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ヘチ王座への道でヨジは側室になるのか?【実在したモデルは?】

ヘチ王座への道で男勝りのヨジですが、イ・グム(ヨニングン)の側室になるのか?

ヨジのモデルになった側室はいたのか?

気になりますよね。

詳しく調べてみました。

ネタバレも含みます。ご注意ください。

 

ヘチ王座への道でヨジは側室になるのか?

確かにヨジは後半に女官になりますが、残念ながら、ヨニングンの側室にはなりません。

ヘチ王座への道で、ヨジは司憲府の茶母として美しい女性でありながら、男に負けない武術の達人として描かれています。

見かけからは想像できない驚くほどの力持ち、しかし、女性としての素質は全くなし。

今までにないキャラクターですね。

 

ドラマの後半では、突然、女官に。。。??

しかも、女官になってからの演技に違和感を感じた人も多かったと思います。

 

実は、ヨジはこのとき、アクションシーンで大怪我をしてしまったのです。

だから、後半は、ほとんど棒立ちのシーンが多くなりました。

詳しくは>>ヘチ 王座への道の第14話にヨジが出てこない理由【怪我?】

 

監督と脚本家はもしかして。。。

ヘチ王座への道の監督はイ・ヨンソク監督、脚本家は「トンイ」、「イ・サン」を書いたキム・イヨンです。

イ・ヨンソク監督はヨジのキャラクターをとっても気に入っていたようです。

ドラマの後半には、ヨジの出番を増やすように脚本家のキム・イヨンにお願いしていました。

 

実は、キム・イヨンも、ヨジの活躍の場を増やし、ヨニングンとの甘い恋の物語への展開も考えていたようです。

ですから、コ・アラが怪我をしなければドラマではヨジがヨニングンの側室になった可能性もあったかもしれませんね。

<女官になって精彩を欠いたヨジ>

キム・イヨンも突然だったので、脚本の変更は大変だったそうです。

そのため、ヨジのキャラクターを十分に活かした脚本が出来ず、俳優に申し訳なかったと話しています。

また、イ・ヨンソク監督もヨジが怪我をしたのは、ヘチ王座への道にとって大きな痛手であったと語っています。

 

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ヨジのモデルになる側室は実在したのか?

ヨジのモデルになる側室がいたのか、ヨニングンの側室を詳しく調べてみました。

結論から言うと、ヨジのモデルになるような側室は存在しませんでした

 

詳しく、説明しますね。

ヨニングン(英祖)には、4人の側室がいました。

<英祖(ヨニングン)の家族>

第21代国王・英祖
正室 貞聖王后 子女なし
貞純王后 子女なし
側室 靖嬪李氏 1男2女 和億翁主 早世
孝章世子 早世
和順翁主
暎嬪李氏 1男6女 和平翁主
和協翁主
荘献世子 尊称:思悼世子
和緩翁主
他に3人の翁主 早世
貴人趙氏 2女 和柔翁主
他に1人の翁主 早世
淑儀文氏 2女 和寧翁主
和吉翁主

ヨニングンの側室は全員が女官出身です。

自分の母親が女官出身であったことも影響しているのかもしれません。

 

靖嬪李氏(チョンビンイシ)

ヨニングンが世弟になる前に側室となりましたが、ヨニングンが世弟になった1721年に病死してしまいます。

靖嬪李氏はヨニングンの寵愛を受けて、1719年2月15日に緈(ヘン)を生みます。

緈(ヘン)は1725年には6歳で世子(孝章世子)となりましたが、3年後に病死してしまいました。

世弟になる前に側室になり、世子まで生んでいるのでヨジのモデルではないでしょう。

 

暎嬪李氏(ヨンビンイシ)

荘献世子(思悼世子)の生母、つまり、正祖の祖母です。

イ・サンでは正祖を陥れようと企む、和緩翁主(ファワンオンジュ)の母親でもあります。

 

ヨニングン(英祖)との間に1男6女の子供をもうけ、ヨニングンの寵愛を最も受けたと思われます。

1727年に長女を生んでいるので、1726年以前に側室になったと思われます。

暎嬪李氏が30歳の頃です。

その後、毎年のように子供を生んでいますが、多くは幼くして亡くなっています。

1727年長女誕生(和平翁主、1748年に出産時に死去)
1728年次女誕生(1731年に3歳で死去)
1729年三女誕生(1731年に2歳で死去)
1732年四女誕生(1736年に4歳で死去)
1733年五女誕生(和協翁主、1752年に19歳で死去)
1735年長男誕生(荘献世子)
1737年六女誕生(和緩翁主)

荘献世子を生んだ暎嬪李氏が、ヨジのモデルということは考えられないですね。

 

貴人趙氏(クィインチョシ)

貴人趙氏はヨニングンが王に即位してから側室になりましたが、詳しいことは分かっていません。

 

淑儀文氏(スギムンシ)

淑儀文氏は荘献世子の死に関わったと言われる側室です。

そのため、正祖が即位すると、すぐに廃位されて宮廷から追い出されました。

そして、死罪になります。

ヨジのモデルとしては、明らかにかけ離れています。

 

4人の側室には、ヨジのキャラクターに通じるようなものは何も見つけることができませんでした。

ヨジはヨニングンの側室をモデルにしていないことは間違いないようです。

 

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ヨジが活躍した司憲府の監察補佐官とは?

ヨジが所属した司憲府(サホンブ)とは、官僚の不正や違法行為を取り締まる官庁でした。

一般の庶民の取締は、ドラマによく出る捕盗庁(ポドチョン)で行っていました。

司憲府には強い特権があり、不正や違法行為があった官僚の官職を取り上げることができました。

<豆知識>ヘチとは
ヘチとは伝説上の生き物の獬豸(カイチ)の韓国語読みです。ヘチは不正を正す正義感の強い生き物として語り継がれてきました。このことから、ドラマでは不正を暴き、善悪を正す司憲府の役人のことをヘチと称しています。オープニングに司憲府のシンボルとしてヘチの石の像が登場しています。

 

ヨジは司憲府の監察補佐官でしたが、実際にはいわゆる茶母(タモ)です。

茶母とは、元々はお茶くみの奴婢のことでしたが、奴婢の中でも優秀な女性を選んだため、徐々に雑用を任されるようになりました。

それが、女性にしかできない仕事(女性に対する捜査や検査)もするようになり、男性の助手を務めるようになります。

ドラマ「ヘチ」でも、ヨジは日本語も話せて、武術にもたけていて、ほとんど男性と同等の仕事をしていました。

 

まとめ

ヨジは架空の人物でヨニングンの側室にはなりませんでした。

男勝りの茶母として登場したヨジですが、ヨニングンがそんなヨジに引かれていくことから、側室になるのでは?

と思われた方も多いと思います。

 

実際、ヨジは途中から大妃の計らいで女官になります。

しかし、これはむしろ怪我によるストーリーの変更とも考えられます。

ヨジが今までにないキャラクターとして活躍を期待していただけに本当に残念でした。

 

でも、ヨジを演じたコ・アラさんは怪我もすっかり治り、ドラマや映画で活躍しています。

本当に良かったですね。

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