朝鮮王朝で廃位された王は燕山君と光海君の二人です。
燕山君と光海君は本当に暴君だったのか?
詳しくご紹介していきます。
燕山君と光海君は本当に暴君だったのか?
実は、最近の研究で光海君は名君として見直されています。
その理由は?真相に迫ってみました。
燕山君が暴虐な行為に向かったキッカケは、臣下から母親が廃妃されて、殺されたことを聞いたからです。
この事実を知った燕山君は逆上、母親の死に関わった全ての人物を探し出して、処罰することを命じます。
その残虐さは、多くのドラマで取り上げられています。
(インス大妃、王と妃、逆賊-民の英雄ホン・ギルドン-など)
この残虐な行為(甲子士禍)は、7ヶ月にも渡り、対象者は子供や家族も含めて驚くほど多くの犠牲者がでました。
正式な記録では239人となっていますが、使用人などを入れれば、その数なんと3000人ともいわれています。
また、燕山君は最高学府の成均館や世祖が立てた円覚寺を妓生との遊び場にして、毎日、酒に女に明け暮れていました。
そして、苦言を呈する臣下を残酷な刑罰で処刑するなど暴政の限りを尽くしていたといいます。
まさに暴君の極みです。
一方、光海君が暴君と言われる所以は、即位した時に兄の臨海君や幼い永昌大君(2歳)を殺害して、義理の母親・仁穆大妃を廃し幽閉したことです。
燕山君の暴虐な行為と比較したら、極悪な行為と言えるものではありませんし、同様な政敵の粛清は太宗や世祖など多くの王が行っています。
また、光海君が民を苦しめるような政治を行ったという事実もありません。
従って、現在、光海君の暴君説は、謀反を起こした仁祖が謀反を正当化するために作り上げた虚偽であると考えられています。
むしろ、光海君は名君だった言われています。
そうした背景を知って、ここであげたドラマ「王になった男」「華政」「王の女」「火の女神ジョンイ」「王の顔」を見ると、従来のイメージと違った光海君をすんなりと受け入れることができます。
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名君と再評価される光海君
燕山君と光海君では、実際に行った残虐な行為の規模が全く違います。
光海君が暴君と言われるのは、「クーデターを正当化するために仕立て上げた虚偽ではないか?」
と、今では考えられています。
クーデターを起こした仁祖勢力にとっては、光海君が悪者であるほど都合が良かったのです。
実際、戦乱の国を救い、戦後の復興に貢献した光海君の実績は素晴らしいものでした。
近年では光海君の政治的な業績を再評価しようとする動きがあります。
その一つが税金に関する法律です。
光海君は持っている土地に応じて税金を取り立てる法律を考えました。
もちろん、土地を持たない一般の市民は大歓迎ですが、両班(ヤンバン)や地主は大反対でした。
光海君はこうした民のことを考えた行革を実施していたのです。
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光海君を悪役にした金尚宮
金尚宮(キムサングン)は光海君を王にするために、死力を尽くした女官です。
しかし、一方で、光海君を悪役にした影の人物でした。
光海君がまだ世子のときに、金尚宮は光海君の女官となり仕えますが、王である父・宣祖の寵愛を受けてしまいます。
それまで、金尚宮は金介屎(キム ゲシ)と呼ばれていましたが、寵愛を受けてからは金尚宮と呼ばれています。
名前の「介屎」は朝鮮語の「犬の糞」である「ケトン」を漢語風にしたものです。
よく韓国時代劇に「ケトン」と呼ばれる女の子がでてきますが、金介屎からきているのではないでしょうか。
金尚宮は宣祖の寵愛を受けましたが、宣祖の死後、光海君を王にするために死力を尽くしました。
しかし、金尚宮は光海君が即位後、李爾瞻(イ・イチョム)と組んで宣祖の子供である幼い永昌大君を殺害、その母である仁穆王を幽閉したと言われています。
この事件が後に、光海君を暴君と言わせる大きな要因となりました。
1623年におきたクーデター(仁祖反正)のときに、光海君が廃位されると金尚宮は処刑されてしまいます。
金尚宮の波乱万丈の生涯はドラマ「王の女」や「宮廷女官キム尚宮」で取り上げられ、その悪女ぶりは、「宮廷女官キム尚宮」でチャングムのイ・ヨンエが演じています。
まとめ
実際に残虐な行為を繰り返した燕山君と比較して、光海君の暴君としてのイメージは、クーデターを正当化したい仁祖勢力が
作り上げた作りごとと考えられます。
現在では、光海君の業績を再評価する動きもあります。
事実、光海君をモデルにしたドラマの多くは光海君を悪者としては扱っていません。
むしろ、名君として扱ったドラマが多いですね。