ドラマ「七日の王妃」のユン・ミョンヘのモデルは、実在した中宗の2番目の王妃・章敬王后です。
この記事では、章敬王后の実在性、朴元宗の関係、人物像について史実をもとに詳しく解説します。
ミョンヘは実在した章敬王后がモデル
章敬王后が王妃に冊封されたことは、中宗実録(1507年)に次のように記されています。
上御勤政殿, 行中宮冊封禮。 ・・・ 【王妃卽尹汝弼女, 而汝弼乃朴元宗妹夫也。】
<中宗実録:中宗2年8月4日条>
この実録から、章敬王后の伯父が朴元宗であることが分かります。ドラマの中で、ミョンヘが朴元宗を伯父と呼んでいることから、ミョンヘのモデルは章敬王后であると考えられます。

当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した家系図
<章敬王后と朴元宗の関係>
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ドラマで使われた「ミョンヘ」という名前は、章敬王后の諡号(しごう)「淑慎明恵宣昭懿淑章敬王后」から「明恵(ミョンヘ)」の部分を採ったものです。
諡号(しごう)とは亡くなってから贈られる称号で日本で言う戒名に近いものです。
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章敬王后の具体的な言動や性格を伝える一次史料は残っていません。
「中宗実録(中宗10年(1515)3月7日条)」では、諡号「章敬」を「温かく柔和で礼儀正しい(章)、慎み深く勤勉である(敬)」と説明しています。
しかし、諡号は徳目を讃える理念的な称号であり、個別の事績に基づく性格を示すものではありません。したがって、これを章敬王后の”実際の性格”と断定することはできません。
プロフィール
諡号:淑慎明恵宣昭懿淑章敬王后
生年:1491年7月6日
没年:1515年3月2日(享年25歳)
埋葬:禧陵
子女:孝恵公主、仁宗(第12代王)
父親:尹汝弼
母親:順天府夫人朴氏
章敬王后の生涯
章敬王后は7歳の時に母親を亡くし、朴元宗の姉・昇平府夫人朴氏(月山大君の妻)に引き取られて育てられました。
1506年、朴元宗らが中宗反正を起こして、燕山君を廃位、中宗を即位させると、章敬王后の人生は激変します。彼女は中宗が即位した直後、朴元宗らの推挙によって側室として入宮。端敬王后が廃位されると、正式に王妃へと昇格したのです。
しかし、1515年、章敬王后は李峼(イ・ホ)を産むと、2ヶ月後に25歳の若さで亡くなっています。息子の李峼は後の第12代国王・仁宗となりました。
実録には、亡くなったことのみ記され死因は記録されていません。
是日三更五點, 中宮尹氏昇遐
<中宗実録:中宗10年3月2日条>
詳しくはこちら>>章敬王后の家系図【史実で知る名門・坡平尹氏の王妃】
ユン・ミョンヘを演じたコ・ボギョル
七日の王妃でユン・ミョンヘを演じたのはコ・ボギョルです。彼女は2011年に映画「亀たち」でデビューした女優で、ソウル芸術大学演技科に首席入学したことでも知られています。
本名:コ・ウリ
生年月日:1988年5月2日
(2025年12月03日現在、37歳)
学歴:ソウル芸術大学演技科
コ・ボギョルのインスタ>>こちら
まとめ
七日の王妃に登場するミョンヘは、史実に存在した章敬王后をモデルとした人物です。ドラマでは恋愛要素が中心に描かれますが、史実の章敬王后は政治的状況の中で王妃となった実在の女性でした。
ただし、若くして亡くなったため史料が極めて少なく、ミョンヘの人物像や性格設定は、ほぼすべてがドラマによる創作と考えられます。