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三国時代に関する史料
三国時代を代表する史料としては、三国史記、三国遺事、花郎世記などがあります。
三国史記
三国史記は現存する韓国最古の歴史書で国宝に指定されています。
朝鮮の新羅(しらぎ)、高句麗(こうくり)、百済(くだら)三国の歴史を記載しています。
高麗の第17代国王の仁宗が金富軾(キム・ブシク)ら10名の史官に命じて作成させて、1143年に編纂を開始、1145年に完成しました。
朝廷が編集させた正式な官撰史書です。
公式の歴史記録は基本的にこの「三国史記」の記述を主としています。
新羅の始祖・朴赫居世(ボクカクキョセイ)からの約1000年の歴史を、新羅12巻,高句麗10巻,百済6巻、年表3巻、雑志9巻、列伝10巻の全50巻にまとめています。
新羅,高句麗,百済の本紀にはそれぞれの国での出来事を時系列順に記述、雑志には当時の風俗、社会制度、官職制度や地名などを記述、列伝には歴史上で活躍した人物の業績を記述しています。
列伝の中には、有名な武将である金庾信(キムユシン)、蓋蘇文(ガイソブン)、弓裔(キュウエイ)などが記載されています。
三国史記に引用された史料として具体的には海東古記、三韓古記、新羅古事などがあげられています。
実際に引用された史料は新羅関係で固有の史料が54種、中国史料が36種、高句麗関係で固有の史料が10種、中国史料が17種、百済関係で固有の史料が6種、中国史料が11種にも及びます。
三国史記を編纂するときに高麗以前の史料として旧三国史がありますが、三国史記には全く引用されていません。
編纂されたのが1145年頃の高麗中期のため、三国時代後期以降は比較的詳しく書かれていますが、三国時代初期の部分は神話的な記述が多く見られます。
また、編纂の中心人物であった金富軾が新羅の人物であったことから、新羅寄りの記述が多いとも言われています。
三国遺事
三国志記から135年後の1280年に、高麗の禅宗であった一然により書かれた資料です。
三国史記が官撰史書であるのに対して、三国遺事は個人が編集した私撰史書です。
書かれた時期に130年以上の開きがあります。
<現存する三国遺事>
書名の「遺事」は三国史記に漏れた事項を補完するという意味です。
例えば、三国史記には、善徳女王の記載は数行程度ですが、三国遺事には善徳女王が予知能力で国難を解決した3つの話が記載されています。
但し、三国遺事は人々の生活、習俗、信仰、文学などが主に記述されており、史実としての信憑性は極めて希薄と言われています。
史書というよりは、むしろ仏教に関する逸話集、民話集、民俗集、または、文学書といった性質の書で、日本の古事記に相当する書です。
しかし、韓国には古代の歴史書が少なく、そのため、三国史記とともに古代史研究の基本文献とされています。
三国遺事は5巻2冊で構成されていますが、編目(章)は王歷・紀異・興法・塔像・義解・神呪・感通・避隱・孝善の9つから構成されています。
第1巻の王曆には、王名、即位年代、在位年数、陵の名称、所在、火莽記事、王母の記録、王妃に関する記述や国家的な重大事件が記録されています。
なお、現存する三国遺事は高麗時代のものではなく、すべて朝鮮時代に板刻(板に彫った版木(はんぎ)を用いて印刷すること)されたものです。
花郎世記(花郎世紀)
花郎世記は新羅の第33代王・聖徳王の時代に金大問によって書かれた本です。
花郎のリーダーである風月主の歴史を記録していました。
金富軾が三国史記を書き始めるころまで残っていましたが、その後、消失してしまいました。
三国史記には、金大問が書いた「花郎世記」が残っていることが記録されています。
しかし、何故か日本の宮内省に保管されていた原本があり、同省に勤めていた朴昌和が秘かに書き写していたとされます。
そして、その全文が1995年に発見されています。
それが「花郎世紀」です。
花郎世紀はそれまで韓国内で最古の歴史書「三国史記」よりも、440年も前の書であることから、研究者にとっては画期的でした。
しかし、その内容の真偽をめぐっていまだに論争が続いています。
真偽の問題とは別に記録が少ない当時の文章であり、内容も興味深いことから多くのドラマで物語のネタとして採用されています。
ドラマ「善徳女王」や「花郎」も花郎世紀から物語のネタを得ています。
ドラマに登場するミシルは花郎世紀にのみ登場する人物で、三国史記にも三国遺事にもでてきていません。
なお、金大問が書いた原本を「花郎世記」、朴昌和が書き写したものを「花郎世紀」と区別するのが正しいようです。
花郎世記は発見されていないので、物語のネタとして取り上げられているのは正確には花郎世紀に記録されていることです。