ドラマ「ヘチ」に登場する重臣・ミンジノン(閔鎭遠)は実在した人物です。ミンジノンはどんな人物だったのか?
この記事では、ミンジノンの人物像、家族構成、党派抗争に明け暮れた波乱の生涯を史実を基に詳しく解説します。
ミンジノンは実在した人物か?
ミンジノン(ミン・ジノン/閔鎮遠)は「粛宗実録」「景宗実録」「英祖実録」に記録が残る実在した人物です。
彼は粛宗の2番目の王妃・仁顕王后の兄として王室に近い立場でした。しかし、老論派の中心人物だった彼は粛宗、景宗、英祖の三世代に渡り、党派抗争の中で流刑、登用を繰り返す波乱万丈の生涯を送りました。
ミンジノンと粛宗、景宗、英祖の関係を「トンイ」と「ヘチ」の相関図で表すと次のとおりです。

当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した相関図
<ミンジノンと粛宗、景宗、英祖の関係>
【PR】スポンサーリンクミンジノンの出自と家系
ミンジノン(閔鎭遠)は名門・驪興閔氏に生まれました。父・閔維重(ミン・ユジョン)は老論派を代表する重臣で、朝廷では戸曹判書を務めています。兄の閔鎭厚(ミン・ジヌ)も官職に就き、のちに父の後を継いで老論派の中心人物となりました。
また、彼の妹・仁顕王后は粛宗の第二王妃として宮中に入り、外戚としても大きな影響力を持つ存在でした。
<ミンジノンの家族>
| 関係 | 名前 | 生年-没年 | 備考 |
| 父 | 閔維重 | 1630-1687 | |
| 正室 | 豊府夫人 | 1628-1652 | 徳水李氏、子女なし |
| 継室 | 恩城府夫人 | 1637-1672 | 恩津宋氏 |
| 長男 | 閔鎭厚 | 1659-1720 | 礼曹判書 |
| 次男 | 閔鎭遠 | 1664-1736 | 左議政 |
| 長女 | 仁顕王后 | 1667-1701 | 粛宗の王妃 |
| 継室 | 豊昌府夫人 | 1659-1741 | 豊壌趙氏 |
| 三男 | 閔鎭永 | 1682-1724 |
粛宗時代|不遇の時代
ミンジノン(閔鎭遠)が初めて実録に現れるのは、粛宗12年(1686年)11月24日条で、成均館儒生として行われた試験で首席となり、王から恩恵を受けた場面です。
1691年には27歳で科挙に合格しますが、妹・仁顕王后の廃位と西人(のちの老論派)追放により官職に就けず、多くの西人とともに不遇の時期を過ごしました。
1694年の甲戌換局で仁顕王后が復位すると、ようやく官職に就き、司僕寺や司憲府執義などを務めました。その後、ミンジノンは主要な官職を歴任。1718年には礼曹判書(正二品)に任命されました。
礼曹判書就任以降、老論派の主導権争いが激化し、ミンジノンは徐々に党内で影響力を強めていきました。
景宗時代|老論派首領としての活躍と失脚
1720年に粛宗が逝去。少論派が支える景宗が即位すると、延礽君を推していた老論派は強い危機感を抱きました。当時、ミンジノンは兄・閔鎮厚の後を継いで老論派の中心にあり、景宗に子がいないことを理由に延礽君を世弟に立てようと動きます。
1721年には老論派の強力な後押しで拒む延礽君を世弟にしましたが、その後の代理聴政の上訴が景宗と少論派の反発を招き、謀反の名目で老論派は大きく弾圧されました。
ミンジノンも星州に流され、この一連の事件は辛壬士禍(シニムサファ)と呼ばれます。
英祖時代|再起と蕩平策に反対して再失脚
1724年に景宗が逝去して英祖が即位すると、失脚していた老論派は再び勢いを取り戻し、ミンジノンも流刑先から呼び戻され右議政に抜擢されました。
翌1725年には左議政へ昇進しますが、英祖が党争の弊害を抑えるために推し進めた蕩平策に強く反対したことで、1727年には職を解かれ、再度流刑となります。少論派首領の李光佐との和解も拒んだと伝えられています。
李麟佐の乱で再び官職に復帰
1728年、英祖の即位後に冷遇されていた少論派が李麟佐(イ・インジャ)を中心に反乱を起こしましたが、この「李麟佐の乱」はわずか6日で鎮圧され、首謀者は処刑されました。
ところが、清州が容易に陥落したことに英祖は衝撃を受け、ミンジノンを呼び戻して関係者の厳罰を命じます。こうしてミンジノンは官職に復帰。その後は引退まで職務を全うしました。
ミンジノンの最期
1736年11月28日、ミンジンノが亡くなりました。死因は明記されていません。英祖はミンジノンの死に際して、その人柄を次のように記しました。
閔奉朝賀以休戚之臣, 所執雖滯, 丹心爲國<英祖実録:1736年11月28日条>
※閔鎭遠はミンジノンの漢字表記。
ミンジノンは気骨があり、頑固で、極端なほど党派にこだわった人物と評される一方で、君臣関係における忠誠心は揺るがず、最後まで政務に尽くした人物でした。
ミンジノンの年表(簡易)
ミンジノンの主要な出来事を一覧で整理しています。
| 年代 | 出来事 |
| 1664 | 閔維重の息子として生まれる |
| 1691 | 科挙(文科)に合格。己巳換局後の混乱で登用されず |
| 1694 | 甲戌獄事。仁顕王后復位 |
| 1695 | 芸文館の検閲(正九品) |
| 1697 | 弘文館の修撰(正六品) |
| 1705 | 工曹参議(正三品) |
| 1718 | 礼曹判書(正二品)老論派内での影響力を強める |
| 1720 | 景宗即位。老論派の中心人物になる |
| 1722 | 辛壬士禍で失脚。星州へ流刑 |
| 1724 | 英祖即位で復権。右議政(正一品) |
| 1727 | 丁未換局で再度失脚・流刑。翌年釈放 |
| 1736 | 逝去 |
まとめ
ミンジノンは、粛宗・景宗・英祖の三代にわたり政局に影響を与えた実在の人物です。名門・驪興閔氏の一族として生まれ、老論派の重鎮として活躍しました。
ドラマ「ヘチ」では誇張された描写がありますが、史実のミンジノンは頑固で執念深い面はありましたが、最後まで国に尽くした実務派の政治家でした。