チャングムは本当に実在したのか?
チャングムがいかに医女として歴史に名を残したのか、史実とフィクションの違いを詳しく解説します。
チャングムは本当に実在したのか?
ドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」に出てくるチャングムは中宗の時代に実在した人物でした。
その存在は韓国の正式な歴史史料である朝鮮王朝実録の記録で分かります。
是日醫女長今出言: “去夜三更, 上入睡, 五更, 又暫入睡。 且小便暫通, 大便, 則不通已三日。”云<引用元:中宗実録1544年10月25日抜粋>
チャングムが中宗を側で看病していたことがわかる記録です。
また、翌日の記録には、有名な言葉「予の証しは、女医之を知る。」が記録されています。
これは、余の病状は医女(チャングム)だけが知っていると中宗が言ったとされており、チャングムが中宗から絶対的な信頼を得ていた証拠と言われています。
朝鮮王朝実録に記されたチャングム
朝鮮王朝実録の中宗実録に、初めてチャングムが登場するのは章敬王后のお産に立ち会ったときの記録です。
第12代王・仁宗になる王子の出産でした。
朝鮮王朝実録にチャングムが登場するのは、この話を含めてたったの10箇所です。
しかし、その記録の中には、チャングムは医者としての技術も非常に優れているので、王様の部屋に出入りして病をみていること。
王様の看病の全権がチャングムに与えられたことが記録されており、チャングムが医女としての絶大な地位を確立したことが分かります。
全10箇所についてはこちらで詳しくご紹介しています。>>中宗実録で知るチャングムの実話【10箇所の記録を丁寧に紹介】
<朝鮮王朝実録>
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ドラマと史実の違い
実録にはチャングムが中宗の母親の貞顕王后を看病して褒美をもらうなど、次々と功績を上げていったことが記録されています。
着々と実績を積んだチャングムは王の最後の病床に付き添うほどになりました。
しかし、ドラマ前半の料理シーンはフィクションであり、史実には登場しません。
なぜ料理の話がドラマに挿入されたのかは>>【制作秘話】医女チャングムが何故、料理人になったのか でご紹介しています。
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医女の起源と身分の低さ
医女の始まりは、第3代王・太宗の頃にさかのぼります。
男性医師による診察を拒んだ女性が多く病気で亡くなったため、女性を診察する医女が必要とされました。
しかし、当時は医女になりたがる者がおらず、身分の低い奴婢から選ばれるのが一般的でした。
この低い身分のため、医女はしばしば不当な扱いを受けていました。
特に燕山君の時代には、医女が酒宴に駆り出され妓生のように扱われることもありましたが、こうした状況を改善するために、中宗は医女の酒宴出席を禁止しています。
この背景はドラマでも描かれ、チャングムとシンビが中宗の助けで医女試験に合格する場面に反映されています。
医女の地位向上への影響
史実を読み解くと、医女の地位が奴婢以下であった時代に、王から絶大な信頼を受けて、王の最後を看取ったチャングムがいかに特別な存在であったか分かります。
チャングムの存在が医女の地位向上に大きく影響したことは間違いありません。
また、イ・ビョンフン監督が実録の一文「予の証しは、女医之を知る」から、チャングムが御医になったと判断、ドラマの制作を思い立ったといいます。
そのドラマが世界的な大ヒットとなり、医女の存在を多くの人が知ることになりました。
チャングムが現代に与えた影響は計り知れません。
チャングムの晩年とその後
残念ながら、チャングムの晩年は記録に残っていません。
ドラマでは中宗の計らいで、宮中から脱出させられ、めでたくミン・ジョンホと一緒になり娘までもうけるチャングムです。
医術にも励み、最終話では妊婦に外科手術まで行いますが、これは完全なフィクションです。
中宗の在任期間は1506年~1544年の38年間、チャングムが即位前に会ったときが、6歳ぐらいだったとすると、中宗が亡くなった時には44歳ぐらいであったと推定できます。
最後まで中宗の面倒をみたチャングムですから、特に罰を受けることもなく、幸せに晩年を過ごしたと思いたいですね。
まとめ
ドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」のチャングムは中宗の時代に実在し、朝鮮王朝実録にその存在が記録されています。
彼女は医女として中宗から信頼を受け、王の病床に付き添うまでの功績を残しましたが、料理人であった記録はなく、ドラマの前半はフィクションです。
医女の身分は非常に低かったものの、チャングムはその枠を超えた存在でした。
晩年の詳細は不明ですが、中宗の信頼を受け、幸せな日々を過ごしたと考えられます。