息子の処刑、一族の粛清、長期間の幽閉など、仁穆王后は朝鮮で最も悲劇的な生涯を送った王妃です。
この記事では、仁穆王后の家系図を中心に、その波乱の生涯と後世につながる子孫までを丁寧に解説します。
仁穆王后の家系図
仁穆王后は金暹漢を始祖とする延安金氏一族の出身です。彼女の家系図を以下に示します。

当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した家系図
<仁穆王后の家系図>
光海君が王に即位した時が仁穆王后の悲劇の始まりでした。
まず、父・金悌男が李爾瞻(イ・イチョム)の陰謀により、謀反の罪を着せられて死罪となりました。金悌男の一族は流刑や死罪により滅亡します。
三人の息子も処刑、幼い永昌大君は江華島に流刑、仁穆王后と貞明公主は西宮に幽閉されてしまいました。
この事件は癸丑獄事(チュクオクサ)と呼ばれ、ドラマ「ポッサム」にも描かれています。
詳しくはこちら>>韓国ドラマ「ポッサム」の実話
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仁穆王后は1584年に生まれ、18歳で第14代国王・宣祖の継妃として王宮に入ります。このとき、宣祖は51歳、すでに、多くの息子がいましたが、全て側室の子供でした。
<仁穆王后が入宮した時点の宣祖の息子たち>
母親 | 子供 | 年齢 | 生年-没年 |
恭嬪金氏 | 臨海君 | 31歳 | 1572-1609 |
光海君 | 28歳 | 1575-1641 | |
仁嬪金氏 | 定遠君 | 23歳 | 1580-1619 |
義昌君 | 14歳 | 1589-1645 | |
順嬪金氏 | 順和君 | 23歳 | 1580-1607 |
静嬪閔氏 | 仁城君 | 15歳 | 1588-1628 |
温嬪韓氏 | 興安君 | 5歳 | 1598-1624 |
慶平君 | 3歳 | 1600-1673 |
従って、後に王妃である仁穆王后が生んだ永昌大君は、唯一の嫡子として後継候補と見なされました。
しかし、宣祖の死後、光海君が即位すると情勢が一変。永昌大君の存在が政治的に危険視され、永昌大君は流刑、仁穆王后は15年にわたり幽閉されることになります。
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仁穆王后は父・金悌男(キム・ジェナム)の次女として生まれました。彼女には3人の兄と1人の姉がいましたが、いずれも詳細は不明です。
生年:1584年11月14日
没年:1632年6月28日
在位:1602年7月13日-1608年2月1日
氏族:延安金氏
<仁穆王后の家族構成>
関係 | 名前 | 生年-没年 | 備考 |
父 | 金悌男 | 1562-1613 | 延興府院君 |
母 | 光州盧氏 | 1557-1637 | 光山府夫人 |
長男 | 金琜 | 不明 | |
次男 | 金珪 | 不明 | |
三男 | 金瑄 | 不明 | |
長女 | 不明 | 不明 | 沈挺世の妻 |
次女 | 仁穆王后 | 1584-1632 |
宣祖との間に生まれた子どもたち
宣祖とは33歳の年の差がありましたが、1男2女の子供をもうけています。
しかし、次女は生まれてすぐに亡くなり、弟の永昌大君は9歳で処刑されています。唯一、娘の貞明公主が生き残りました。
関係 | 名前 | 生年-没年 | 備考 |
長女 | 貞明公主 | 1603-1685 | 洪柱元の妻 |
次女 | 不明 | 1604 | 早世 |
長男 | 永昌大君 | 1606-1614 | 殺害される |
娘・貞明公主の子孫が正祖の母
生き残った貞明公主は洪柱元と結婚。7男1女をもうけ、多くの子孫を残しています。
貞明公主の子孫には正祖の生母である恵慶宮洪氏や正祖の側近洪国栄、その妹の元嬪洪氏がいます。
詳しくはこちら>>貞明公主の家系図で知る驚きの事実【多くの有名人が彼女の子孫】
仁穆王后の生涯
宣祖は嫡子の永昌大君を世子することなく亡くなりました。そのため、宣祖の逝去後、朝廷内で激しい後継者争いが起きますが、永昌大君がまだ幼かったため、光海君が第15代国王として即位します。
これが仁穆王后の悲劇の始まりでした。
年 | 年齢 | 出来事 |
1584 | 1 | 金悌男の次女として生まれる |
1600 | 17 | 正室の懿仁王后が亡くなる |
1602 | 18 | 宣祖の継妃として入宮 |
1603 | 19 | 貞明公主を出産する |
1606 | 22 | 永昌大君を出産する |
1608 | 24 | 宣祖が逝去、光海君が即位 |
24 | 永昌大君は流刑、一派が粛清される | |
24 | 仁穆王后と貞明公主は幽閉される | |
1614 | 31 | 永昌大君が流刑地で蒸殺(焚刑) |
31 | 仁穆王后は大妃の地位を剥奪される | |
1623 | 40 | 仁祖反正が起こり、光海君は廃位 |
40 | 李爾瞻と金介屎は処刑される | |
40 | 仁穆王后は解放され、名誉を回復 | |
1632 | 49 | 享年49歳で逝去 |
波乱万丈の生涯を送った仁穆王后は、現在、東九陵の穆陵(モクルン)に宣祖、懿仁王后とともに静かに眠っています。
仁穆王后が登場するドラマ
激動の時代を生きた仁穆王后は光海君とともに、多くのドラマに登場しています。
・ホジュン 宮廷医官への道
(1999年、ホン・ウニ)
・王の女(2003年、ホン・スヒョン)
・王の顔(2014年、コ・ウォニ)
・華政(2015年、シン・ウンジョン)
・ポッサム〜愛と運命を盗んだ男〜
(2021年、ユン・ヨンミン)
まとめ
嫡子のいない宣祖に若くして嫁いだ仁穆王后にとって、王子を生んだことが悲劇の始まりでした。
息子の処刑、一族の粛清、さらに15年間の幽閉生活と苦難の連続でした。しかし彼女の血統は、貞明公主を通じて後の恵慶宮、正祖、洪国栄へとつながります。
仁穆王后は、朝鮮王朝最大の「悲劇の王妃」であり、「王統再興の希望をつなぐ存在」と言えるでしょう。