第12代王・仁宗の妃であった仁聖王后はどんな王妃だったのか?
仁聖王后について家系図から調べてみました。
仁聖王后の家系図
仁聖王后は高麗末期の豪族であった朴應珠を始祖とする潘南朴氏の出身です。
仁聖王后は9代目の子孫にあたります。
<仁聖王后の家系図>
潘南朴氏は後に、第14代王宣祖の正室である懿仁王后と第22代国王正祖の側室で純祖の母である綏嬪朴氏を輩出しています。
<二人の王妃と側室を輩出した家系>
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仁聖王后はどんな王妃だったのか?
仁聖王后は朝鮮王朝で最も在位期間が短かった仁宗の正室でした。
従って、仁聖王后に関する記録はほとんど残っていません。
仁聖王后のプロフィール
<プロフィール>
仁聖王后(インソンワンフ)
生年:1514年10月1日
没年:1577年11月29日
在位:1544年11月20日-1545年7月1日
諡号:孝順恭懿仁聖王后
夫:仁宗(第12代国王)
子女:なし
氏族:潘南朴氏
父親:朴墉(パク・ヨン)
母親:聞韶府夫人(金益謙の娘)1490-1550 淸風金氏
陸墓:孝陵(西三陵)
仁聖王后(インソンワンフ)
生年:1514年10月1日
没年:1577年11月29日
在位:1544年11月20日-1545年7月1日
諡号:孝順恭懿仁聖王后
夫:仁宗(第12代国王)
子女:なし
氏族:潘南朴氏
父親:朴墉(パク・ヨン)
母親:聞韶府夫人(金益謙の娘)1490-1550 淸風金氏
陸墓:孝陵(西三陵)
仁聖王后の父
仁聖王后の父・朴墉(パク・ヨン)は1495年、28歳のときに小科に合格して進士となりました。
しかし、その後、何回か科拳を受験しましたが合格することができませんでした。
以降、中央と地方を行き来しながら様々な官職を歴任しています。
1524年2月に朴墉の娘が世子嬪に選ばれますが、同年6月に朴墉は亡くなっています。
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仁聖王后の家族
仁宗と仁聖王后の間には子供はできませんでした。
関係 | 名前 | 生年-没年 | 備考 |
父 | 朴墉 | 1468-1524 | 錦城府院君 |
母 | 聞韶府夫人 | 不詳 | 義城金氏 |
夫 | 仁宗 | 1515-1545 | 第12代国王 |
本人 | 仁聖王后 | 1514-1577 | |
子供 | なし |
仁聖王后の生涯
仁聖王后は、1514年に朴墉と聞韶府夫人金氏の娘として生まれました。
1524年2月、世子だった仁宗の世子嬪に選ばれますが、6月には父親の朴墉が亡くなりました。
1544年、夫が仁宗として即位すると、王妃に昇格します。
しかし、夫は即位から僅か8ヶ月で逝去していまいます。
仁聖王后は王大妃となり、仁宗亡き後は静かに余生を過ごしたといいます。
1577年11月29日、仁聖王后は景福宮交泰殿にて逝去しました。
享年64歳でした。
まとめ
仁聖王后は夫の在位期間が短かったため、王妃としての期間も歴代最短でした。
そのため、特に目立った活動はありませんでした。
夫の亡き後は、政治に口を出すこともなく、静かに余生を暮らしたと言われています。