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ヘチのミンジノンは実在した人物?【粛宗の義理の兄で重臣】

ヘチに登場する重臣のミンジノンは実在した人物でした。

なんと、第19代国王・粛宗の義理の兄です。

ミンジノンはどんな人物なのか?

詳しく調べてみました。

 

ミンジノンは実在した人物

ミンジノンは粛宗の2番目の王妃・仁顕王后の兄です。

つまり、粛宗から見て義理の兄貴になります。

ドラマ「ヘチ」では、ミンジノンは仁顕王后の弟の設定でした。

 

ミンジノンの相関図

ミンジノンは第19代王の粛宗から景宗、英祖と3代の王に仕えた重臣でした。

しかし、仁顕王后の兄で西人(後に老論)派のため、流刑、登用を繰り返す波乱万丈の生涯を送りました。

 

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ミンジノンの家族

ミンジノンは後に朝廷と深い関係を持つ政治家の家庭で育ちました。

<ミンジノンの家族>

父:閔維重
ミン・ユジョン
子供 備考
正室 豊府夫人
(徳水李氏)
子女なし
継室 恩城府夫人
(恩津宋氏)
閔鎭厚
(ミンジヌ)
礼曹判書
閔鎭遠
(ミンジノン)
左議政
仁顕王后 粛宗の王妃
景宗は養子
豊昌府夫人
(豊壌趙氏)
閔鎭永

 

父親の閔維重(ミン・ユジョン)は老論(ノロン)派の最高権力者で、朝廷の戸曹判書の職を努めます。

また、妹の仁顕王后は粛宗の最初の王妃・仁敬王后が亡くなると2番目の王妃として宮廷に入りました。

兄の閔鎭厚(ミンジヌ)も官職に付き、後に老論派の主導者として父親を継いでいます。

まさに、ミンジノンの家族は名門の一族、ミンジノンは名家出身の政治家と言えます。

 

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波乱万丈の人生

ミンジノンは党派の首領の家族のため、その人生も天国と地獄でした。

 

粛宗時代の地獄から天国

1691年、ミンジノンは27歳で科拳に合格します。

しかし、妹の仁顕王后が廃位され西人が追放されたために官職に就くことができませんでした。

このとき、数十人の西人が流刑になりました。

1694年の甲戌換局で仁顕王后が復位すると、ミンジノンも官職に就くことができ、司僕寺や司憲府執義など歴任します。

 

景宗時代の天国から地獄

1720年に粛宗が亡くなり、景宗が即位するとミンジノンは老論派の首領として政治の実権を握ります。

景宗は子供のいない妹・仁顕王后の養子になっていたので、ミンジノンは王の叔父にあたります。

 

また、老論派の主導者だった兄・閔鎮厚(ミンジヌ)も亡くなり、老論の主導者の立場を受け継いでいました。

当時は老論派が朝廷の主流だったのです。

王の義理の兄、老論派の首領、ミンジノンは朝廷で大きな権力を得ます。

56歳のときです。

 

しかし、実は、景宗を支持していたのは少論派で老論派としては延礽君を支持していました。

景宗になったことで、老論派は危機感をいだきます。

 

そこで、景宗に子供が出来ないという理由で、老論派は延礽君を世弟(セジェ)にしようと企てます。

延礽君は拒否したと言われていますが、1721年に老論派の強固な後押しで、遂に延礽君が世弟(セジェ)となります。

このあたり、自から王になることを宣言したドラマ「ヘチ王座への道」とは少し違いますね。

 

さらに、老論派は延礽君に代理聴政、つまり政治を代行させるよう上訴しました。

流石にこれは、景宗と少論派の反感をかい、謀反の口実を付けられ多くの老論派が死刑または流刑となりました。

 

歴史上、辛壬士禍(シニムサファ)と呼ばれています。

ミンジノンは星州(ソンジュ)に流刑になりましたが、延礽君は景宗のお陰で、刑罰から逃れることができました。

ドラマ「ヘチ」同様に養母の仁元王后(イヌォンワンフ)が延礽君を守りました。

 

英祖時代の天国から地獄

1724年に景宗が亡くなり、英祖が即位すると老論派が再び息を吹き返しました。

少論派は粛清されて、ミンジノンは流刑地より戻され右議政に抜擢されます。

 

そして、更に1725年には左議政に昇進します。

このころ、英祖は党派独占による弊害を危惧して、蕩平策(タンピョンチェク)の政策をとります。

つまり、どの党派からも均等に人材を採用して一党が強い力を持つことをなくそうとしました。

 

しかし、ミンジノンはこれに強く反対したため、なんと、1727年に職を解任されて、再び流刑にされてしまいました。

少論派の首領・李光佐との和解も断固拒否したといいます。

 

李麟佐の乱で再び官職に復帰

1728年に大事件がおこりました。

英祖の即位以来、冷や飯を食っていた少論派が李麟佐(イ・インジャ)を中心に反乱を起こしたのです。

李麟佐の乱と呼ばれるこの乱は6日で鎮圧されて、李麟佐は処刑されました。

 

しかし、清州が簡単に制圧されたことに英祖はショックを受けます。

そこで、英祖はミンジノンを呼び戻し、李麟佐の乱の関係者の徹底的な処罰を命じました。

これにより、ミンジノンは官職に復帰し、以降、引退するまで官職を全うしました。

 

まとめ

ミンジノンは粛宗の義理の兄で重臣として実在した人物でした。

しかし、ミンジノンは党派の首領であったことで、党派が激しく争った時代に波乱万丈の生涯を送ることになりました。

このような背景を知って、改めて、ドラマ「へチ王座への道」を見るとミンジノンの苦悩がよく理解できます。

 

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