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チャングムのヨンセンは実在?【モデルと史実を徹底解説】

チャングムの親友ヨンセンのモデルは実在した中宗の側室・淑媛李氏(スグォン・イシ)です。更に、ヨンセンの子供も実在しています。

この記事では、ヨンセンのモデルとなった女性の実像、その子どもたちの足跡、そしてドラマと史実の違いをわかりやすく解説します。

ヨンセンのモデルは中宗の側室・淑媛李氏

ヨンセンのモデルとされる淑媛李氏(スグォン・イシ)は、下級官職の武官の娘でした。父親は、貞順翁主(彼女の娘)の墓地銘によると、秉節校尉(従六品の武官)と記録されています。

宮廷に入り中宗の寵愛を受けて側室となり、子をもうけて従四品の「淑媛」の称号を得ますが、1520年、二人目の出産時に亡くなっています。

実は、彼女に関する記録はほとんど残っていません。中宗には3人の王妃と9人の側室、そして、20人の子がいましたが、淑媛李氏は最下位に近い立場の側室にすぎませんでした。

関係 名前 子ども 備考
正室 端敬王后 子女なし 第12代王・仁宗の母
継室 章敬王后 1男1女 第13代王・明宗の母
継室 文定王后 1男4女
側室 敬嬪朴氏 1男2女
側室 熙嬪洪氏 2男
側室 昌嬪安氏 2男1女
側室 貴人韓氏 子女なし
側室 淑儀洪氏 1男
側室 淑儀李氏 1男
側室 淑儀羅氏 子女なし
側室 淑媛李氏 2女 ヨンセンのモデル
側室 淑媛金氏 1女
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淑媛李氏が生んだ2人の王女

淑媛李氏は1517年に貞順翁主、1520年に孝静翁主の2人の王女を生んでいます。

王女 子ども 晩年
貞順翁主 礪城君(宋寅) 1男1女 1581年に病没
孝静翁主 淳原尉(趙義貞) 1男 1544年に産後急逝

貞順翁主は、後年の時代劇ドラマ「師任堂(サイムダン)色の日記」に登場しています。ドラマの中では、中宗に離縁を願い出る王女として描かれ、演じたのはイ・ジュヨンさんです。

チャングムとは異なる時代に、ヨンセンの娘が再登場するような構成に、歴史のつながりを感じさせます

詳しくはこちら>>サイムダンに登場する王女は実在した貞順翁主

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側室の位「淑媛(スグォン)」とは?

ヨンセンの称号・淑媛は側室に与えられる位です。側室の称号は最高位が嬪(ビン/ピン)で最下位が淑媛(スグォン)です。

正一品 嬪(ピン)
従一品 貴人(クィイン)
正二品 昭儀(ソイ)
従二品 淑儀(スギ)
正三品 昭容(ソヨン)
従三品 淑容(スギョン)
正四品 昭媛(ソウォン)←(最終話ではこの称号に)
従四品 淑媛(スグォン)← ヨンセンの称号

王様の寵愛を受けると、女官の最高位・承恩尚宮(スンウンサングン)になります。更に、王の子供を生むと側室の最下位・淑媛になります。ヨンセンも王様の寵愛を受けて、承恩尚宮となり、子供を生んで淑媛になりました。

<豆知識>承恩尚宮の待遇
特別尚宮ともいわれ、正五品に昇格。部屋が与えられて女官の仕事が免除されます。但し、王の寵愛を受けても、承恩尚宮になれなかった女官もいたといいます。

史実とドラマの違い

ドラマでは、ヨンセンは中宗の死後も宮中にとどまり、昭媛(ソウォン)へと昇進しますが、史実では、中宗より先に亡くなったため、彼女の称号は「淑媛」のままでした。

また、王の死後、側室たちは原則として宮廷を去ることが通例でしたが、ドラマでは大妃の計らいで特別に残る設定となっています。ドラマ的な感動を高めるための創作ならではの演出といえます。

補足情報:ヨンセンを演じたパク・ウネとは?

ヨンセンを演じたのは女優のパク・ウネです。

ヨンセンを演じた女優のパク・ウネの画像

生年月日:1978年02月21日
(2025年08月24日現在、47歳)
出生地:韓国・京畿道仁川市(現:南済島)
身長:165cm
最終学歴:ソウル芸術大学広告創作科卒業

1998年に映画「チャン」でデビュー。2003年にドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」のヨンセン役でブレイクして一躍人気女優になりました。2007年のイ・ビョンフン監督のドラマ「イ・サン」に正祖の正室・孝懿王后役として出演しています。

まとめ

ヨンセンのモデルとなった淑媛李氏が実在し、しかもその娘・貞順翁主が別のドラマにも登場していたというのは驚きの発見です。

チャングムの誓い」の脚本家がわずかな史料から人物を創り上げたように、私たち視聴者も、登場人物の背後にある史実を知ることで、ドラマの見方が一層深まります。

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