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風と雲と雨の実話【哲宗時代の勢道政治を史実で検証】

ドラマ「風と雲と雨」は、哲宗から高宗即位前後の激動期を舞台に、史実と実在人物に創作を巧みに織り交ぜて描かれた作品です。

この記事では、
・ドラマのベースとなった哲宗時代の史実
・興宣大院君と安東金氏の対立構造
・実在人物とフィクションの違い
を整理しながら、「風と雲と雨」の実話背景を分かりやすく解説します。

風と雲と雨の実話

ドラマ「風と雲と雨」では、チョン・グァンリョル演じるイ・ハウン(興宣大院君)が物語の中心人物として描かれています。

本章では、興宣大院君を軸に、ドラマの基礎となった史実を解説していきます。

偽りの乞食生活

興宣大院君は、第16代王・仁祖の三男の系統で王族でしたが、王位継承順位は低い立場にありました。しかし、父親・南延君が英祖の孫にあたる恩信君の養子になったことで、興宣大院君に王位継承の可能性が生まれました。

興宣大院君の家系図

当サイト「雲の上はいつも晴れ」が独自に作成した家系図

<興宣大院君の家系図>

憲宗死後、次期国王候補に名前が挙がった興宣大院君は、あえて王位に無関心な態度を装います。王位への野心を見せれば、勢力を振るう安東金氏に排除される危険があったためです。

このため、遊び人や乞食のような生活を演じ、警戒心をかわしていたと伝えられています。

安東金氏の王族粛清

安東金氏による勢道政治により、民は過大な税に苦しみ、多くの王族が逆族とされ粛清されていきました。

1860年には、慶平君(李世輔)が金左根らを誹謗したとして流刑となり、李夏銓(イ・ハジョン)もまた王位候補と目されたことで、謀反の罪を着せられ、済州島へ流配された後に処刑されています。

ドラマで描かれる王族への冷酷な扱いは、こうした史実を反映したものです。

高宗即位の経緯と興宣大院君の台頭

1857年に純元王后が死去すると、次期国王をめぐる政治状況は大きく動き始めます。

興宣大院君は、安東金氏と対立関係にあった豊壌趙氏の神貞王后に接近しました。ドラマ「風と雲と雨」に登場するチョ大妃のモデルが、この神貞王后です。

1863年、哲宗の死後、神貞王后は興宣大院君と事前に協議していたとみられ、彼の次男・李命福(高宗)を朝鮮国王に即位させました。当初、興宣大院君は補佐的立場にありましたが、やがて摂政として実権を掌握していきました。

安東金氏の衰退

高宗即位後、興宣大院君は安東金氏の勢力を抑えていきました。
領議政・金左根(キム・ジャグン)の辞任を契機に、一族の官僚を次々と罷免・降格させていきます。

こうして、約60年続いた安東金氏の勢道政治は終焉へと向かっていきます。

興宣大院君の強権政治

摂政となった興宣大院君は、強い権限を背景に強権的な政治を推し進めました。

景福宮再建のための重税は民衆の負担を増大させ、さらに鎖国体制を維持する目的で、1866年には大規模な天主教弾圧(丙寅教獄)を実施します。

これを契機にフランスとの武力衝突(丙寅洋擾)やアメリカとの辛未洋擾へと発展しましたが、結果として外国勢力を撤退させ、興宣大院君は次第に軍事・行政・人事の権限を掌握していきました。

明成皇后が高宗の王妃に

1866年、揀択により明成皇后が高宗の王妃に選ばれました。これは、外戚勢力の介入を避けたい興宣大院君の意向が強く反映された結果でした。明成皇后は興宣大院君の妻の閔氏出身で、父親はすでに亡くなっていたのです。

当初は控えめだった明成皇后ですが、高宗の寵愛が薄かったとされる時期に学問を重ね、後の政治・外交に対応するための知識と判断力を養っていきました。

興宣大院君と明成皇后の対立

明成皇后が王妃として政治的影響力を強めるにつれ、実権を握っていた興宣大院君との対立が表面化していきます。

特に、高宗の寵愛を受けた李尚宮に子が生まれ、さらに明成皇后自身も王子をもうけた時期以降、宮中の権力構造が変化し、両者の緊張関係は一層深まったと考えられます。

ドラマで描かれる対立は、こうした史実上の権力闘争を反映した演出といえます。

史実の対立はこちら>>大院君と閔妃の対立【朝鮮王朝末期を震撼させた政争の真実】

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風と雲と雨の時代背景

ドラマ「風と雲と雨」のスタートは1862年、哲宗在位13年の年からでした。

安東金氏の勢道政治

安東金氏は、王妃を輩出して外戚となり政権を掌握した代表的な勢道政治の一族です。純祖の王妃・純元王后の即位を機に、父の金祖淳を中心として一族が官職を独占し、朝廷の実権を握りました。

こうした強力な外戚支配は、王権すら抑え込みながら、哲宗の時代まで約60年にわたり続きました。

安東金氏について詳しくはこちら>>安東金氏の家系図【3人の王妃が築いた外戚支配と勢道政治】

飾り物の国王・哲宗

哲宗は実在した第25代国王で、即位前は王族でありながら江華島で農民として暮らしていました。

純祖の孫・憲宗が後継ぎを残さず若くして亡くなると、安東金氏は政治的に利用しやすい存在として哲宗を王位に据えます。帝王教育を受けていなかった哲宗は実権を持てず、勢道政治の象徴的な国王となりました。

哲宗について詳しくはこちら>>哲宗の家系図で知る【驚き!お飾りの国王はお百姓だった】

 

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実在の登場人物

ドラマ「風と雲と雨」には、多くの実在した人物が登場します。

朝廷を掌握する壮洞金氏(チャンドン・キムシ)は安東金氏がモデルです。

実在した登場人物の一覧

風と雲と雨に登場した実在のモデルをご紹介します。

役名 実在のモデル 備考
イ・ハウン 興宣大院君 高宗の父
イ・ジェファン 李㷩(イ・ヒ) 第26代王・高宗
イ・ジェミョン 李載冕(イ・ジェミョン) 興宣大院君の長男
チョ大妃 趙大妃/神貞王后 第24代王・憲宗の実母
哲宗 哲宗(チョルジョン) 第25代王
イ・ハジョン 李夏銓(イ・ハジョン) 王族、都正宮慶原君
ミン・ジャヨン 閔玆暎(ミン・ジャヨン) 明成皇后
ジャヨンの母 韓昌府夫人/感古堂 韓山李氏 ミン・ジャヨンの母
ミン・スンホ 閔升鎬(ミン・スンホ) ミン・ジャヨンの兄
フンイングン 興寅君(フンイングン) 興宣大院君の兄
キム・ジャグン 金左根(キム・ジャグン) 領議政
キム・ビョンウン 金炳冀(キム・ビョンギ) 戸曹判書
キム・ビョンハク 金炳学(キム・ビョンハク) 領議政(最終官職)
ヤン・ホンス 梁憲洙(ヤン・ホンス) 将軍
ローズ提督 ピエール・グスターヴ・ロゼ提督 フランス海軍の司令官
クァク・ナグォン 郭楽園(クァク・ナグォン) キム・グの母親

ドラマの中で、キム・ビョンハクはキム・ジャグンの実子として登場しますが、史実では血縁関係はありません。

金炳学(キム・ビョンハク)の実の父親は金洙根(キム·スグン)で、後に金浚根(キム·ジュングン)の養子になっています。

懐平君はどんな人物だったのか?

懐平君(フェピョングン)は、哲宗の腹違いの兄で、正室の子として生まれました。聡明で人柄も良かったと伝えられますが、1844年、閔晋鏞が王に擁立しようとして起こした謀反に連座し、17歳で死罪となります。

史実では未婚で子はおらず、ドラマに登場する「懐平君の息子」は、王位継承争いを描くための創作設定です。

ボンリョンは実在した王女なのか?

ドラマ「風と雲と雨」には哲宗の娘としてボンリョンが登場していますが、彼女は架空の人物です。

では、史実の哲宗に娘はいたのでしょうか?

詳しくはこちら紹介しています>>風と雲と雨のボンリョンは実在した王女?【史実のモデルは?】

風と雲と雨の原作

ドラマ「風と雲と雨」は韓国の小説家であるイ・ビョンジュ(李炳注)が書いた小説が原作となっています。朝鮮日報で1977年から新聞に掲載された後に、本として出版されました。

実は、この原作は過去(1989年)に一度、ドラマ化されています。その時は、チェ・チョンジュン役をシン・イルリョン、ファン・ボンリョン役をキム・チョンが演じていました。

まとめ

ドラマ「風と雲と雨」は、哲宗から高宗にかけての史実を土台に描かれたフィクションです。

安東金氏による勢道政治が続くなか、興宣大院君は巧みな政治的手腕によって、その支配体制を徐々に切り崩していきます。さらに、架空の人物である朝鮮最高の観相師チェ・ジョンジュンが物語に加わり、理想の国の実現を目指すドラマとなっています。

作品の中には、多くの登場人物や出来事が史実に基づいて描かれています。そのため、ドラマの背景を知ることで、何気ない場面の意味が理解でき、物語をより深く味わうことができるでしょう。

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