貞明公主の家系図を見ると、多くの有名人が子孫として彼女の血を引き継いでいます。
どんな有名人が貞明公主の子孫なのか、家系図で詳しくご紹介します。
貞明公主の家系図
<貞明公主の家系図>
第14代国王・宣祖の唯一の嫡女である貞明公主の5代孫は第22代国王の母である恵慶宮です。
従って、第22代国王の正祖から第24代国王の憲宗までは、貞明公主の血を受け継ぐ子孫です。
また、正祖の名参謀であった洪国栄(ホン・グギョン)も貞明公主の子孫になります。
光海君と貞明公主の関係
光海君と貞明公主は父親が同じ宣祖で母親の違う異母兄妹の関係になります。
光海君の母親は側室の恭嬪金氏、貞明公主の母親は2番目の正室の仁穆王后です。
貞明公主は正室の子供、光海君は側室の子供ということで本来であれば貞明公主の方が格が上になります。
しかし、貞明公主や弟の永昌大君が光海君の後から生まれたこと。
既に光海君になっていたことから悲劇が生まれました。
仁祖と貞明公主の関係
仁祖は貞明公主の腹違いの兄・定遠君の息子です。
つまり、仁祖から見ると貞明公主は父親の妹、叔母さんにあたります。
しかし、貞明公主は1603年生まれ、仁祖は1595年生まれなので8歳しか年の差はありません。
貞明公主の子孫
ドラマによく登場する人物で貞明公主の子孫です。
正祖、純祖、憲宗といった国王も貞明公主の子孫なんですね。
洪鳳漢 | 正祖の祖父 |
恵慶宮 | 正祖の母 |
正祖 | 第22代国王 |
純祖 | 第23代国王 |
憲宗 | 第24代国王 |
洪国栄 | 正祖の参謀 |
元嬪 | 洪国栄の妹 |
イ・サンで有名な洪国栄も子孫を辿ると、貞明公主にたどり着くんです。
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貞明公主はどんな人物?
貞明公主はどんな人物だったのか、詳しくご紹介していきます。
貞明公主のプロフィール
生年:1603年5月19日
没年:1685年8月10日
享年:83歳(日本では82歳)
父:第14代国王宣祖
母:仁穆王后
貞明公主は優れた書道家としても有名です。
母親とともに幽閉されたときに、母親の心を癒やすために書道の勉強をして、石峰体(漢文の毛筆書体)と呼ばれる筆法を習得しました。
ドラマ「華政」のロゴに使われた文字は貞明公主の筆跡で、原文は一文字が73cm四方もあるんです。
貞明公主の家族
貞明公主は夫である洪柱元との間に、7男1女の子供をもうけました。
夫婦仲はとっても良かったといいます。
続柄 | 名前 | 生年-没年 | 備考 |
本人 | 貞明公主 | 1603年 – 1685年 | |
夫 | 洪柱元 | 1606年 – 1672年 | 爵号:永安尉 |
長男 | 洪台望 | 1625年 – 没年不詳 | |
次男 | 洪萬容 | 1631年 – 1692年 | 礼曹判書、爵号:貞簡公 |
三男 | 洪萬衡 | 1633年 – 1670年 | 史曹左郞 |
四男 | 洪萬熙 | 1635年 – 1670年 | |
五男 | 洪台亮 | 1637年 – 没年不詳 | |
六男 | 洪台六 | 1641年 – 没年不詳 | |
七男 | 洪萬懐 | 1643年 – 1710年 | |
長女 | 洪台妊 | 1641年 – 没年不詳 |
貞明公主の夫・洪柱元
貞明公主の夫は洪柱元(ホン・ジュウォン)で、朝鮮の名家である豊山洪氏(プンサンホンシ)一族の出身です。
父親は礼曹参判を務めた官僚で洪霙(ホンヨン)です。
ドラマ「華政」では捕盗大将でした。
1623年3月13日にクーデターが起こり光海君が失脚して貞明公主の身分が回復すると、母親の仁穆王后(インモクワンフ)はすぐに、貞明公主の夫選びを始めました。
そのとき、お婿さん候補の一人が洪霙の息子・洪柱元だったといいます。
1623年9月26日に貞明公主21歳は18歳の洪柱元と結婚しました。
結婚すると、仁祖からは広大な屋敷と土地を貰っています。
1672年に夫の洪柱元は貞明公主より先に66歳で亡くなりました。
残念ながら、ドラマ「華政」での貞明公主と洪柱元の出会いやエピソードは全てフィクションです。
貞明公主の兄弟
貞明公主には早世の妹と弟の永昌大君がいました。
光海君が即位すると、王位を狙う大義名分となる恐れのある永昌大君は流刑になりました。
そして、流刑地で7歳の若さで殺害されてしまいます。
弟:永昌大君(1608年 – 1614年)
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貞明公主の生涯
第14代国王・宣祖は2人の王妃と9人の側室を持ち、13男11女の子供をもうけました。
正室の王女は貞明公主だけだったので、宣祖から大変溺愛されたといいます。
しかも、宣祖が52歳のときの娘ですから、孫のように可愛くてたまらなかったことが想像できます。
しかし、1608年に宣祖が亡くなると弟の永昌大君はまだ2歳だったことから、光海君が王に即位しました
すると、弟の永昌大君は流刑にされ、後に流刑地で殺害されてしまいます。
そして、母親と貞明公主は光海君が失脚するまでの15年もの間、慶運宮に幽閉されてしまいます。
貞明公主が開放されたのは、クーデター(仁祖反正)により光海君が失脚した1623年でした。
その後、貞明公主は洪柱元(ホン・ジュウォン)と結婚して、7男1女をもうけます。
夫の洪柱元との仲はとっても良かったといいます。
貞明公主は夫よりも長生きをして、なんと6人の王の時代を生き、83歳で死去しています。
史実の貞明公主は日本に来たのか?
ドラマ「華政」では貞明公主は日本に連れてこられますが、これはフィクションです。
史実では、クーデターにより光海君が失脚するまで、母親の仁穆王后(インモクワンフ)とともに慶運宮に幽閉されていました。
貞明公主が登場するドラマ
日本で放映された貞明公主が登場するドラマは「華政(ファジョン)」です。
貞明公主はイ・ヨニが演じています。
脚本はイ・サン、トンイ、馬医の脚本を担当したキム・イヨンです。
製作年:2015年
監督:キム・サンホ、チェ・ジョンギュ
脚本:キム・イヨン
出演:イ・ヨニ、 チャ・スンウォン、キム・ジェウォン
ドラマでは、貞明公主は光海君の家臣に殺害されるところを逃れますが、日本の長崎に連れて行かれます。
そこで、労働者として働きながら、朝鮮に帰る日を待っていました。
貞明公主の日本での一部のシーンは、韓国時代劇としては珍しく実際に日本でロケが行われました。
夫になるホン・ジュワンがファイ(貞明公主)が再会する場面は、東京の撮影所や京都・東映太秦映画村などで撮影されています。
第10話から第12話は日本での撮影が中心です。
また、イダチという商人が登場しますが、演じているのは日本の俳優の大谷亮平です。
大谷亮平は日本よりも先に韓国のCMで人気のでた俳優さんです。
このころは、韓国を拠点に活躍していました。
全く話せなかった韓国語も韓国の大学で勉強して、流暢な韓国語が話せるようになったそうです。
いつも出てくる怪しい日本人とは違って、イライラせず安心して見ていられますね。
まとめ
貞明公主の家系図を調べてみると、子孫には、ドラマでよく見かける有名人の正祖、恵慶宮、洪国栄、純祖などがいました。
王になるはずだった貞明公主の弟の永昌大君は光海君によって流刑となり、殺害されてしまいました。
しかし、貞明公主の血筋は生きのびて、第22代国王の正祖から第24代国王の憲宗は貞明公主の血を受け継ぐ国王になりました。