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綏嬪朴氏の家系図【イ・サン(正祖)の次の王・純祖を生んだ側室】

イ・サン(正祖)の次の王・純祖を生んだ綏嬪朴氏とはどんな女性だったのか。

綏嬪朴氏の家系図から詳しく調べてみました。

 

綏嬪朴氏の家系図

綏嬪朴氏は朴應珠を始祖とする潘南朴氏一族の出身です。

朴応珠は高麗末期に現在の全羅南道羅州市潘南面を中心に活躍した豪族でした。

<綏嬪朴氏の家系図>

 

二人の王妃を輩出した名門の家系

本貫の潘南朴氏は朝鮮王朝時代に二人の正室を輩出した名門の氏族です。

一人は第12代国王・仁宗の正室だった仁聖王后、もう一人は第14代王・宣祖の正室だった懿仁王后です。

<王妃を輩出した家系・潘南朴氏>

 

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綏嬪朴氏はどんな王妃だったのか?

温厚でおとなしい性格で質素に生活していました。

義理の祖母の貞純王后、姑の恵慶宮、正室の孝懿王后とは良好な関係でした。

 

プロフィール

綏嬪朴氏(スビンパクシ)
生年:1770年5月8日
没年:1822年12月26日
氏族:潘南朴氏
父親:朴準源
母親:原州元氏
夫:正祖
子供:純祖(第23代国王)
   淑善翁主
お墓:京畿道坡州市徽慶園

 

第23代国王・純祖の生母

宜嬪成氏が亡くなり、正室の孝懿王后に子供ができませんでした。

1787年に心配した貞純大妃は、揀択によって側室選びを行い、選ばれたのが朴準源の娘・綏嬪朴氏でした。

このとき、綏嬪朴氏18歳、イ・サン(正祖)36歳でした。

 

1790年6月18日、綏嬪朴氏は後に第23代国王・純祖となる李玜(イ・ゴン)を生みます。

李玜は1800年に世子になり、同年、イ・サン(正祖)が亡くなると、純祖として即位しました。

 

イ・サン(正祖)から寵愛を受ける

イ・サン(正祖)は、李玜を生んだ若い綏嬪朴氏がよほど可愛かったのでしょう。

綏嬪朴氏をイ・サン(正祖)が生活していた迎春軒(ヨンチュノン)の隣の集福軒(チッポッコン)に住まわせました。

迎春軒は昌慶宮(チャンギョングン)の中にあり、イ・サン(正祖)が書斎兼執務室として利用していた場所です。

 

また、集福軒は父親の思悼世子と息子の純祖が生まれた場所でもあります。

当初、集福軒と迎春軒は別の建物でしたが、純祖時代に一つの建物としての再建されたといいます。

<現在の集福軒と迎春軒>

 

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綏嬪朴氏の家族

綏嬪朴氏は6男3女の末娘として生まれました。

関係 名前 生年-没年 備考
朴準源 1739-1807
原州元氏 1740-1783
 長男 朴宗輔 1760-1807
 次男 朴宗慶 1765-1817
 三男 朴宗翊 不明
 四男 朴宗喜 不明
 長女 不明 不明 申光晦の正室
 次女 不明 不明 李堯憲の正室
 三女 綏嬪朴氏 1770-1822 正祖の側室
継母 不明 不明
 五男 朴宗琰 不明
 六男 朴宗永 不明

 

父親の朴準源

綏嬪朴氏の父親の朴準源は礼儀正しく大変謙虚な性格でした。

幼い頃から読書が好きで、六經と多くの学者の文章を読破したと言われています。

<豆知識>六經とは
儒教の基本的な6つの経典。易経、書経、詩経、春秋、礼記、楽経です。のちに楽経がなくなり、周礼が加えられました。

 

1787年に娘が側室に選ばれると、健元陵參奉を経て司僕寺主簿となりました。

司僕寺とは宮殿の馬を管理する部署です。

更に、1790年に綏嬪朴氏が純祖を生むと、その功績により朴準源は戸曹参議(正三品)に任命されています。

 

1800年に純祖が即位して、貞純王后が垂簾聴政を始めると、朴準源は朝廷の重要な官職を歴任しました。

そして、1805年には工曹判書(正2品)を務めています。

 

綏嬪朴氏の子供

名前 称号 生年-没年 備考
李玜(イ・ゴン) 純祖 1790-1834 第23代国王
不明 淑善翁主 1793-1836 洪顕周の正室

綏嬪朴氏は純祖を出産してから3年後の1793年に淑善翁主を出産しています。

淑善翁主は文臣である洪顕周(ホン・ヒョンジュ)と結婚します。

洪顕周は右議政・洪奭周の弟にあたり、正祖の母親の恵慶宮とは遠縁にあたります。

 

綏嬪朴氏の生涯

1786年に文孝世子とその母親の宜嬪成氏が亡くなり、イ・サン(正祖)には跡継ぎがいませんでした。

そこで、貞純大妃によって、側室に選ばれたのが綏嬪朴氏でした

 

綏嬪朴氏の経歴と出来事

綏嬪朴氏の生涯を一覧に整理しました。

年齢 出来事
1770 1 朴準源と原州元氏の三女として生まれる
1779 10 側室の元嬪洪氏が亡くなる
1786 17 側室の宜嬪成氏が亡くなる
1787 18 貞純大妃によって、綏嬪朴氏が側室に選ばれる
1790 21 純祖を出産する
1793 24 淑善翁主を出産する
1800 31 純祖が世子に封じられる
31 正祖が逝去する
31 純祖が第23代国王に即位する
31 貞純大王大妃が垂簾聴政を始める
1822 53 昌徳宮徽慶堂にて死去

 

まとめ

第23代国王・純祖の生母でありながら、あまり目立たない綏嬪朴氏です。

実際、性格も温厚でおとなしかったといいます。

 

しかし、そこを正祖が気に入ったのか、自分の居所である迎春軒の隣に綏嬪朴氏を住まわせるほどでした。

意外に、イ・サン(正祖)が最も寵愛した女性は綏嬪朴氏だったのかもしれません。

 

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