国王の哲宗が何故、あれほどまでキム氏に気を使っているの?
キム・ジャグンのモデルは誰?
興宣大院君ってどんな人物?
風と雲と雨のベースとなった哲宗の時代の実話を詳しくご紹介します。
風と雲と雨の実話
ドラマ「風と雲と雨」では、チョン・グァンリョルが演じるイ・ハウン(興宣大院君)が物語のキーパーソンになっています。
そこで、興宣大院君を中心に「風と雲と雨」の実話をご紹介していきます。
偽りの乞食生活
興宣大院君は王族としては、第16代王・仁祖の三男の系統で本来であれば王位からは程遠い存在でした。
しかし、興宣大院君の父親の南延君が英祖の息子・荘献世子の四男である恩信君の養子になったことで、興宣大院君に王位継承の道が開けました
<興宣大院君の家系図>
実際に、憲宗が亡くなり、次の王を選ぶときに興宣大院君も次期王としての候補に上がっていました。
このため、次の王が哲宗に決まると興宣大院君は王位に全く興味が無いように振る舞い始めました。
王位に関心を示せば、安東金氏に排除されるからです。
そこで、興宣大院君は遊び人を装い、乞食のような生活をしていました。
安東金氏の王族粛清
安東金氏による勢道政治は安東金氏の独裁と暴政を許し、民は過大な税に苦しみました。
また、多くの王族が逆族とされ粛清されていきました。
跡継ぎのいない第24代国王・憲宗が亡くなったときには、跡継ぎとして適任者がいなかったほどです。
1860年、王族の慶平君(李世輔)が、金左根ら安東金氏一族を誹謗中傷したとして爵位を剥奪、流刑とされました。
また、「風と雲と雨」に登場する李夏銓(イ・ハジョン)も粛清された王族の一人でした。
李夏銓は幼少の頃から秀才と言われ、憲宗が亡くなったときには王の候補に挙げられるほどの人物でした。
しかし、それが安東金氏一族からは危険視されていたのです。
1862年、五衛将の李載斗に謀反を企てていると虚偽の証言をされ、済州島に流配の上、死罪にされてしまいました。
国王の擁立
常に、安東金氏に監視された興宣大院君ですが、王の座は捨ててはいませんでした。
1857年に純元王后が死去すると、安東金氏の政敵・豊壌趙氏の神貞王后に近づき、着々と息子の王位継承の道を作っていました
「風と雲と雨」に登場するチョ大妃のモデルが神貞王后です。
神貞王后は、1863年に哲宗が亡くなると、安東金氏が国王を決める前に、事前に興宣大院君と謀議していたように動きました。
興宣大院君の次男・李命福(高宗)を亡き夫・孝明世子との養子として朝鮮国王に即位させたのです。
興宣大院君は垂簾聴政を行う神貞王后の補佐として政治への参加が許されました。
名目だけの摂政でした。
しかし、徐々に興宣大院君は摂政として政治を掌握していきました。
安東金氏の衰退
興宣大院君は摂政になると安東金氏の勢力を次々と粛清していきます。
高宗が即位してから数か月後に領議政であった金左根(キム・ジャグン)が辞任します。
興宣大院君の政治参加に反対したことで辞任せざるを得なくなりました。
更に、高宗の支持を得た興宣大院君は、他の金氏一族も次々とに降格、罷免させていきました。
興宣大院君の独裁政治の始まりです。
興宣大院君の暴政
ドラマは32話から1866年に移り、チョンジュンが西欧から3年ぶりに戻りますが、その頃、史実では興宣大院君が暴政を振るっていました。
興宣大院君は完成間近で焼失した景福宮の再建を強引に推進、その財源を民から様々な方法で徴収して民を苦しめました。
また、鎖国政策を堅持する興宣大院君は天主学(キリスト教)の教えが広まることを極度に恐れました。
そのため、興宣大院君はフランス人宣教師12人中9人を処刑、8000人に及ぶカトリック教徒を殺害しました。(丙寅教獄)
1866年10月、このフランス人宣教師の処刑を契機に、フランス軍との戦い(丙寅洋擾;ピョンイニャンヨ)が勃発します。
更に、通商を求めて羊角島に来航したアメリカ商船ジェネラル・シャーマン号を焼き払ってしまう事件が発生します。
この事件が発端となり、1871年にはアメリカ艦隊との交戦(辛未洋擾;シンミヤンヨ)が始まりました。
いずれの戦いも朝鮮の勝利に終わり、興宣大院君は強気の対外政策に自信を持つことになります。
興宣大院君は自ら独断で執政を行うようになり、軍事権、行政権、人事権を掌握していきます。
興宣大院君は王命を使って、自らの考えを推し進め、同時に全ての命令書に目を通して気に入らない命令を阻止しました。
こうして、全ての物事が興宣大院君の許可なく行うことができなくなりました。
明成皇后が高宗の王妃に
1866年、高宗の王妃を選ぶのに揀択が実施され、明成皇后が王妃に選ばれました。
これは、外戚による政治介入を嫌った興宣大院君が神貞王后が押す豊壌趙氏出身の娘を避けたこと。
明成皇后が興宣大院君の妻の閔氏出身で、父親が既に亡くなっていることが決め手になりました。
最初、明成皇后は大人しく、従順であったといいます。
夫の高宗には既に、好きな女性がいて、明成皇后は相手にされませんでした。
しかし、明成皇后は一人耐え忍び、ひたすら読書に励み、知識を蓄えていきました。
この時の知識が後の政治、外交に大いに役立つことになります。
興宣大院君と明成皇后の対立
最初は従順であった明成皇后も次第に興宣大院君と対立していきます。
高宗の寵愛する李尚宮に完和君が生まれると興宣大院君は大いに喜び、この頃から明成皇后は興宣大院君と敵対するようになります。
そして、明成皇后に子供ができたころから強い女性へと変わっていきました。
ドラマ「風と雲と雨」では、興宣大院君に冷酷に扱われ唇を強く噛むシーンがでてきます。
明成皇后について詳しくは>>明成皇后の家系図【閔一族は王妃二人を出した名門中の名門】
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風と雲と雨の時代背景
ドラマ「風と雲と雨」のスタートは1862年、哲宗在位13年の年から出でした。
ドラマの時代背景をご紹介します。
安東金氏の勢道政治
壮洞キム氏のモデルは実際に勢道政治により政権を掌握した安東金氏です。
勢道政治とは一族から王妃を出して外戚(王室の親族)となった一族が、多くの親族を朝廷の官職に付けて思うがままに政治を行うことです。
安東金氏の勢道政治は純元王后(スンウォンワンフ)が第23代国王・純祖の王妃になってから始まりました。
純祖はあのイ・サンの名でよく知られた正祖の息子です。
純元王后が王妃になると父親の金祖淳(キム・ジョスン)が徐々に外戚として力を見せていきます。
次々と親族を官職に付けて、朝廷を掌握していきました。
こうして、哲宗の時代までの約60年間、安東金氏が国の政治を牛耳る勢道政治が行われました。
その権力は凄まじく、王室でも抵抗できませんでした。
こうした背景が分かると、ドラマ「風と雲と雨」で壮洞キム氏が王族を何とも思わない理由、王族が影で壮洞キム氏を恨む理由が分かります。
安東金氏について詳しいことは>>安東金氏の家系図から分かる【3人の王妃による黄金時代の構築】でご紹介しています。
飾り物の国王・哲宗
ドラマ「風と雲と雨」には、気が弱く、いつも壮洞キム氏の気を伺う国王・哲宗(チョルジョン)が登場します。
哲宗は実在した第25代国王です。
実は、哲宗は王族ですが、王位とは程遠い存在で江華島で百姓をしていました。
その頃、純祖の後を継いだ、孫の憲宗が23歳の若さで亡くなってしまいます。
憲宗には跡継ぎがいないことから、何と安東金氏の一族は江華島で百姓をしていた哲宗を王に仕立て上げたのです。
哲宗は帝王教育を受けたこともなく、ろくに文字も書けなかったと言われています。
しかし、安東金氏にとってはろくに能力のない王の方が好都合だったのです。
ドラマ「風と雲と雨」の舞台が江華島であること、哲宗が壮洞キム氏に気を使うのも、こうしたことが取り入れられています。
哲宗について詳しいことは>>哲宗の家系図で知る【驚き!お飾りの国王はお百姓だった】でご紹介しています。
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懐平君はどんな人物だったのか?
懐平君(フェピョングン)は、哲宗の腹違いの兄にあたり正室の子供でした。
懐平君は頭もよく、素直で人徳もあったと言われています。
しかし、1844年に閔晋鏞が懐平君を王に担ぎ出して謀反を起こしました。
謀反は鎮圧されますが、懐平君はその罪で死罪になります。
享年17歳でした。
その時、懐平君はまだ未婚で子供がいた記録はありません。
ドラマでは、懐平君の息子が王の跡継ぎ候補として登場しますが、史実では、もちろん懐平君に息子はいませんでした。
ドラマの息子も偽物の奴婢でしたね。
実在の登場人物
風と雲と雨は哲宗時代を背景にしているので、多くの実在した人物が登場します。
安東金氏は、一族が現在も存在しているため壮洞金氏(チャンドン・キムシ)と名称を変えています。
過去とは言え、一族を悪く扱うことはできませんよね。
ボンリョンは実在した王女なのか?
風と雲と雨には哲宗の娘としてボンリョンが登場しています。
ところで、ボンリョンには実在したモデルがいたのか?
詳しくはこちら>>風と雲と雨のボンリョンは実在した王女?【史実のモデルは?】でご紹介しています。
実在した登場人物の一覧
風と雲と雨に登場した実在のモデルをご紹介します。
役名 | 実在のモデル | 備考 |
イ・ハウン | 興宣大院君 | 高宗の父 |
イ・ジェファン | 李㷩(イ・ヒ) | 第26代王・高宗 |
イ・ジェミョン | 李載冕(イ・ジェミョン) | 興宣大院君の長男 |
チョ大妃 | 趙大妃/神貞王后 | 第24代王・憲宗の実母 |
哲宗 | 哲宗(チョルジョン) | 第25代王 |
イ・ハジョン | 李夏銓(イ・ハジョン) | 王族、都正宮慶原君 |
ミン・ジャヨン | 閔玆暎(ミン・ジャヨン) | 明成皇后 |
ジャヨンの母 | 韓昌府夫人/感古堂 韓山李氏 | ミン・ジャヨンの母 |
ミン・スンホ | 閔升鎬(ミン・スンホ) | ミン・ジャヨンの兄 |
フンイングン | 興寅君(フンイングン) | 興宣大院君の兄 |
キム・ジャグン | 金左根(キム・ジャグン) | 領議政 |
キム・ビョンウン | 金炳冀(キム・ビョンギ) | 戸曹判書 |
キム・ビョンハク | 金炳学(キム・ビョンハク) | 領議政(最終官職) |
ヤン・ホンス | 梁憲洙(ヤン・ホンス) | 将軍 |
ローズ提督 | ピエール・グスターヴ・ロゼ提督 | フランス海軍の司令官 |
クァク・ナグォン | 郭楽園(クァク・ナグォン) | キム・グの母親 |
キム・ビョンハクはキム・ジャグンの実子として登場しますが、史実では血縁関係はありません。
金炳学(キム・ビョンハク)の実の父親は金洙根(キム·スグン)で、後に金浚根(キム·ジュングン)の養子になっています。
風と雲と雨の原作
ドラマ「風と雲と雨」は韓国の小説家であるイ・ビョンジュ(李炳注)が書いた小説が原作となっています。
朝鮮日報で1977年から新聞に掲載された後に、本として出版されました。
実は、この原作は過去(1989年)に一度、ドラマ化されています。
その時は、チェ・チョンジュン役をシン・イルリョン、ファン・ボンリョン役をキム・チョンが演じていました。
30年以上前の作品なので、今では見ることは難しいと思われます。
まとめ
風と雲と雨は哲宗から高宗の時代の史実をベースとしたフィクションです。
安東金氏が暴政を振るう勢道政治に対して、興宣大院君が策略を巡らして安東金氏を滅亡させていきます。
そこに、架空の朝鮮最高の観相師チェ・ジョンジュンが理想の国を作るために挑んでいく物語としています。
史実をベースにしているため、実在する人物や出来事も多く出てきます。
従って、史実を知ることで、一つ一つの何気ない場面が「なるほど!」と納得することがあります。
ちょっとした発見ですけど、物語がより面白くなること間違いありません。