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端懿王后の家系図【名門に生まれながら王妃になれなかった世子嬪】

名門氏族の出身だった端懿王后

彼女は王妃になる前に亡くなっています。

端懿王后とはどんな王妃だったのか?

家系図から詳しく調べてみました。

 

端懿王后の家系図

青松沈氏は沈洪孚(シム・ホンブ)を始祖とする朝鮮では名門中の名門氏族です。

朝鮮王朝時代に10人もの領議政を輩出するなど、多くの政府高官を輩出した氏族でもあります。

<端懿王后の家系図>

沈克明をはじめ、山水人物画の名人・沈延冑、その子で花草・動物・山水画の名人・沈師正などもこの氏族の出身です。

 

また、青松沈氏は3人の王妃を輩出した氏族でもあります。

<青松沈氏出身の王妃>
・昭憲王后(第4代王・世宗)
・仁順王后(第13代王・明宗)
・端懿王后(第20代王・景宗)

 <青松沈氏一族の3人の王妃>

 

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端懿王后はどんな王妃だったのか?

端懿王后は幼い頃から聡明で、人徳を備えていました。

11歳で世子嬪になってからも幼いながら、大王大妃と病弱な世子によく尽くしたと言われています。

 

端懿王后のプロフィール

端懿王后(タニワンフ )
生年:1686年5月21日
没年:1718年2月7日
享年:33歳
夫:景宗
氏族:青松沈氏
父親:青恩府院君 沈浩(シムホ)
母親:霊原府夫人 高霊朴氏
陸墓: 恵陵(単陵)

 

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端懿王后の家族

関係 名前 生年-没年 備考
沈浩 1668-1704 青恩府院君
霊原府夫人 不詳 高霊朴氏、朴鑌の娘
沈維賢 不詳
養弟 沈駿賢 不詳 沈義謙の弟
景宗 1688-1724 第20代国王
子女なし

 

端懿王后の生涯

1686年、沈浩の娘として漢城府好賢坊(現在のソウル特別市)に生まれました。

1696年4月に、揀択により世子嬪に選ばれて入宮します。

 

1701年には痛風を患い、内医院の治療を受けています。

1718年、世子嬪は33歳で亡くなり、粛宗により端懿嬪と追尊されました。

 

世子(景宗)との間には子供は生まれませんでした。

1720年、粛宗が逝去。景宗が第20代王として即位すると、端懿王后に追尊されています。

墓も世子嬪の墓から王后の墓に昇格され、陸号も恵陵と称されました。

 

まとめ

端懿王后は多くの高官や王妃を輩出した名門氏族・青松沈氏の出身でした。

世子嬪に選ばれますが、王妃になる前に亡くなってしまいます。

聡明で人徳がある女性でしたが、若くして亡くなり、特に目立ったエピソードもありませんでした。

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