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韓国時代劇ドラマは嘘だらけ【チャングム、トンイ、イ・サンの嘘】

結論は韓国時代劇ドラマは嘘だらけです。

でも、少ない史実から人間の知恵で作り上げたドラマは至極の創造物語です。

だから面白!!

あの大ヒットドラマと史実の違いを徹底に調査しました。

ありえない衣装についてはこちら
>>カラフルな衣装は嘘

 

ほとんが創作の「宮廷女官チャングムの誓い」

あの大ヒットドラマのチャングムがほとんど創作であることは有名ですね。

 

チャングムの史実とドラマとの違い

実は、チャングム(長今)は「朝鮮王朝実録」という歴史を記録した実録書にたったの10箇所にしかでてきません。

しかも、ドラマでは王様の主治医になっていますが、実録では主治医になった記録はありません。

「予の証しは、女医之を知る」つまり、「余の病は女医チャングムが知っている」という記録から、脚本家が主治医になったと解釈しました。

 

また、ドラマの前半の料理の物語は完全なフィクションです。

これは、先に放映された「ホジュン」に医女が登場するのでダブることを嫌って料理人にしたためです。

当時、韓国の医学は漢方薬が主流ですから、食材と薬は共通するものがあり、食材の知識が医学にも役立つと思われました。

 

イ・ビョンフン監督はドラマの中で韓国の文化を伝えることも一つの役目と考えています。

宮廷料理を伝えたかったのでしょう。

当時、時代劇に料理を扱ったものがなかったこともチャングムを料理人にした理由のようです。

 

チャングムと言えば、料理対決を思い出しますが、実はこの料理対決は日本マンガの「寿司王」からヒントを得たと、後に脚本家のキム・ヨンヒョンが語っています。

日本の料理の漫画の多くが対決方式で、これは面白いと思ったそうです。

料理対決のストーリーは日本からの逆輸入だったんですね。

 

実在しない宮廷料理の嘘

チャングムには多くの宮廷料理が登場しますが、当時なかった料理も登場しています。

それは、料理対決の最終決戦でチャングムが皇后と皇太后に出した石焼きビビンバです。

 

当時のビビンバに相当する混ぜご飯は骨董飯(コルトンバ)と呼ばれて、白いお皿に盛り付けられていました。

ましてや、石鍋で出すなんて無礼だったんです。

石焼ビビンバが韓国で一般的に食べられるようになったのは、最近なんです。

 

また、唐辛子が韓国に伝わったのは16世紀のなので、チャングムの時代には唐辛子は存在していませんでした。

チャングムの料理では赤いキムチではなく、水キムチが使われていました。

従って、中宗以前の時代劇で赤いキムチの料理が出てきたときは、それは嘘の料理と言うことになります。

 

医女シンピ、ウンビ、チャンドクは実在する登場人物

ドラマに登場する実在する人物を調べてみました。

中宗(チュンジョン):第11代王
貞顕(チョンヒョン)王后:中宗の母
文定(ムンジョン)王后:中宗の3番目の妃
燕山君(ヨンサングン):第10代王
廃妃ユン氏:燕山君の母
チャンドク: チャングムの医術の師
シンビ:チャングムの同僚医女
ウンビ:チャングムの先輩医女

チャングムには多くの人物が登場しますが、登場人物のほとんどが創作であることが分かりますね。

面白いことに、ハン・ジミンが演じたチャングムの医女時代の同僚であるシンピと医女のウンビは実在した人物です。

シンビはチャングムと大妃(貞顕王后・中宗の母)を治療して褒美をもらった記録が「朝鮮王朝実録」の中にあります。

また、「朝鮮王朝実録」には医女との記載はありませんが、ウンビの名前もでてきます。

ドラマでのウンビはチャングムの先輩医女でした。

 

そして、実はチャンドクも「朝鮮王朝実録」に医女として登場します。

済州島にチャンドクという有名な医女がいて、中宗の父である成宗が済州島の地方長官に宛てた手紙の中にでてきます。(1488年(成宗19年)9月28日の記録)

 

虫歯の治療に優れた医女だったようですが、すでにそのときには亡くなっていたようです。

済州島にいた医術に優れた医女ということから、この医女がチャングムの医術の師であるチャンドクのモデルであると思われます。

第36話でシッカリと歯の治療をしていましたね。

 

チャングムの物語を、たったの10箇所の史実から、これだけの時代劇に作り上げたとは、本当に人間の創造力には驚かされます。

朝鮮王朝実録における10箇所の記載については「チャングムは実在していた!でも、料理人は100%架空の物語」に詳しく記載しています。

 

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実話では目立たなかった「トンイ」

日本でも大人気の時代劇ドラマの「トンイ」も人間の創造力が生み出したドラマです。

 

トンイの史実とドラマとの違い

史実のトンイの小さい頃はよく分かっていませんが、賤民の出身で7歳で入宮します。

第19代王・粛宗(スクチョン)の王妃である仁顕王后(イニョンワンフ)のムスリ(雑用係)になります。

ムスリは水くみなどの肉体労働をする雑用係です。

<豆知識>
ムスリは宮中で品階(身分のレベルを表す位)を持たない、まさに女官以下の身分です。当時は、意外にも医女も品階を持たない低い身分でした。

 

但し、現在では針房(チムバン)に所属する女官という説が有力のようです。

ドラマでは宮廷の儀式などで音楽の演奏を担当する部署・掌楽院(チャンアグォン)の奴婢となっています。

これは、イ・ビョンフン監督が朝鮮の伝統音楽を現代に伝えたかったからです。

 

庶民の記録は両班でもない限り、まず残っていることはありません。

従って、トンイも王様の寵愛を受けて、承恩尚宮(スンウォンサングン)になる前の記録は全くありません。

だから、承恩尚宮になる前のストーリーはイ・ビョンフン監督と脚本家による創造の物語です。

 

承恩尚宮以降に関しては、多少、事の順番は違いますが、史実をベースに脚本されています。

トンイが側室になってからの仁顕王后の廃妃、張禧嬪(チャン ヒビン)との勢力争い、張禧嬪の呪詛(じゅそ)の罪による死罪などは事実です。

更に詳しい真実は>>トンイは実話か創作か?【驚き!史実はドラマより奇なり】

 

後半のキーマン・仁元王妃は実在する登場人物

ドラマに登場する実在する人物は次のとおりです。

同伊(トンイ)
:淑嬪崔氏(スクピンチェシ)
肅宗(スクチョン)
:第19代王
英祖(ヨンジョ)
:トンイの息子、第21代王
張禧嬪(チャン ヒビン)
:肅宗の3番目の王妃、景宗の母
景宗(キョンジョン)
:張禧嬪の息子、第20代王
仁顕王后(イニョンワンフ)
:肅宗の2番目の王妃
仁元王后(インウォンワンフ)
:粛宗の4番目の王妃
張希載(チャン・ヒジェ)
:張禧嬪の兄

仁元王后(インウォンワンフ)は、仁顕王后が亡くなってから王妃として宮廷に入ります。

ドラマでも後半に出てきて重要な役割を果たす王妃です。

史実では、仁元王后は14歳で王妃になりましたが、子供はできませんでした。

そのかわりにトンイの息子のヨニングンを大変可愛がったといいます。

このあたりは、史実とドラマが一致していますね。

 

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イ・サンの側室・ソンヨンは図画署で働いていなかった

イ・サンの側室となったソンヨンが図画署(トファソ)で働いていたのは嘘です。

 

イ・サンの史実とドラマの違い

ソンヨンはイ・サンに一番寵愛を受けた側室ですが、図画署で働いていたのはドラマの創作です。

史実のソンヨンは側室・和嬪尹氏(ファビン ユンシ)の女官をしていたと言われています。

 

ドラマではイ・サンの母・恵慶宮洪氏(ヘキョングン ホンシ)はソンヨンの側室が気に入りませんでした。

そこで、和嬪尹氏(ファビン ユンシ)をイ・サンの側室とします。

イ・サンは和嬪尹氏を側室として相手にしませんでしたね。

 

また、ドラマでは側室になった順番はソンヨンが先ですが、史実では和嬪尹氏(ファビン ユンシ)が先に側室になっています。

ソンヨンは、和嬪尹氏(ファビン ユンシ)の女官でしたが、女官のときに正祖の長男を産んで側室になります。

 

正祖の4人の側室の真実

正祖(イ・サン)の側室は4人いました。

・元嬪洪氏(ウォンビンホンシ)
・和嬪尹氏(ファビン ユンシ)
・宜嬪成氏(ウィビン ソンシ)
・綏嬪朴氏(スビンパクシ)

この4人の側室について、史実とドラマの違いを調べてみました。

 

政略の側室・元嬪洪氏

元嬪洪氏(ウォンビンホンシ)はドラマでは成人していますが、史実では13歳で側室になります。

洪国栄(ホン・グギョン)の妹であることから政略的に側室にされたと思われます。

しかし、側室になってわずか1年、14歳の若さで急死します。

 

ドラマでは想像妊娠の嘘がバレて、雨の中で土下座し続けてことで倒れますが、史実には想像妊娠の事実はありません。

 

正祖の母が推した側室・和嬪尹氏

和嬪尹氏(ファビン ユンシ)はドラマでは正祖の母親の計らいで側室になりますが、公式の記録はほとんどありません。

史実でも女の子を産みますが、すぐに亡くなったようです。

ドラマではソンヨンと同じ日に女の子を生みますが、これは嘘、ドラマの創作です。

 

正祖が寵愛した側室・宜嬪成氏

宜嬪成氏(ウィビン ソンシ)はドラマのソンヨンのモデルになった側室で、正祖が一番愛した側室と言われています。

正祖の長男・文孝世子を出産して、麻疹(はしか)でなくしたことは事実です。

2人目の娘も1歳でなくし、3人目の子供の出産前に急死しています。

 

王を生んだ側室・綏嬪朴氏

綏嬪朴氏(スビンパクシ)は正祖の後を付いだ第23代王・純祖の母親です。

ドラマでは、息子の純祖は幼い王として登場しますが、綏嬪朴氏は登場していません。

 

史実では正祖の正妃・孝懿王后 金氏(ヒョウィワンフ キムシ)と側室の和嬪尹氏(ファビン ユンシ)には子供ができませんでした。

そこで、綏嬪朴氏が揀擇(カンテク)で側室に選ばれます。

綏嬪朴氏は韓国の歴史で唯一、生きているときに息子が王になるのを見ることができた側室です。

 

イ・サンの右腕・ホン・グギョンは実在する登場人物

イ・サンに登場する実在した人物は次のとおりです。

正祖(チョンジョ)
:イ・サン、第22代王
宜嬪成氏(ウィビン ソンシ)
:ソン・ソンヨン、正祖の側室
孝懿王后 金氏(ヒョウィワンフ キムシ)
:正祖の正室
恵慶宮 洪氏(ヘキョングン ホンシ)
:正祖の母
思悼世子(サドセジャ)
:正祖の父
英祖(ヨンジョ)
:第21代王
貞純王后 金氏(チョンスンワンフ キムシ)
:英祖の正室
和緩翁主(ファワンオンジュ)
:英祖の側室の娘
洪国栄(ホン・グギョン)
:正祖の右腕
丁若鏞(チョン・ヤギョン)
:実学の巨匠
元嬪洪氏(ウォンビンホンシ)
:正祖の側室、洪国栄の妹
和嬪尹氏(ファビン ユンシ)
:正祖の側室
純祖(スンジョ)
:第23代王

 

正祖の政治を助けた洪国栄(ホン・グギョン)と丁若鏞(チョン・ヤギョン)は実在する人物です。

正祖の右腕であった洪国栄は正祖の物語には欠かせない人物ですね。

正祖を政敵から守り信頼を得て、権力の中枢になりますが、権力欲から失脚していく話はよく知られた事実です。

 

丁若鏞は正祖から信頼されていた実学者です。

正祖が父を偲び作らせた肝入りの水原華城(スウォンファソン)の設計を担当しました。

漢江(ハンガン)に舟を並べて橋を作った話は実話です。

「雲が描いた月明かり」「トキメキ☆成均館スキャンダル」にもアン・ネサンが演じた丁若鏞が登場しています。

 

オクニョは実在しない架空の人物

オクニョは架空の人物だからこそ、周囲は実在の人物でリアリティをもたせています。

イ・ビョンフン監督が初めて実在しない人物を主人公にする物語を撮影しました。

 

監督は常に、時代劇は若い人が歴史を勉強する一助になるとの考えをもっています。

だから、史実に忠実であることをドラマを作る基本的な方針としているんですね。

 

オクニョに登場する実在した人物

そのため、オクニョが生きた生涯は創造の物語ですが、時代背景や物語の舞台は実在した時代や場所を設定しています。

登場する人物にはよく知られている実在する人物を配置することで、物語のリアリティを出しています。

<オクニョに登場する実在する人物>
・明宗(ミョンジョン)
:第13代王
・文定王后(ムンジョンワンフ)
: 明宗の母親
・尹元衡(ユン・ウォニョン)
:文定王后の弟
・鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)
:尹元衡の妻、朝鮮王朝3大悪女の1人
・李之菡(イ・ジハム)
:学者、奇人と言われている

もっと詳しい内容はこちらをご覧下さい
>>オクニョが実在しない架空の人物である理由

 

実在しない架空の主要人物

ドラマ「オクニョ」の中には、実在しないが物語の重要な人物がいます。

ユン・テウォン

ユン・テウォンは架空の人物です。

尹元衡(ユン・ウォニョン)と妓生 (キーセン)の間にできた子供との設定になっています。

史実では、尹元衡は正妻を追い出して、鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)を正妻に据えています。

 

さらに、その時に妾も追い出して妾の子供を殺害したといいます。

ユン・テウォンはそうした背景から創造された人物ではないでしょうか。

 

パク・テス

オクニョの武術の師であるパク・テスも架空の人物です。

文定王后(ムンジョンワンフ)の昔の想い人という大胆な設定になっています。

オクニョを支える人物として物語を展開するのに作り上げられた完全な創作の人ですね。

 

馬医のペク・クァンヒョンは両班の息子ではなかった

馬医のペク・クァンヒョンが、実は両班の息子であったことはドラマの重要なポイントな点ですが、真実ではありません。

 

事実は賤民から独学で王の主治医に

史実ではペク・クァンヒョンは賤民の出身で独学で鍼を学んで馬医(獣医)になっています。

両班の子供として生まれたペク・クァンヒョンが、訳合って賤民の子供と入れ替わったのは物語の創作です。

従って、すり替えられた一方の赤ちゃんであるカン・ジニョンも架空の人物です。

 

馬医から王の主治医になるまでの過程はドラマは大きく脚色されていますが、流れは史実とはほぼ一致しています。

史実では、ペク・クァンヒョンは当時、貴重だった馬に沸騰消毒した鍼で切開手術を行い病巣を根本から除去することに成功します。

これを人間に応用して腫れ物を外科的に治療する方法を確立していきます。

 

この方法は画期的であり、その評判は王宮まで届くことになります。

特例で王宮に呼ばれたペク・クァンヒョンは王や王族の病気を次々と治すていきます。

そして、実績を積んだペク・クァンヒョンは遂に、王の主治医まで上り詰めています。

 

ただ、独学で医術を学んだペク・クァンヒョンは字も書けなかったといいます。

そんな彼がどんどんと出世していくので、周りからの風当たりも強かったようです。

このあたりも、ドラマと同じですね。

 

ペク・クァンヒョンの師匠・サアム道人との関係はフィクション

サアム道人は許浚(ホ・ジュン)や李済馬(イ・ジェマ)と並ぶ朝鮮3大医師の一人で実在した人物です。

唯一、舍巖道人 鍼灸要訣(サアムドイン チムグヨギョル)という著書を残しています。

サアム道人の記録はほとんどなく、いつ生まれ、いつ亡くなったのか、どんな生活をしていたのか全く不明です。

 

従って、ドラマ馬医ではペク・クァンヒョンの師匠という設定ですが、ペク・クァンヒョンがサアム道人の弟子であった事実はありません。

また、サアム道人は鍼治療の第一人者であり、外科的な切開手術は行ってはいませんでした。

こうした点からも、ペク・クァンヒョンとサアム道人を結びつけるのは現実的には難しいですね。

 

外科手術は史実に忠実に再現された

イ・ビョンフン監督は、特にペク・クァンヒョンの手術シーンにはこだわったそうです。

そのため、残された当時の記録を徹底的に調べ、専門家にも医学考証をしてもらいリアリティを追求しています。

でも、輸血や麻酔も十分でない350年以上も前にあんな手術をしたなんて信じられませんよね。

 

しかし、ペク・クァンヒョンがいかに凄い医者であったのかは、粛宗実録の言葉で十分に知ることができます。

「白光炫は煮沸消毒による治療をよく行い、多くの結果を残しているから、この世の神医である」

 

また、近年では韓国の外科手術はペク・クァンヒョンから始まったと、ペク・クァンヒョンを手術の権威と評価しています。

チャングムが終盤で麻酔の実験をしたり、外科的な手術をしますが、これは完全フィクションです。

チャングムの時代はペク・クァンヒョンの時代より100年以上も前ですから。

 

韓国時代劇ドラマのカラフルな衣装は嘘

韓国時代劇に出てくる豪華絢爛な王族の衣装や色鮮やかな宮廷の人の衣装は時代考証から言えば全くの嘘です。

朝鮮王朝の時代でも、あれほどカラフルな衣装ができるほど染色技術は発達していませんでした。

 

では、何故、あのようなカラフルで豪華な衣装を使うようになったのでしょうか?

それは、若者に人気のない韓国時代劇を何とか若者に見てもらおうとする努力の結果だったのです。

詳しくは>>韓国時代劇のありえない衣装【ドラマ・チャングムの衣装は4千万円】

を御覧ください。

 

時代劇は嘘?時代劇ドラマと歴史ドラマの違いを考察

「時代劇は歴史上の出来事を元に創作された娯楽作品」というのが私の理解です。

一方、歴史ドラマとは歴史上の出来事に準拠したドラマと考えています。

 

日本の時代劇と歴史ドラマ(大河ドラマ)

日本で言えば、時代劇は「遠山の金さん」であり、「水戸黄門」ですね。

歴史ドラマはNHKで放送している大河ドラマ「麒麟が来る」や「徳川家康」のことを示しています。

 

遠山の金さんや水戸黄門は過去に実在した人物をモデルにしています。

遠山の金さんのモデルは江戸北町奉行の遠山 景元(とおやま かげもと)です。

彫り物があったとの説から、ドラマの中では桜吹雪を見せて事件を解決していきますが、あの時代に奉行が肩いっぱいの入れ墨を入れていたなど実際には論外ですね。

 

また、水戸黄門のモデル、水戸藩第2代藩主 徳川光圀ですが、隠居後は現在の関東地方の範囲から出た記録はありません。

ちなみに、水戸黄門のお供をした助さん&格さんにもモデルがいます。

いずれも徳川光圀の側近で、助さんは佐々介三郎、格さんは安積覚兵衛とされています。

 

このように日本でも時代劇は史実をもとに大部分が創作された嘘なのです。

でも、誰もこれを「嘘!」とは言わずに楽しんでいますよね。

 

イ・ビョンフン監督が考える時代劇

これに対して、歴史ドラマは最近放映された「麒麟が来る」などのように、史実をもとに新たな解釈を入れて制作されています。

厳密な時代考証を専門家が行っています。

だから、史実と明らかに違うところは、視聴者から非難の声が殺到することになります。

 

韓国時代劇ドラマも全く同じではないでしょうか?

時代劇は見る人が歴史に興味を持つキッカケを与えるもの、伝統や文化を知るものとの位置づけにあると思います。

 

韓国時代劇の巨匠・イ・ビョンフン監督が依存の時代劇の枠を壊して、時代劇を大ヒットさせたことは、先に記述しました。

そのイ・ビョンフン監督が時代劇を作るにあたっての2つの基本的な考えがあります。

・ドラマは面白くなければならない
・ドラマは有益でなければないらい

ドラマが有益とは見る人に良い影響をあたえるもの、ためになるものと言う意味です。

具体的には歴史の史実通りに描くことは難しくても、最低限、若者の歴史勉強の一助になることを心がけているそうです。

「面白くて為になる」この2つが、韓国時代劇を日本でも大ヒットさせた大きな要因ではないかと思います。

 

まとめ

韓国時代劇は歴史ドラマではありません。

歴史上の出来事を元に創作された娯楽作品だと思います。

韓国時代劇ドラマは嘘だらけというよりも、少ない史実から人間が創造力を発揮して作り上げた至極の物語と言えます。

 

ドラマを見ることで、一人でも多くの人が歴史や伝統に興味をもってもらうことが、ドラマを作り上げた監督やスタッフの望むことだと思います。

史実とドラマの違いから歴史に興味を持つのもその一つですね。

韓国だけでなく日本でも大ヒットした韓国時代劇ドラマを見ることは、韓国の歴史や伝統を知るキッカケになることは間違いありません。

そして、何より理屈抜きで面白いですよ!

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