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「クム、クマ、イ・グム、ヨニングン」英祖の名前のあれこれ

「クム、クマ、イ・グム、ヨニングン」

実はこれ、どれも英祖の子供の頃の名前です。

この記事では、英祖の名前のあれこれを詳しく解説しています。

トンイが呼んでいたクマとは?

英祖の本名は昑(クム)です。

でも、トンイはクムを「クマ」と呼んでいたような?

これは、韓国では親しい友だちや家族の名前の最後に「ア」や「ヤ」をつけることによります。

よく聞くと粛宗はトンイのことを「トンイヤ~」と呼んでいます。

また、カン・ドックおじさんがチャングムを呼ぶのにチャングマ~と言っていたのもこのためです。

<豆知識>昑(クム)は諱(いみな)?
よく諱はクムと書かれていますが、諱とはなんでしょうか?諱とは、本名のことです。本来、諱とは口に出すことがはばかられることを意味します。王の名前を口にすることははばかれることから、王の本名を諱と呼んでいるのですね。
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ヘチ王座の道でのイ・グムとは?

ヘチ王座の道では英祖はイ・グムと呼ばれています。

「イ・グム」は、姓名を表しています。

イ(李)は王様の姓で、国王だけでなく朝鮮王朝の王族男子もみんな「李」という姓で呼ばれていました。

イ・サンやイ・バンウォンのイも同じです。

では、なぜ名前が「グム」なのか?

これは、ハングルの濁音化によるものです。

クムが言葉の途中に入ると、グと濁音になる現象です。

韓国人は特にこの濁音化を意識していないようです。

日本でも、風車を「かざぐるま」と「くるま」が「ぐるま」になりますよね。

つまり、イ・グムも発音しやすいようにグムとなっています。

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ヨニングンとは?

ヨニングン(延礽君)は称号です。

クムは本名ですが、親以外が呼ぶことは極めて無礼と考えられていました。

そこで、王様の子供には称号が与えられました。

正室から生まれた王子は〇〇大君(テグン)、側室から生まれた王子は○○君(グン)という称号が与えられます。

クムも1699年の5歳のときにヨニングン(延礽君)という称号が与えられました。

「英祖」は王様になってからの呼び名?

いいえ、違います。

「英祖」は亡くなってから付けられた名前”廟号(びょうごう)”です。

<豆知識>廟号(びょうごう)とは?
国王が亡くなってから付けられる名前です。◯祖と◯宗の2種類の名前があります。◯祖と付けられた王は、文字が示すとおり「事柄を始めた王」または、「大きな功績を残した王」です。また、◯宗と付けられた王は「徳があった王」ですが、実際は◯祖以外の王が◯宗と付けられたようです。実は、英祖、正祖は最初は英宗、正宗でしたが、高宗の時代に「祖」に格上げされています。廃位された王は廟号がもらえないので「君」のままです。燕山君と光海君の二人ですね。

でも、「英祖」が亡くなってからの名前なら、在位中は何と呼ばれていたのでしょうか?

それは、ドラマでよく出てくる殿下(チョナー)です。

トンイが粛宗に対して、殿下(チョナ~)と呼んでいましたね。

まとめ

「クム」から「ヨニングン」、そして「英祖」へと、名前に込められた意味や歴史を紐解くことで、名前が時代や立場に応じて多様な役割を果たしていることが分かりました。

子供時代の愛称から王としての称号、さらには死後に与えられた廟号により、英祖がどのような存在であったのかをより深く知ることができたのではないでしょうか。

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