に人質となっていた昭顕世子が解放され、帰国しました。
しかし、帰国から2ヶ月後の4月26日、昭顕世子が突然亡くなります。
貴人趙氏の陰謀説の噂も流れましたが、真相は不明のままでした。
昭顕世子が亡くなり、鳳林大君が慌てて清から帰国、世子となっています。
仁祖(綾陽君)の最後
1649年6月17日、仁祖(綾陽君)が亡くなりました。
仁祖(綾陽君)は坡州の長陵(チャンヌン)に最初の妃であった仁烈王后と一緒に埋葬されました。
しかし、火災が頻発したり、蛇やさそりが石物の隙間に巣を作っていたため、好ましくない場所として、1731年に現在の位置に移されています。
綾陽君(ぬんやんぐん)のドラマ
仁祖は王としての功績はほとんどありませんが、話題性のある生涯から扱ったドラマは多数あります。
注目のドラマをいくつかご紹介します。
・華政(2015年、キム・ジェウォン)
・ノクドゥ伝(2019年、カン・テオ)
・恋人(2023年、キム・ジョンテ)
( )内の名前は綾陽君(仁祖)を演じた俳優の名前です。
「ノクドゥ伝」では、カン・テオが次第に豹変する綾陽君を演じて話題になりました。
最新作「恋人」では、猜疑心の強い仁祖がリアルの描かれています。
まとめ
綾陽君(ぬんやんぐん)は、王位継承とは程遠い存在でしたが、光海君を倒すクーデターに担ぎ出されて王位に付きました。
王になった後は、清の2度の侵攻、屈辱の土下座、息子・昭顕世子の急死など波乱に満ちた生涯を送りました。
このドラマチックな人生とお決まりの悪女は、ドラマの素材としては打って付けの王様だったようで、後世に多くのドラマが作られています。