Googleのアドセンス広告を表示しています

仁穆王后の家系図【朝鮮王朝最大の悲劇と言われる王妃】

息子の殺害、一族の撲滅、長期間の幽閉など

仁穆王后は朝鮮王朝最大の悲劇の王妃と言われています。

そんな仁穆王后について家系図から詳しく調べてみました。

 

仁穆王后の家系図

仁穆王后は金暹漢を始祖とする延安金氏一族の出身です。

<仁穆王后の家系図>

光海君が王に即位した時が仁穆王后の悲劇の始まりでした。

まず、父・金悌男が李爾瞻(イ・イチョム)の陰謀により、謀反の罪を着せられて死罪となりました。

金悌男の一族は流刑や死罪により滅亡します。

三人の息子も処刑、幼い永昌大君は江華島に流刑、仁穆王后と貞明公主は西宮に幽閉されてしまいました。

 

この事件は癸丑獄事(チュクオクサ)と呼ばれ、この史実を基にしたドラマが「ポッサム」です。

詳しくは>>韓国ドラマ「ポッサム」の実話 をご覧ください。

 

【PR】スポンサーリンク

仁穆王后はどんな王妃だったのか?

仁穆王后は息子が処刑、一族が滅亡、そして自身も15年間もの間、西宮に幽閉されていました。

仁穆王后は朝鮮王朝で最も悲劇的な王妃と言えるでしょう。

 

仁穆王后のプロフィール

仁穆王后(インモクワンフ)
生年:1584年11月14日
没年:1632年6月28日
在位:1602年7月13日-1608年2月1日
氏族:延安金氏
父親:金悌男(キム・ジェナム)
母親:光州盧氏
夫:宣祖
子女:貞明公主
   永昌大君

 

【PR】スポンサーリンク

仁穆王后の家族

仁穆王后は3男2女の次女として生まれました。

関係 名前 生年-没年 備考
金悌男 1562-1613 延興府院君
光州盧氏 1557-1637 光山府夫人
長男 金琜 不明
次男 金珪 不明
三男 金瑄 不明
長女 不明 不明 沈挺世の妻
次女 仁穆王后 1584-1632

 

仁穆王后は18歳で宣祖の継妃となりました。

宣祖と33歳の年の差がありましたが、1男2女の子供をもうけています。

関係 名前 生年-没年 備考
宣祖 1552-1608 第14代国王
本人 仁穆王后 1584-1632 宣祖の継室
長女 貞明公主 1603-1685 洪柱元の妻
次女 不明 1604 早世
長男 永昌大君 1606-1614 殺害される

次女は生まれてすぐに亡くなり、弟の永昌大君は9歳で殺害されてしまいました。

唯一、生き残った貞明公主は多くの子孫を残しています。

 

娘の貞明公主

ドラマ「華政」のモデルになった貞明公主は洪柱元と結婚し、7男1女の子供を生んでいます。

貞明公主の子孫には正祖の生母である恵慶宮洪氏や正祖の側近洪国栄、その妹の元嬪洪氏がいます。

詳しくは>>貞明公主の家系図で知る驚きの事実【多くの有名人が彼女の子孫】をご覧ください。

 

仁穆王后の生涯

1600年6月27日に宣祖の正室である懿仁王后が亡くなり、宣祖は新たな王妃を迎えました。

 

18歳で宣祖の継室となる

1602年7月13日に仁穆王后は18歳で51歳の宣祖の王妃となます。

この時点で、宣祖には多くの息子がいましたが、全て側室の子供でした。

<1602年7月時点の宣祖の息子>

母親 子供 年齢 生年-没年
恭嬪金氏 臨海君 31歳 1572-1609
光海君 28歳 1575-1641
仁嬪金氏 定遠君 23歳 1580-1619
義昌君 14歳 1589-1645
順嬪金氏 順和君 23歳 1580-1607
静嬪閔氏 仁城君 15歳 1588-1628
温嬪韓氏 興安君 5歳 1598-1624
慶平君 3歳 1600-1673

宣祖は日本の朝鮮侵略に対抗するため、仕方なく光海君を世子としていました。

しかし、明からは次男ということで認められていませんでした。

 

待望の王子を生む

1606年に仁穆王后は待望の王子である永昌大君を生みました。

宣祖は後継者として、嫡子の永昌大君を考えていましたが、1608年に世子を替えることなく亡くなります。

 

仁穆王后の悲劇の始まり

宣祖が亡くなると、光海君を推す勢力(大北派)と永昌大君を推す勢力(小北派)が激しい対立しました。

しかし、永昌大君がまだ幼かったため、光海君が第15代国王として即位します。

これが仁穆王后の悲劇の始まりでした。

 

永昌大君の勢力が粛清される

光海君を推す大北派にとって、嫡子の永昌大君は危険な存在でした。

そこで、大北派は謀反をでっちあげて、仁穆王后の一族を流刑や死刑として滅亡させてしまいました。

永昌大君は江華島へ流刑、仁穆王后と貞明公主は西宮に幽閉されてしまいます。

 

仁祖反正による解放

1623年3月、クーデター(仁祖反正)が起こりました。

光海君は廃位、大北派の中核だった李爾瞻と金介屎は処刑され、大北派は一掃されてしまいます。

 

このクーデターにより、やっと仁穆王后は解放され、名誉が回復されたのです。

その後、仁穆王后は48歳まで生き、1632年に亡くなっています。

 

仁穆王后の経歴一覧

仁穆王后の経歴を一覧に整理しました。

年齢 出来事
1584 1 金悌男の次女として生まれる
1600 17 6月27日正室である懿仁王后が亡くなる
1602 18 18歳で宣祖の王妃となる
1603 19 貞明公主を出産する
1606 22 永昌大君を出産する
1608 24 宣祖が逝去、光海君が即位
24 永昌大君は流刑、一派は一掃される
24 仁穆王后と貞明公主は幽閉される
1614 31 永昌大君は幽閉先の江華島で蒸殺(焚刑)
31 仁穆王后は大妃の地位を廃され側室の身分に降格
1623 40 3月、仁祖反正が起こる
40 仁穆王后は解放され、名誉を回復
40 光海君は廃位
40 大北派の中核だった李爾瞻と金介屎は処刑される
1632 49 享年49歳で逝去

 

仁穆王后が登場するドラマ

激動の時代を生きた仁穆王后は光海君とともに、多くのドラマに登場しています。

<仁穆王后が登場するドラマ>
・宮廷女官キム尚宮
(1995年、イ・ボヒ)
・ホジュン 宮廷医官への道
(1999年、ホン・ウニ)
・ホ・ギュン 朝鮮王朝を揺るがした男
(2000年、イ・ヒョンギョン)
・王の女(2003年、ホン・スヒョン)
・ホジュン〜伝説の心医〜
(2013年、ソ・イアン)
・王の顔(2014年、コ・ウォニ)
・華政(2015年、シン・ウンジョン)
・ノクドゥ伝(2019年、オ・ハニ)
・ポッサム〜愛と運命を盗んだ男〜
(2021年、ユン・ヨンミン)

 

 まとめ

嫡子のいない宣祖に若くして嫁いだ仁穆王后にとって、王子を生んだことが悲劇の始まりでした。

息子の殺害、一族の撲滅、さらに15年間の幽閉と苦難の連続でした。

仁穆王后は、まさに、朝鮮王朝最大の悲劇の王妃だったと言えるでしょう。

 

error: Content is protected !!