サイムダンに登場する王女・貞順翁主は実在しました。
そして、その母親はチャングムでヨンセンが演じた側室の淑媛李氏です。
チャングムの中で淑媛李氏が生んだ女の子がまさに貞順翁主だったのです。
貞順翁主の母親は淑媛李氏
貞順翁主の母親は淑媛李氏ですが、淑媛李氏に関する情報はほとんどありません。
淑媛李氏が国王・中宗の寵愛を受けたことは間違いありませんが、
いつ宮廷にはいったのか?
どのようにして中宗と出会ったのか?
何も詳しいことは分かっていません。
また、淑媛李氏は貞順翁主の妹を出産すると、出産後に亡くなってしまいます。
貞順翁主は4歳で母親をなくし、慈順王大妃(貞顕王后)や文定王后に育てられました。
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貞順翁主の家系図
貞順翁主は父・中宗と母・淑媛李氏の間の長女として生まれました。
2年後には、妹の孝静翁主(李順環)が生まれています。
<貞順翁主の家系図>
母親の淑媛李氏には妹の銀代が尚宮として宮廷に努めていました。
貞順翁主の叔母さんにあたります。
夫の宋寅(ソン・イン)は礪山宋氏の一族で学者、祖父の宋軼は領議政を務めた人物です。
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貞順翁主とはどんな王女
貞順翁主がドラマ「師任堂(サイムダン)」に出てきたような我儘な王女だったかは不明です。
性格に関する記録がないからです。
貞順翁主のプロフィール
称号:貞順翁主(チョンスンオンジュ)
本名:李貞環(イ・チョンファン)
生年:1517年12月6日
没年:1581年8月25日
実父:中宗
実母:淑媛李氏
貞順翁主の家族
貞順翁主は12歳のときに、宋寅と結婚し、息子を一人もうけました。
子供:宋惟毅(ソン・ユイ)
宋寅には妾とその子供の宋惟浪と宋惟純がいたと言われています。
叔母の銀代は悪質な尚宮
貞順翁主の母親・淑媛李氏には妹の銀代がいたと言われています。
淑媛李氏と銀代は二人で尚宮を務めていましたが、淑媛李氏が王の寵愛を受けたと思われます。
更に、実録には叔母の銀代が淑媛李氏の夫と内通した女性とその子供を殺したことが記録されています。
貞順翁主が指示しないにしても、叔母が忖度してのことと推測されます。
貞順翁主の生涯
貞順翁主は中宗と淑媛李氏の間に生まれました。
10歳にして、翁主に封じられ、学者の宋寅と結婚しました。
しかし、夫・宋寅の女性癖はあまり良くなかったようで、幸せな生涯であったかは定かではありません。
<生涯>
年月日 | 年齢 | 出来事 |
1517年 | 1 | 12月6日に中宗の娘として生まれる |
1520年 | 4 | 母の淑媛李氏が妹を出産後、亡くなる |
1526年 | 10 | 翁主に封じられ、宋寅が駙馬に選ばれる |
1528年 | 12 | 宋寅と結婚する |
1536年 | 20 | 宋惟毅が生まれる |
1581年 | 65 | 8月25日に病気で亡くなる |
駙馬(ふば)とは翁主の夫のことを意味しています。
まとめ
サイムダンに出てきた我儘な王女がチャングムのヨンセン(淑媛李氏)の娘でした。
意外なところでドラマが結びつくのにも驚きです。
また、夫の宋寅に妾がいたこと、更にその妾と子供を叔母が殺してしまったことにもびっくりです。
王女の指示があったのか、叔母が王女の気持ちを忖度してのことかは定かではありません。