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イバンウォンの4人の息子【譲寧・孝寧・忠寧・誠寧の生涯】

この記事では、イバンウォンの4人の息子について詳しくご紹介します。

長男:李褆(イ・ジェ)
次男:李補( イ・ホ)
三男:李祹(イ・ド)
四男:李褈(イ・ジュウ)

イバンウォンの4人の息子

第3代王・イバンウォン(太宗)には、正室・元敬王后との間に4人の男の子がいました。

いずれも「大君」の称号を与えられ、王家の嫡子として期待された存在でした。

関係 本名 称号 生年 没年 享年
長男 李褆 譲寧大君 1394 1462 69
次男 李補 孝寧大君 1396 1486 91
三男 李祹 忠寧大君 1397 1450 54
四男 李褈 誠寧大君 1405 1418 14
<豆知識>王子の称号、大君と君
王子を名前で呼べるのは親近者(王様や王妃)だけです。そこで、王子は成長すると称号が与えられます。正室から生まれた王子は〇〇大君(テグン)、側室から生まれた王子は○○君(グン)という称号で呼ばれました。

イバンウォンには多くの側室の子がいましたが、正室と側室には歴然とした差があり、正室の子を差し置いて側室の子が王になることはありませんでした。

では、一人ひとり、大君をご紹介していきます。

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譲寧大君(長男):王世子からの転落

譲寧大君(ヤンニョンデグン)は11歳で王世子になりますが、素行不良が度重なり、ついに廃位され宮廷の外に出されます。

特に女性絡みの問題が多く、トラブルメーカーでしたが、最後は、父・イバンウォンの逆鱗に触れたといわれています。

廃位後は自由気ままに生きたようで、政治の表舞台から遠ざかり、芸術を好む風流人としての人生を送りました。

ドラマでは影で王族や臣下を操る人物として登場します。

詳しくは>>譲寧大君の家系図【女癖が悪く廃世子となった不肖の息子】

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孝寧大君(次男):仏教に生きた静かな王子

孝寧大君(ヒョリョンテグン)は政治に関心がなく、仏教に興味を持ち生涯、仏教保護に取り組みました。

彼は、12歳で鄭易の娘と結婚して、6男2女をもうける家庭人でもありました。

長男の廃位後、次男でありながら世子にしなかったことについて、父・太宗は次のように述べています。

孝寧大君資質微弱, 又性甚直, 無開坐。 聞予言但微笑而已, 予與中宮見孝寧常笑之。~(略)~ 孝寧大君不能一飮, 是亦不可
<引用元:太宗実録1418年6月3日>

<訳>孝寧大君は資質が弱く、性格はまっすぐすぎて、議論の場に加わることもできない。私の意見を聞いても、ただ微笑むばかりで、孝寧はいつも笑っている。~(略)~孝寧は酒を一杯も飲めず、それもまた問題だ。

酒の件は一例として上げていると思われますが、孝寧大君が王に相応しくないと判断したことは間違いありません。

彼は政治の舞台からは遠ざかり、91歳まで長生きしています。

忠寧大君(三男):名君・世宗の誕生

忠寧大君(チュンニョンデグン)は後の第4代王・世宗です。

父・イバンウォンは彼の才能と人柄を高く評価し、世子に抜擢しました。

彼は忠寧大君を世子に選んだ理由を次のように述べています。

 忠寧大君天性聰敏, 頗好學~(略)~識治體, 每於大事, 獻議允合, 且有出於意料之外。若接上國使臣, 則身彩言語、動靜周旋合禮。
<引用元:太宗実録1418年6月3日>

<訳>忠寧大君は生まれつき聡明で、学問を好んでいる。~(略)~彼は政治の本質をよく理解しており、重大な事案があるたびに提出する意見は常に理にかなっていた。そして、中国の使節を接待する際の身なりや言葉遣い、立ち振る舞いのすべてが礼にかなっている。

また、この時、イバンウォンは「忠寧大君の読書好きが病になるのではと心配して夜の読書を禁じたエピソード」も紹介するなど、彼に対する好感と信頼が伺えます。

長子継承の原則を何としても守りたいイバンウォンでしたが、早くから忠寧大君の素質を見抜いていたと思われます。

詳しくは>>世宗の家系図【韓国で最も人気のある朝鮮最高の名君・世宗大王】

誠寧大君(四男):両親に愛された末子

誠寧大君(ソンニョンデグン)は、元敬王后が41歳の時に授かった末子でした。

そのため、両親からはひときわ愛情を注がれて育ちましたが、14歳のときに天然痘で亡くなっています。

その死は、イバンウォンと元敬王后に深い悲しみをもたらしました。

当時、天然痘は深刻な社会問題であり、医療体制も脆弱で多くの人々の命を奪っていました。

この病気の治療が本格的に始まるのは、光海君の天然痘を治した王室の医者・ホ・ジュンが現れてからのことです。

まとめ

イバンウォンの正室との間に生まれた4人の息子たちは、いずれも「大君」として王族の道を歩みましたが、その歩みは決して平坦ではありませんでした。

世子として期待されながら廃された者、王には選ばれなかった者、そして歴史に名を残す大王となった者など。

しかし、すべてに共通するのは、父・イバンウォンの決断に大きく影響された運命であったという事実です。

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